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10億回目の鼓動。

冬の朝は静かで好きだ。

雪のクッションが
いろんな物音を消してくれる。

そういえば、

小さい頃はよくしていたのに、

大人になってからしてなかったことがあった。


心臓の音を聞くこと。


胸に手をあてると、
ドクンドクンと少しだけ押し返してくる力。

耳をふさげば、
ドクンドクンとわずかに聞こえる音。

そうやって自分の命の鼓動を聞くことが、
大人になってからしなくなりました。

そういえば、と思ったなら、
目を閉じて、胸に手をあてて、
命の鼓動を感じてみてください。

そのあと、続きを読んでいただければと思います。




***

1日24時間。

時間はみんなに平等だ。

偉い人や賢い人は口を揃えて言う。

でも僕はそうは思わない。


どんな生物も10億回の心拍数で死ぬ。


これはテロメアといわれる生物の構造から導かれた理論。
テロメアは心拍数が増えるごとに徐々に短くなっていき、やがて死を迎える。
いわゆる寿命である。
そのため、テロメアは命の回数券とも言われている。

小さい動物が短命なのは心拍数が早いからで、
大きい動物が長生きなのは心拍数が遅いからである。

これを原則とするなら、
どんな人間も10億回の心拍数で寿命を迎えることになる。

ならば、心拍数が遅い人と早い人とは、
人生の時間は決して平等ではないと言えないだろうか?

セミの1秒とクジラの1秒は平等ではないように。

極端に分かりやすくいえば、
私たちの心臓は10億回で停止する。

走り続けて無理をすれば、心拍数はあがるし、
緊張して不安定な状態でも心拍数はあがる。

当然寿命は短くなる。


だけど、体の細胞は生きたがっているのだ。

私たちの意志とは関係なく、
心拍数を元に戻すため、

私の体調を壊し、
強制的に動けなくさせる。

こうなると、
この体は一体誰のものなのか?と思えてくる。


***

胸に手を当てて、心臓の鼓動を感じてみてどう思っただろうか。

今の鼓動は、
10億回中の何回目だったのだろうか。
あと何回脈打つことができるだろうか。

それが私たちの時間の概念ではないだろうか。


人生80年?100年?
そもそも年齢は本当に正しいのだろうか。

もし誕生日を知らなかったら、
私は何歳なのだろうか。

20代になったら、
30代になったら、
40代になったら、
そんな枠とは無関係に生きられただろう。

決められた数字に何の意味がある。

10億回中、何回目の脈拍か。

それが私たちのリアルなのだ。

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