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私は既製品。

もしかすると…

私はどうやら長いあいだ

大きな思いちがいをしていたようだった。

その思いちがいというのは、

私はオーダーメイドであるということだ。

いつからだっただろうか。

理想の自分になりたいと願うようになった。

そのために

たくさんの人と出会い、

たくさんのことを学び、

たくさんの芸をおぼえた。

そうして、少しづつ理想の自分を

創り上げているのだと思っていたのだ。


でもどうやらそうではないらしい。

私はレディメイド。

既製品だったのだ。


なぜそう思ったのか少し話そう。

人生を振り返ってみると、

私は人に嫌われないよう礼儀を学び、

お金を稼げる芸を学んだきた。

できないことができるようになるのは楽しい。

成長を感じられる。

前に進んでいるようにも感じられる。

だけど、圧倒的で最も飛躍的な成長を感じられたときはいつだったかというと、

絶望から立ち上がった時なのだ。

もうこの世に未練はない。

生きていてもどうしようもない。

生まれてこなければよかった。

そんな風に絶望したときは何度もあった。

私は絶望するたびに考えせざるを得なかった。

私は誰なのか、生きる意味、人生とは何なのか。

教科書には乗っていない、マニュアルもない。

自分一人で答えを出さなければいけなかった。

そんなふうにして、

立ち上がれた時というのは、

何かをつけ加えるオーダーメイドとは程遠い、

一枚の服を脱ぎ捨てていくような感覚。

何かを手放した時なのだ。


何度か人生からころげ落ちていると、

いつのまにか綺麗に包装された紙はなくなり、

箱の中身が見えるようになってくる。

それが純粋な裸の私なのではないかと思ったのだ。

だから今ではこう考えている。

私は既に成立したレディメイド(既製品)なのだと。

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