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【私信】やっと息継ぎできた

元気ですか?

全然元気じゃない。
ここ二週間ズキズキするような頭痛が毎日あって、頭痛薬を飲み続けている。同時に胃も荒れるために胃薬も飲んで、無駄に緊張しないための漢方を飲んでいる。鉄分を補うために豊満サジーも定期購入して出来るだけ朝晩に飲んでいる。とにかく飲んでる。カフェインも最低限にして楽しんではいる。飲むものが多くて麦茶がよく減る。
痛みやしんどさがない日がなくて、夢中になれば忘れる時もあるけど我に返ればまた戻ってくる。頭の中が常に7割くらい靄で埋めつくされていて、残りの3割で日々を生きている。病院はいま合うところを探している。
本は長時間でなければ読める。ドラマも見れる。思っていることも言語化できる。音楽も聴けるし、歌うこともできる。これでマシになった方。車の運転も近場しかしていないけど、大丈夫だと思う。

10月16日で33歳になりましたね。

今の現状を見る限り、焼け野原にいるような気分。
30代に入ってから徐々に迷子になって、最終的にずいぶん遠くまで来てしまった。思っていたルートとは全然違う場所に来てしまって、途方に暮れている。ここまできてやっとわかった。ああ限界だったんだ、と。
私は恵まれている。とても恵まれているのに、どうしていつもこんなにカラッポなんだろう。またドアの外を出たら、溶けてしまう気がするのだ。人間の形を保っていられない何かになってしまう。一体何が原因だったのだろうか?周りの人間?環境?どれもそうだと言えるし、どれも違うと言える。ただ私が自分の体から何かが抜け落ちていく音に気づけなかっただけだ。
「自分を大切にしてね」といろんな人に言われてきた。自分のサインにちゃんと気づく人であってほしいという意味だったのかもしれない。もしくは、自分の望みにちゃんと向き合うべきだ、という想いがあったんだろうか。
私の周りにいる人はみんな優しく見守ってくれているのに、自らでバランスを崩していってしまう。全然大事にできないし、呆れてしまいそうだ。
ただ気づいたことがある。


自分と他人との距離

10代に一度、20代に一度、そして30代の今。
私は大きく立ち止まっている。10年に一度のサイクルで、こうして自分の指針を失ってどう生きたらいいのかと立ち尽くしている。ネガティブな意味でもなく、ただただ純粋に、私はそういう人間なのだと思った。これは誰かのせいでも何でもない。これを読んで何かを想像したとしても、それはきっと関係ない。私が、私の中で起きたことなだけであって、外的要因はないだろう。これは確かだ。私が私であるが故にこうなっているだけ。
だからその生き方をやめろと言うのもどうか留めておいてほしい。その時は私が自分でやめない限り意味がない。生きづらい人間なのはとてもよく知っている。でもそれを失ってしまったら私は本当に消えるしかないのだ。

そもそも自分に興味のない人間が、他人へ尽くして生きてきたというのに。自分に興味を持てと言われて器用に生きられるとでも?とても難しいのだ。自分はどうしたい?そう聞かれるより、あなたが望むものを答える方がずっと楽なのに。不思議な話だ。そんな人がだんだん他人への興味から自分の興味も持ち始めるとどうなるかというと、ジレンマが生まれる。他人を優先すべきか自分を優先すべきかを悩むようになり、最終的にどちらを選んでもどこかでやりきれない気持ちがある。そして自然と「他人を優先した方がまだマシ」という考えになり、自分をすり減らすことになる。そしてそれを見た私の周りの人間は口を揃えていう。「大事にして」と。ごめんなさい。自分を優先することに関してまだ10歳未満なんだ。結果を見る限り、私が不器用すぎるという話になる。


「今しかない」の切実さ

年齢を重ねていくことが足枷となっていくのをひしひしと感じている。私がずっと二の足を踏んでいるのも、年齢が大きく関係している。
「今からやったとて実にならなかったら?時間がないならもっと堅実的なことを着実に詰んで未熟なりに社会と足を揃えるべきでは?今さら夢みたいなことを口にして一体何になる?趣味は趣味にしておくべきでは?好きなことを仕事みたいにしてしまって、いざ好きじゃなくなる日が来たら?好きなことができなくなった時は?もっと現実見たら?」
心の中で散々に言われながらしかめ面の私はゆっくりと口を開く。
「でもそうやって来て今がある。今回の失敗は、それを理由にしたからだ。私の本意ではなく、それっぽく生きていけたらいいと逃げたからだ。人並みのお給料が欲しいだとか、適当に力を抜いて生きていければいいと思った。それがダメだったんじゃないか。見事に私は自分の指針を失って、どこにいても自分の場所ではない気がして、なんでこんなことしているんだって疑問からずっと目を逸らして生きてきたから。結局自分を生かす方法は、私が自分に期待する人間であることだ。嫌いだと嫌い続ける私が唯一自分を誇れるように。」

過去の選択が失敗だったとか、これまでの失敗を自分に重ねてダメ人間を作り上げた反省をいつまで続けるつもりでいるんだろうか。
時間は簡単に過ぎた。一年が経って、私は私である実感すらない。これで一体何ができたというのか。何も、ただ自分を失っていくのを黙って見ていただけじゃないか。それでどうなった?33歳になった。それだけしかなかった。自分をごまかし、自分を失った一年になっただけだった。それに気づくために、365日を使ったのか。悔いしかない。大嫌いだよ。

もうここでじっとしているわけにはいかない。
どんなものであれ、私は私を取り戻し、さらに私になるためにまた自分を作り上げなくちゃいけないのだ。だって私は今ここにいて、これからもたぶんここにいなくちゃいけない。どんなに自分が嫌いでも、どんなに消えたくなっても。自分の体がある限り、自分の心がある限り。誰のものでもない私を、私が握っていなくてどうする。私だけのものでしかないのに。

だって今はもうこうして通り過ぎていて、私を生かしているんだから。


巡っていない、これが今である証拠

みんなと同じように生きられなくていい。みんなよりもずっと不器用に生きていてもそれでいい。みんなに笑われてもいい。私が私でなくなる方が嫌だ。誰かに望まれた私でいるより、私が望む私を尊重してくれる人がいる。
それを覚えておかなければいけない。私が私を失っては、それを悲しむ人がいることを忘れてはいけない。だから私は大丈夫。

どうしようもない未来が来ても、思い出せればいい。
どうしようもない過去を見ても、思い出すからいい。
私と一緒の時間を過ごしてきた人たちを。

これが20代の私と違うことだ。
独りであることは変わりない。でも20代で出会ってきた人がいる。
その人たちの顔を思い出すことができる。ちゃんと生きてきた。
繰り返しじゃない。似てるようで違う、今起きていることだ。
よかった。あの頃の私ではない。ちゃんと今の私がある。


全然元気じゃないし、迷子だし、途方にも暮れたりする。
でも安心して欲しい。私はまたちゃんと見つける。時間はかかるかもしれない。もどかしいかもしれないけど、これが私の人生なら仕方ない。
あなたはあなたでぜひ生きていろんな物事に出会ってほしい。
私は私の中に潜って、答えをまた見つける。

読んでくれてありがとう。すっきりした。少し晴れた。その瞬間を共有できてよかった。ありがとう、また。

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