二つの忘年会から思ったこと
えっー、もうこんな時間!!
時間いくらあっても足りない。
昨日久しぶりの人に会う機会があった。
たまに何かのタイミングで「あの人元気にしてるかなぁ」と思っていた人。
あるグループでたまたま再会した先輩が誘ってくれたランチ会。
そこで2人の別の先輩に再会を果たすことができた。
ちょっと大げさだが、前回に会ったのは10年以上前だ。
一緒に働いていた時は毎日顔を合わせているからそれがずっと続くような錯覚におちいるが、仕事が変わると全く会わなくなる。
僕は転職を繰り返したから、その繰り返し。
そのおかげで色んな人に会えたが、会わなくなった人も多い。
新しい仕事が始まって忙しくしているうちに、なんとなく疎遠になる。
こまめに連絡を取るタイプでもないし、用事もないのに連絡するというのも苦手だ。
ランチ会は男性ばかりで僕を入れて7人。
5人はすでにリタイアという集まり。
見かけたことはあるけど直接話したことはなかった人と話すことが出来た。
その人は僕の生まれた頃にメルボルンに来られたそうだ。
人生の先輩であり、メルボルンの先輩でもある。
僕もなんだかんだで長くいるから昔話にからめるのは楽しかった。
昔に会った人や知っている店の名前。
それがその人たちを通してさらに違うところでつながっていく。
なるほど、そうなっていたのか。
先輩たちは基本的には全然変わらない。
歳をとっただけ。
そして自分も。
高齢で施設に入る方や、亡くなる方の話を聞いた。
老後をどう過ごすか、どこで過ごすか。
若い時はそれほど考えずに来るのだが、体にガタが来だして、老後が視野に入ってくると本当に考えさせられる。
在職中は重要な地位についていた人もリタイアすればただの人。
それはどこに住んでいても同じ。
仕事の立場を離れたところでどれだけ個人的なつながりを作れるか。
一人で生きていくのは大変だしさみしい。
コミュニティーの重要性を改めて感じた。
先輩と表現しているが、僕は日本でいうところの典型的な先輩後輩関係は嫌いだ。
変に気をつかって複雑な敬語を使ったりするのが好きではなくて、そういうのがない英語の世界が好きだ。
ただ先輩たちの知識や経験はとても貴重で尊敬に値するもので、それを自分の人生にどう活かしていくかは非常に大切だと思っている。
自分一人だけでつながれる人や経験できることには限界がある。
人を紹介してもらったり、成功のやり方を聞いて参考にしたり、失敗したことから学んだり。
そしてそれが次に伝わっていけばいいなとつくづく思う。
先輩たちの来た頃はまだまだメルボルンが片田舎の街だったころ。
僕が来たころもまだそんな感じだった。
今では都会になってしまったメルボルン。
人のつながりが希薄になった。
日本に比べればまだまだフレンドリーな方ではあるが、昔とは比べものにならないくらい希薄になったと思う。
確実に時は流れていて、街も人も変化している。
昔も今も日本人は少数派だが、街を歩けば日本語が耳に入る機会は格段に増えた。
そしてディナーは女性中心のグループだった。
このグループは定期的に集まっていてネットワークも広い。
女性のコミュニケーション力やコミュニティーを作る力には本当に感心する。
それに比べランチの男性グループはどちらかと言えば行き当たりばったり。
男はそれぞれが好きなことをしていて会う頻度も少ない。
テクノロジーの進化によって情報は山のようにある。
オーストラリアに出稼ぎとかメルボルン移住とかたくさん目に入る。
その結果、人が集まってもなんら不思議でもない。
長くここにいる人は高齢者も多く、新しい情報にキャッチアップ出来ていない人も多い。
ワーホリや学生と高齢者がつながる機会も少ないようだ。
つながれば良い情報交換ができるだろう。
お互いのニーズを埋め合うことができるだろう。
その上と下の間にいる自分たちが役割を果たす時だなぁと思った昨日でした。
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