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モリマガジンvol.8 ユーミンを聴きながら

<目次>
1.   はじめに
2. 『ひこうき雲』
3.  『中央フリーウェイ』
4.  『空と海の輝きに向けて』『瞳を閉じて』
5.  『ベルベット・イースター』

1.はじめに
文: 森のマスター

ユーミンを聴くようになったのは、森にくらしはじめてから、なぜ聴くようになったんだろう、昔チラリと聞いたユーミンの曲の波動をかすかに覚えていて、毎時間音楽を聴いてるぼくは、ある時、その波動を感じたくて、聴くようになった、木々たちや植物たちとの相性も良いみたい、そんな数年前の出来事、ユーミンは今もシーンの最前線にいて、なぜ長くそこにいられるんだろうと、ぼくの分析スウィッチがオンになった、2冊の本にその答えは散りばめられていて、ますますぼくは、ユーミンを聴くようになった、限りない自分への探究と表現、惜しみないエナジー、人が求めているものを提供するだけという、ユーミンの言葉を聞いて、ぼくは自分を戒める、ぼくが求めているものをユーミンの曲は与えてくれる


2.『ひこうき雲』
文: 森のマスター

ユーミンが、同級生の男の子の死をモチーフに作詞した曲、1973年、ぼくが生まれた年、ユーミン19才、死生観、すごい世界観、ぼくは少し前から死について考えていて、メメントモリ、死を想え、生きることは死ぬこと、言葉は知っていたけど、いまいちピンと来なかった、腑に落ちなかった、理屈は分かるんだけど、死んだことないからね、ある時、古賀さんの本を読んでたら、死って、人が違う部屋に移っただけ、という言葉に出会って、あっそうか!と、腑に落ちた、つまがよく言う、こころがあったかいことって、魂のはなしで、2つをつなげると、人生は魂がやって来て帰っていくという話、魂の入学式と卒業式、入学式は喜びだけど、卒業式は?、もっと喜びだよね、生はそうだけど、死はどう?、ではないよね、生きることも死ぬことも同じ、あったかいよね、というぼくなりの答えがあって、じゃあそれをどう表現する、映像で、写真で、文字で、考えている時に、ユーミンのひこうき雲に向き合ったら、この表現はすごい、ということに気づいて、ちょっと以上に興奮して、当時19才にしてこの死生観、世界観はすごい、ということになった


空に憧れて空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲

by yuming

3.『中央フリーウェイ』
文: 森のマスター

ユーミンは言った、「私は風景を描いてる、その上にテーマを乗せてる、風景は瞬間の輝き、テーマはニーズをみてる」、ユーミンの方程式、全てがそうかも、ぼくの直感はうなずく、今日も曲に乗って、ぼくは風景をかけぬける、テーマは魂が知ってる、てがかりは、からだと、こころと、感情、「人生の答えはいつも私の中にはある」、「我々の人生は我々の後にも前にも、側にもなく、我々の中にある」、先人たちは、教えてくれる、ユーミンは言う、「テーマはなんだって良いの」、ある風景には、いろんな人のテーマがあって、風景はすべてを含み、すべてを包み込む、森羅万象で、全ては大きな1つで、すべてはつながっているという、大自然の、大宇宙の、偉大さに、小さなぼくは屈して、その中に吸い込まれ、夜空に続く、流星になったみたい

4.『空と海の輝きに向けて』『瞳を閉じて』
文: ダサワミイロウ

表題の2作に、いつも同じものを感じて、その都度、夢の小舟にのってあの海の香りをかいでいた。それは、とてもフローラルで珈琲と共にいただくカスタードシューのそれのようだった。しおさいに耳をそば立てていると、小瓶が浮かんで潮のながれに手を浸ける。中には手紙が入っていて、今まで知らなかった兄弟の便りが記されている。灯台みたいなあかりが点る頃、それを読んで旅にでる事を決める。
とても切ないようで、旅路と自立のさびしさには、花の咲く彩りがかしこに散らばって、知らない世界にはいって行くその心地よさをあらわしているようだ。港や入江からのぞむ、海の景色はいつもそんな密やかさをユーミンに見ていた。
ココロの風邪を引いた感覚のとき、この2曲を代わるがわるきくことで、そこに旅立って行けるロマンチックな気持ちを差し入れて貰って、なぐさめ。そう、このシュンとする朝焼けやミストの中の湿り気に随分となぐさめられていたのだ。春の季節の魅惑と陶酔まで感じられるこの世界は、今までかんばしさと言うか、ここまで得られる楽曲はなかったし、思春期にあの雰囲気に触れられたのは、とてもしあわせだったとおもっている。
いつか、行事で中海の周りを夜半にあるいていたさいに一艘の舟の腹を叩いて、波頭が白く光っていた。独りで暗闇をあるいてたつもりが、こんな風景を感じることはこの先もうないかもしれない。確信するくらい貴重で、なにかノスタルジーの原点はああいう、舟唄でもないけれど、蝋燭の燈を隠した海潮のさざめきにはあるのかも解らない。あるいは、昔リルケと言う詩人が、『ドゥイノの悲歌』をあらわしたのだけど、その波間を渡っていた気持ちの黒いリュックにそんな文庫本をしのばせていたあの頃。
どこかユーミンの背景に、海。海の中をプシュプシュ飛び跳ねる烏賊のすがたなどあるような。


5.『ベルベット・イースター』
文:  ダサワミイロウ

今年のイースターは復活祭3月31日と言うけれど、この時期にちょうど本当にそんな空をしているこの歌詞の低い空。ぼくのなかでは少し灰色なのだ。しかしながら、けぶった様なその匂いに、なんだか燻製とおなじ松ヤニみたいな感じもして、空の低い日は、決まってとても湿っている。トーマス・マンに、トニオクレエゲルとゆう小説があり、その冒頭の破風屋根(はふやね)だの見知らぬ言葉を調べながらやはり、灰色の空。このツンとした香りが被るのは得てしてドイツの空か。
あとはこの歌をきくたび、ファウストに最初のほうで死を想うファウスト博士に朝が来て、魔術から覚めて天使の聖歌隊らしき声にもう少し人生を先延ばしする段落で、このゴシックなようすをした聖堂の画面が切り取られて、まるであの部屋から黴けた空気がそれで香気を含んでながれて来る。ベルベット・イースターをきいていた頃の体の重さはもう思いだせないほど鈍くよどみにありながら、それでこの曲の湿り気がとても、すっと染み込んだ。カール・ブッセに"山のあなた"の詩が気になって岩波文庫で読み直し、その山を水彩でかいた日も、そうゆうしっとりした天気で、思春期のヴェールは、ユーミンによって、頑張ったらもう、それで良い。囁きながら鎮静のとばりを掛けられていたのだとおもう。なぜあんなに、ふくよかにふっくらとしとしとしていたのかはよくわからない、あの感受性がゆたかで開いていた頃は、まだ祈りや瞑想と言うことばもしらなかったし、まるで精神の洪水が来る前に、ノアの方舟に乗ってココロを救われていたのかも、その自分に会いに行ってあなたは今、しあわせです。と伝えてあげたい。あの自分は素直でまっすぐだったと、春先に空をみておもう。

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