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ストレスには2種類ある

【2855文字】

ストレス

には良いものと悪いものがある
ネズミの実験がある
自由に羽根車を回すネズミは
1日に8㎞走ったが
強制的に回る羽根車に乗せられたネズミは
なんと2㎞走ったところで
体調を壊し続行不能となった
これは4倍のロスどころではない
自由なネズミは翌日も8㎞走るが
強制されたネズミには翌日などない
無限大のロスと言っても良い
人間に置き換えた場合
会社が事細かに決めたマニュアル通り
これに従って朝から晩まで働けば
当然精神や体調を崩すのは必然である
会社は事細かな手段や方法を示すのではなく
労働者にとってより良い労働環境を
ただ準備しさえすればいいだけなのだ
これがなかなか経営者には分からない

かと言って

ノンストレス環境も良くない
以下のような実験がある
実験室にストレスのほぼない空間を作り
複数の被験者に数時間過ごしてもらう
すると多くは自律神経が不安定となり
体温機能調整がうまく出来ないなどした
またその部屋を出る際に
「あなたは転ぶ!」と大声で叫ぶと
被験者の多くがよろけてしまい
中には実際にころんでしまう者もいたという
この研究者はこの事から
ストレスが少ないと
外部からの暗示にかかりやすい
という結論を出しているが
思うにこれは暗示と言うよりは
危機感の消失から来る油断といった
無防備がそうさせたように見える
しかし結果は結果であり
つまり宗教や詐欺の勧誘などにも
警戒感無く乗ってしまう可能性が高いだろう
人間は適度なストレスで
神経を少し研ぎ澄ませる必要があるのだ
そのストレスが良い種類のものであれば
なお良いだろう

病の根源

は全て悪いストレスからだ
そう言い切る医師や大病経験者は多い
外部からの悪い刺激によるストレスが
悪いストレスの全容かと思いきやそうではない
悪いストレスを本人自らが作り
それに翻弄されるパターンもあるのだ
その時代時代の宗教的や
社会的な道徳価値や感情によって
自らを悪いストレスで
がんじがらめに縛ってしまう場合がある
「本来これはこうあるべき」とか
「この様にしなくてはならない」などと
倫理観や正義感を重んじがちな人は
少し気を付けた方がいいかも知れない
望まないストレスを我慢する必要はない
真面目一本槍はある意味大変危険なのだ
しかしそのストレスは自分の意思ひとつで
開放することが出来る
あとは本人がどのように考えるかだけだが
自分の人間らしいほころんだ部分を
素直に見つめ認めることが肝要ではないか

統計

が取れているわけではないし
絶対にそうだとは言い切れないが
印象として風邪をひいてしまうときは
気持ちが緩んだときか疲れてる時だ
ストレスがプツンと途切れた瞬間か
またはストレス漬けで疲れ果てている時
決まって体調は崩れる
皆も覚えがないだろうか
それと同様に
アルツハイマーや癌などの重篤な病も
元々長年に渡る心労があったり
性格が生真面目で几帳面な性格な人に限って
多いのではないかと漠然と疑っている
人は悪いストレスに晒され続ければ
体の抵抗力が間違いなく低下する
またストレスのない無防備な状態も
外部からの攻撃にあがなう術を失う

半面

適度に何かにハマって楽しむ状態は
良いストレスであると言える
趣味を上手く生活に取り入れている人や
元々あった興味や趣味を仕事にできている人
または仕事本来の楽しさを知り
自分なりのアプローチが出来ている人などは
良いストレス下に居ると言っていいだろう
それはどんなストレスかと言うと
自分自身の目的や目標に向かう上で
どうしても通らねばならない場所
普通なら自ら進んでやらない事がある
しかしそこを抜ければ希望が見えてくる
その種のストレスは良いストレスだろう
勿論適度にガス抜きも必要ではある
なので毎日8時間の練習とかではなく
ほんの1時間でもいいのでギターを弾く
当然1日2日では何も起こらない
希望通りの演奏が出来るまでには
きっと数か月から数十年の年月を費やす
あまりにもゆっくり成果が表れるので
普段本人は劇的な成果を感じられずにいる
この毎日の1時間はストレスである
しかし長年続けているうちに
始めたころより確実に成果は積み重なっている
練習はダラダラこなすわけではない
短時間でも一音一音を意識して練習する
練習法を変えたり違う練習を試みたり
練習方法そのものは自由に変更できるが
望んだ演奏はいつも出来ないと感じている
こういったストレスは良いストレスなのだ
このストレスのおかげで自律神経を保ち
適度な緊張感も保つことが出来
適度に覚醒し鋭敏な脳を持続できる
外部の攻撃からも身を守ることが出来るのだ
しかしこれはあくまでも身体にいい方法であって
世界的プレイヤーを目指すための方法ではない
悪しからず

ところが

この良いストレスは見誤りやすい
自分自身が選んで楽しいと思っていても
それが良いストレスとは限らない場合がある
スマホなどはその代表
朝起きて出勤支度の合間や通勤時
仕事の合間や休憩時間
帰宅時や寝るまでの時間
ずっとスマホを見ていれば
必然的に脳は休む事なくずっとフル回転だ
脳を長期に渡り酷使し続ける時
決まって精神は異常を来す
スマホに限らず
ゲームもやはりやり過ぎは良くないだろう
ひょっとするとスポーツもそうかもしれない
スポーツにつきもののトレーニングは
いわば私的身体イジメである
痛い辛いという身体の信号を受けた脳は
それを回避しよう脳内物質に働きかけるが
脳がどんなに頑張っても精神は止まらない
脳をだましながら筋肉を痛めつけ続ける
この様にコンフリクトした状態が長期に渡れば
良いと思っていたストレスも毒になる
スポーツマンは健康だと思っていたら
案外早死にだと思った事はないだろうか
身体をイジメると脳内物質が出る
エンドルフィン ドーパミン
ノルアドレナリン アドレナリンなど
これらが実際の苦痛を和らげる
それどころか気持ちいいとさえ感じさせる
いわゆるランナーズハイだ
ある種のサディスティズムかも知れない
これはナチュラルなヤク中に等しい

脳内物質

を分泌するトリガーは
全てストレスが発動起因となる
身体的に限らず精神的なストレスでも
ちゃんとトリガーになり得る
人の体はストレスを感じると
脳内物質を分泌して脳をだます
しかしこれは一時しのぎであって
根本の解決にはなっていない
良いストレスであろうが
ましてや悪いストレスであるなら
スポーツであれ音楽であれ
仕事であったとしても
適度に気持ちよさを味わったなら
走ることをやめるなり
練習しすぎないようにしたり
今すぐ会社を辞めることをお勧めする
他者と比較せず
むきにならず適当にやるのが
健康を保つにはベストではないだろうか
しかし実際の社会に於いては
なかなか難しい事だとは思うが
何に代えても体が資本である

無我夢中

は英語でエクスタシーと訳す 
ギリシャ語のエクスタシス
という言葉が元になっている
エクスタシスの意味は
外側に立つという意味だ
つまり無我夢中とは
己の内側に入り込むことではなく
外側から己を客観視する事
これこそが無我夢中本来の姿である
勘違いしがちだが
心を己でいっぱいにしてしまう事は
逆にとても辛い事だと知るべきだろう
本当の意味で日々を無我夢中で過ごせれば
それはきっと素晴らしい人生だと
言っていいのではないだろうか