お手伝いさんが家庭にいたころ

女性のキャリア推進と女性に求められる結婚の達成とその後の家事と育児業の負担の問題が叫ばれて久しい。

久しい上に、改善がなかなか出来ないことで女性たちには絶望感が帯びてしまうし、さらに言えばこの背景には女性がかわいく大和撫子的であるべし、と崇拝してしまう社会変化の動きと逆行的な文化的趣向もあると思っているけど、この趣向については自立した強い女性を好ましいと思う日本人男性もいるので肌感覚での推論。。

日本の労働文化とそれを支えた家庭への思い

まず最初に、日本が遂げてきた成長を支えた無言の長時間労働、そして強い帰属団体関係者への忠誠心は、尊敬し、特に労使の雇用関係という概念に留まらず上司や同僚との関係性を自分の属する社会として貢献していく精神は尊重されるべきだと思う。日本の武家文化にその源流があるなら現代の日本でその傾向が残っていて理解できるし、会社が株主のモノであると定義する資本主義概念と相容れないような、会社が従業員のモノという理解があっても、ある国での土着化がその国の文化と融合して独自性を帯びるのは当然のことと思う。

特に、仕事の質について細部まで完璧を追及していく志向は、ある国である日育てようとして一朝一夕に醸造できるものではなく、これは日本の教育水準と教育方針、そして家庭で受け継がれてきた文化の賜物と言えるでしょう。

シンガポールやマレーシアで働いてみるといかに日本人の平均的な仕事の質が高いかよく分かる。教育競争がし烈なシンガポールでは当然優秀な人が大勢いるけども、それでも少数派であるのは間違いなく、エリート以外の現地の人と働くと、ああ日本人と働いてきた自分は幸運だったな、と現地での仕事の質を残念に思うことがままある。

さてそんな日本での長時間労働はやはり体力勝負でもある。日本で働いていたころ、私は8時半から22時まで13.5時間会社にいたけれども、それを40年間続けるのは絶対に無理だと思った。さらに、その頃は会社の中で22時で帰れる自分の部署はラッキーだとも思っていて周囲には毎日もっと働いている人がたくさんいた。男性と同等に働いて当然と思って社会に出たけれど、この長時間耐久勝負で男性と女性がキャリアを競ったら、勝てないなと思った。体の構造の違いで男性の方が優位なのは生物的に変わることのない事実で、長時間労働がある限り、男性が社会で生き残っていくのは当然の帰結。

とは言え、働いていた会社では長時間労働は誰も喜んでいなかったし、周囲の誰もがもっと早く帰りたがっていた。それなのに、仕事を完璧に終わらせない限りなぜかみんな帰らなかった。(ここが凄いところ。)男性だって家に帰りたい。でも男性しか働けなかったら、その労働力を支える人間が必要になれば女性が家庭に入ってもそれも自然の成り行きでしょう。そこで女性が家庭を担ったわけですよね。

ただ、女性がたった一人で家事を切り盛りした時代って実はこの1-2世代なのでは?

お手伝いさん部屋のあった祖母の家

私の実家は父方の祖母の家を壊して新築した家だったけども、祖母の家にはお手伝いさんの部屋があった。その部屋は2畳くらいの狭い部屋だったけど住込みでお手伝いさんが居たらしい。母に聞いたら母方の祖母の家にも母の小さい頃も住込みでお手伝いさんがいたそうな。

ということは、祖母たちが若き母親だった1950年ごろは、家にお手伝いさんがいて女性が一人で家事をしていた訳ではなかったのが日本の平均的な家庭の形だったのかも知れない。(どこかに統計とかないだろうか。)

だとすれば、中流家庭の増大や核家族化の進展と共に小さな家で家族が独立して住むようになったつい最近の世代、1980年代からあとが女性が一人で家事も育児もするようになったのではないだろうか。

そんな最近までお手伝いさんが普通に家にいたのなら、再度お手伝いさんを普及させたって良いのではないだろうか。

シンガポールは住み込みお手伝いさんが普及

シンガポールはお手伝いさんが普及している。近隣諸国から出稼ぎでお手伝いさんとして働きにくる女性たちがたくさんいるからだ。シンガポールでお手伝いさんを雇っている日本人の家庭は、知り合いなどに聞いても「本当に助かる」という感想が多く、家事も育児も大人の手が増えるだけ精神的・肉体的に救われるらしい。

とは言え、やはり赤の他人を自分の家に住ませて食事、洗濯、掃除など自分の所属品を任せるのは勇気がいるし、窃盗などの事件もあるのでお手伝いさんの選択は死活問題だ。それでも普及しているのは経済的にも合理的だし、やはり助かるからなのだ。

お手伝いさんの一般的なコストは給与として払う月額SG$750-1,500(6万円~12万円)にSG$300のメイド税(2.4万円)。つまり、月に手取りで15万円以上の仕事に就けば、家事はメイドさんに任せて女性が働きに出た方がよっぽど効率が良い。

さらに子どもが生まれればシンガポールではお手伝いさんが必要となる背景もある。

シンガポールの育休は4ヵ月

日本では、産休とさらに育休が1年以上というパターンが多くあるが、シンガポールは産休育休含めて全部で4か月(16週間)である。さらに外国人であればたったの12週間という短さ。4ヵ月児から預けられる保育園もあるけれども、月額20万円近く掛かるし、送り迎えの負担もあり、育児は24時間体制なのでお手伝いさんの方がよっぽど助かる。

ただ同僚は、祖父母が同居でもしていなければお手伝いさんだと家の中で監視の目がなく、虐待などがあっても分からないので集団保育しか選ばなかった、と言っていたので集団保育にもメリットがある。

お手伝いさんさんが育ての親という問題も

Nunny(メイド)文化は、働く女性・働く両親になくてはならない助けだ。夫婦が揃って働けて、揃って家事・育児の負担が減るだけで夫婦喧嘩が減るし家庭が平和になる(実際の友人談)。

その一方で、メイドに育児を任せきりによる弊害もある。結局、育ての親として教育方針がメイドさん由来になってしまうのだ。夫婦がバリバリと仕事に打ち込める一方、あまりにもメイドさんに任せてしまうと、子供がメイドさんになつくのも仕方ないし、躾もすべてメイドさんになってしまう。親と子のつながりがDNA以外に何にもなくなる。

結局はバランスの問題で、たいていの家庭は親子の結びつきを保てるけど、お手伝いさんの使い方や責任範囲は、雇用者である夫婦が責任もって決めなければならない。

外国人労働者と社会文化の相反性の問題

同時に、外国人労働者をメイドとして国の仕組みの一部にしているシンガポールや香港は、外国人労働者の受け入れ問題(マクロな社会経済レベルの問題以外にも日常レベルで、外国人の方が日本を働く国に選んで働いて下さっても、まったく生活習慣や文化が違う人があなたの隣人になる時、あなたは不安ではないでしょうか。)そしてより極端な格差社会の問題にも直面している。

香港に住んでいた頃、週末は雇用主の家から出てきたメイドさんたちが屋外に溢れているのを見ていた。メイドさんたちは狭い香港の街で、広場や通行路に段ボールを敷いて、たむろし埋め尽くしていた。彼女たちは給与が低いので、休日を過ごすにもカフェなどには滞在しないし、雇用主の家に住み込みで生活するので、本人自身の家は無いのだ。友人たちと、週に一度の休日を過ごすために段ボールの上に座ってその1日をおしゃべりしたりして過ごす。そういう時、現地の人はホームレスを無視して通行するように、メイドさんたちのたむろの脇をすれ違っていく。

アジアの金融センターとして、英語が通じる国際性も売りに、互いに競い合うシンガポールと香港では金融関係者は年収数千万円、家賃月50万円以上のマンションに住むような人たちがざらにいる。

その裏で、メイドさんやゴミ収集、建設現場など、低賃金外国人労働者たちの労働力によって社会が回って国の経済が支えられていても、現地の人たちにとって低賃金外国人労働者たちはまさに路傍の石、無視される社会の低層階であったりする。社会の中であるグループや個人に明らかな地位と労働技術・経済力に格差があるとき、どれだけその人たちを人として大切に扱えるのだろうか。低賃金外国人労働者の虐待と差別の問題がよく取り上げられている。

格差社会は、社会競争と拝金主義を強めて富める者を富み、貧しい者をその地位に留まらせてしまうと感じている。日本で(既存の格差問題もあるけれども)今の香港やシンガポールが持つような、外国人労働者との明確な格差を内包した社会を自分たちの仕組みとして受け入れたいだうか。

シンガポールにいると、建国55年の若い国はあらゆる生活の仕組みが「合理的」だと思う一方、文化に様式美が存在しないと思うことがある。西洋のテーブルマナーをとっても、社会儀礼など文化儀式には面倒くさいことが実にたくさんある。そしてそれらは経済的な合理性と相容れないことがたくさんある。でも面倒で努力なしには成し得ないから美しいのですよね?!そして真実、日本の文化は美しいから価値があると思う。人はカネのみの為に生きるに非ず、と思うこの異国の地では。

家事と育児の分担には複数の大人が必要

それでも、家事・育児には1人の大人の手もしくは2人でもしんどく、家事専業のエキスパートがいた方がいいじゃないか、というのが現代的な選択だと思う。

少子高齢化で外国人労働者を介護にという話があるけども、同時にメイド制度を根付かせる仕組みを整えるのも早急に始めるべきだと思うし、それを進めてくれる政治家を応援したい。

若い人が日本を愛せる国になりますように。


補足:友人などにツイッターで不満を吐いている働く母親も多くいるけれど、もしツイッターでつぶやいて選挙に行っていないのであれば、民主主義の手段にのっとって変化につながる行動をすべきだと思うので、選挙には行きましょ。


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