今ここにあるもの・いづれなくなるもの

あの喫茶店は救いの場所でした。

現実がどうでもよくなってしまった時
歩道を歩く人々の時間についていけなくなった時
聞こえる音すべてに違和感が拭えなくなった時

そこにいけば心が軽くなりました。
現実が単一な時間の流れをしているとすればあそこは時間の吹き溜まりで、心を修理してまた現実に生きられるようにしてくれる時計屋です。

常連の会話。
彼らの声はとても落ち着きました。
手書きのメニュー表。
コンプリートはかないませんでした。
カウンターから見えるお孫さんの書いた似顔絵。
このお店、経営していたご夫婦はいろんな方から愛されていたんですね。
厨房から見えるご主人。
寡黙でしたが帰る時には一言挨拶してくれました。
ドリンクを運んでくれる奥さん。
笑顔を振りまくのでない落ち着いた優しさ、本当に素敵でした。
白煙をあげるのはご飯とたばこ。
昼時の店内は少し煙たくて今思うと、それは予兆だったのでしょうかね。



あの喫茶店は思い出になってしまいました。

奥さんの作るココアはもう飲めなくなりました。

あの場所は黒焦げになっていました。

店先に初めて花を添えました。


本当に別れは突然で。
時間は残酷に私たちを変化させていきます。


本当に今まであの場所にはたくさん救われてきたのです。

でも私はこのような別れへの治癒方法を知らなくて、あの喫茶店はこのまま思い出のワンシーンになり霞んで忘れていきそうです。
今の悲しみや寂しさはなくなりますが、それでいいのでしょうか。

退廃的な時間の供物として通り過ぎていいのですか。

すべてはいつかなくなり腐って朽ちていく。
今存在するものには愛を、亡くなったものには感謝と労りを。
この法則に助けられたり、たまらず嫌になったり。


今まで本当にありがとうございました。

あまりうまくまとまりません。
また心の整理がきちんとついた時には書かせてください。

松澤





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?