マガジンのカバー画像

身辺雑記

16
自分の身の回りに起きたこと、自分が感じ考えたこと、また過去に書いた自分のメモ書きをリライトして掲載していきます。
運営しているクリエイター

記事一覧

身辺雑記:腹回りが・・・

 先日投稿したように、11月11日開催の故郷での「古希を祝う会」に出席することにした。  そこで定年後放置していたスーツをクリーニングに出した。  クリーニングから帰ってきたスーツを試着して驚いた。  腹回りがきついのである。  太ったのだ。  体重計に乗ったらなんと4kgも太っていた。  筋肉は落ち、脂肪がつくという最悪のパターンである。  彼女が亡くなってからただ泣き濡れているだけで何もしないで無為に過ごす日が増えた。というより、日々何もしないで生きている。  not

身辺雑記:故郷へ

 妻が亡くなって早いもので1年と2ヶ月たった。あっという間である。  どうするか迷っていたことがある。  コロナ禍で延期されていた中学の同級生による「古希のお祝い会」への出席である。  コロナ禍の前から田舎には帰省していなかった。それは彼女の病気があったからだ。  彼女の闘病生活は5年続いた。  発見された時にすでにステージ4であった。リンパ節と肺に転移していた。肺の5分の4はすでに冒されていた。原発の甲状腺ガンと転移していたリンパのガンの切除には無事に成功した。しかし

身辺雑記:最初の東京の住まい

引っ越した。 人生の大半を過ごしてきた東京を離れることにした。 彼女が亡くなってから半年ほどはとにかくいろんな残務処理が残っていて大変だった。それを一つひとつ片付けていかなければならないので、ある意味気が紛れていた。しかし、それが一段落した途端に悲しみと寂しさが襲ってきてへたり込んでしまった。 毎週1本は書こうと思っていたnoteからも完全に離れてしまっていた。書く気力も、また他の方の原稿を見る気力もなくなっていた。 先日のつぶやきで書いたように「学生結婚」についての文

学生さんからのメールへの返信➖親子関係➖(2)

前回の続き 「突然ですが、反抗期と子離れ、そして親離れについて先生のコメントをいただきたいのです。・・・」 という、学生さんからのメールに対して、答えにもならないメールの返事を書いた。今回は、その続きである。 いずれにしても、中学に入ってからは子供と本格的に向き合いました。時間もとりました。以下、私が意識的にやったことを書きます。 1)長男が精神的にすごく不安定で、母親や次男とよく揉めていました。それで仲裁に入り、長男自身が納得するまで時間をかけて話しあいました。そう、

学生さんからのメールへの返信➖親子関係➖(1)

ここ1ヶ月以上、noteから離れている。自分が書かないだけでなく他の人の投稿も読んでいない。時間がなかっただけでなく読む元気もなかったからだ。 体調がすぐれないのもあるが、喪中はがきを出したことで妻の早すぎる死に戸惑った人たちからの電話であったり手紙だったりへの対応に追われていたのもある。香典を送ってこられる人もいたので、そのお返しと返事も必要だった。それが結構しんどかった。 心のこもったお手紙をいただくと、それでまた涙していた。 noteのコメント欄でも大丈夫ですかと

身辺雑記:体調が最悪

明日は、11時半に来客の予定である。 しかし、全然寝付けない。 この頃毎日のことだが、寝付けない。ウトウトはするのだが、すぐに目が覚める。その後はいろんな想念が湧き上がり、寝付けない。 結局、夜中の3時とか4時に諦めて睡眠導入剤を飲む。 昨晩もそうで、ウトウトはするのだが、その後はしっかりと覚醒した。急な冷え込みで頭痛もひどかった。 諦めて起き上がり、トイレに行き、そして、頭痛薬のイブと睡眠導入剤を飲んだ。結局、それでも寝付けず、追加で睡眠導入剤を1錠飲んだ。 午前10

身辺雑記:やっとギブスがとれた

左手中指の折れた骨と切れた筋をつなげるためにしていた指のギブスが、ようやくとれた。お医者さんから完治まで1ヶ月と言われ、えっ、そんなに時間がかかるのかと事故った時には思ったが、実質は1ヶ月以上かかってしまった。 ギブスがとれたら一挙に元の生活に戻れるのかと思ったら、そんなことはない。相変わらず不自由な生活である。相変わらず痛いし、その上、ギブスが取れたというのに指がよく動かない。 ギブスをしている時の大変さ、不自由さについては下記の記事で書いた。特に手袋に指が入らないので

身辺雑記:約50年前のヨーロッパ一人旅にいくらかかったのか

大学3年生の夏に2ヶ月半のヨーロッパ一人旅をしました。1973年の夏のことです。前期試験を終えて、8月になってすぐに出かけ、すっかり涼しくなった10月中旬に帰国しました。 当時の渡航費 まだ海外旅行が一般的ではなく、航空運賃も高かった時代です。その時、ヨーロッパ往復は、飛行機だと100万近くしました。私の通っていた私立大学の年間授業料が8万円でした。その10倍以上はしましたから、その運賃の高さが想像していただけると思います。 私がこの3月まで勤務していた大学の授業料はお

身辺雑記:不自由な日常

自転車の自損事故を起こしてから3週間が経った。 下り坂の角で自動車と危うく正面衝突しそうになった。何とか回避したが、その時転倒し、右膝、右の脇腹、そして、右肘をひどく打ち、打ち身と擦り傷を負った。左手が擦過傷をおい、左手の中指が曲がったまま伸びない。痛みがとにかくひどかった。 一晩寝ても痛みが全然引かなかったので、翌朝整形外科に行った。痛みがひどかった左手と右脇腹のレントゲンを撮った。左手中指は骨折していた。ギブスをするためにお医者さんと看護婦さんで曲がっていた指を伸ばさ

身辺雑記:何とか生活の立て直しをしなければと思う日々

妻が亡くなってから2ヶ月以上たった。いろんな意味で失速している。日々何とかかんとか生きているだけで、やらなきゃいけないこともなかなか処理ができないできた。当然のことながらnoteへの投稿も出来ないできた。 今日ようやく彼女の年金関連のこと、それから健康保険からの退会届けや健康保険証の返却などの手続きを終えた。つまり、関連書類を集め、手紙を出したのである。多分、これで彼女が亡くなったことで処理しなければならない仕事は終わったのではないかと思う。 もちろんまだ大きな仕事が残っ

身辺雑記:元同僚の先生に焼香に来ていただいた

元同僚の先生に焼香に来ていただいた。 妻がガンで闘病中だということを知っておられ、毎年、秋になると大きな梨を送ってくださる。今年も先週、大きな梨が届いた。一人で食べるには多すぎる。彼女のための配慮である。 卒業生からの贈り物などもすべての礼状は彼女が書いていた。彼女はいつも丁寧に返事を書くので、私からの手紙よりも喜ばれていた。今年も彼女の病気を知らない人から定年のお祝いやお中元などが届いた。まだ放置してある。 立派な梨をいただいたのだから礼状を書く必要がある。 しかし

身辺雑記:蟷螂の斧とは

「介護生活:蟷螂の斧1」を、先日、投稿した。 ガンという大敵に対してほぼ絶望的な状況にありながらも、一縷の望みをもって戦い続けている彼女の姿勢、ファイティングポーズを崩さない彼女の姿勢を示すための言葉として選択した。 ということで、本日の身辺雑記は、この蟷螂の斧についてである。 なぜ蟷螂の斧?初めてこの言葉を目にしたのは、多分、かわぐちちかいじの『沈黙の艦隊』というマンガだと思う。そういうおぼろげな記憶がある。ゼミの学生さんが読んでいた雑誌を借りて読んだので、どの巻のタ

身辺雑記:オックスフォード大学で博士号を取得した友人について

クイーンのブライアン・メイが、60歳にして天体物理学の博士号を取得したということについて投稿しました。 博士号つながりで、今から30年近く前の思い出を書きたいと思います。 オックスフォード大学でPh.Dを取得したのに、大学の先生の道ではなく他の道を選んだ、大学院の後輩についてです。 在外研究先決定のために私が勤めていた大学では、在職中に長期1年と短期半年の、計2回の在外研究が認められていました。国内留学でも国外留学でも可でした。 私の1回目の在外研究、つまり、長期留学

身辺雑記:岩手県立高田高等学校のみなさんへ

岩手県立高田高等学校さんから、私のnoteに対して「スキ」をしていただいて驚いています。まったくの予想外だったからです。 ありがとうございます。すごく嬉しかったです。 急遽、返礼の投稿をしようと思ったのですが、介護疲れで頭がうまく廻りません。 ごめんなさい。 お返し返礼として、先月(6月)、同じ高校生宛に書いた原稿を、少し手直して掲載したいと思います 元原稿は、母校(熊本県立人吉高校)の100周年記念誌(2年後の2024年発行、在校生に配布)へ寄稿したものです。