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#1実は体操をやっていました

 普段なんか取り留めもない、よくわからない記事を書いているわけですが、何となく自分が学生時代に打ち込んでいたものについて書こうと思います。
 
 こう見えて実は高校3年間、大学4年間の通算7年間、体操競技をやっていました。高校でインターハイ2回、大学で全日本インカレ(2部)2回出場していて、国体の県代表も6回?くらいされています。
 
 小さいころからやっていたと思われるのですが実は体操を始めたのは高校からです。体操を始めようと思ったきっかけは・・・うーん。という感じです(笑)
 
 小学校ではお遊びの卓球クラブ。中学では万年ベンチにも入れない野球部員でした。おまけにそんなに勉強も出来ないのでこのままでは将来困ると思って工業高校の電気科に入ることにしました。
 
 高校でも野球か?と思ったのもあるのですが、中学の時の野球が辛すぎたのと高校は硬式ボールといってものすごい固い球を使うため、当たると痛そうだと思ってやめましたね。それで入学当時考えていたのは陸上部に入ることでした。というのも自分は野球部だったくせにずっと走らされていたので持久力に多少自信があったからです。ですが入った高校の陸上部は何だか強いらしい。という情報を得た時「うーん、大変そうだな」と考えて見学にすら行かなかったのを覚えています。
 
 そんなやつがどうして急に体操を始めたのか?というと単純に体操の器具が並んでいる体育館を目の前にして「なんだか楽しそうだ」と感じたからです。これは直感的に昔遊んでいた公園の遊具に近いものを感じたのかもしれません。ゲームを買ってもらえなかった私はもっぱら公園で遊ぶっていうのが日課になっていましたからその影響が出たのかもしれませんね。
 
 でも私はそもそもバク転も、逆上がりも、跳び箱も飛べませんでした。
 
 最初に体験入部したときにやったのがトランポリンでした。多分先生も楽しい事から始めて欲しいみたいなこともあったのでしょう。中々お目に掛かれないデカいトランポリンでぴょんぴょんするのが楽しかったのを覚えています。
 
 体操をやっていた人ならわかると思いますが公立の工業高校の体操部に男子体操の器具6種とトランポリンが置いてあるなんて言うのは結構凄い事です。細かい話は分かりませんが、前任の顧問の方がなんかうまくやったみたいです。あと、競技人口が少ないのも幸いしてわりと結果が残しやすい競技でもありますしね。
 
 そんな私に体操を教えてくれた先生は私と同じタイミングで高校に赴任してきました。前は東京の高校で体操部の顧問や大学のコーチをしていたらしく、いろいろ結果も残している人でした。そんな人が来たタイミングで私はその先生から体操を教えて貰うことになります。
 
 体験入部を1週間くらい続けているある日、入部の有無について顧問からどうするか聞かれましたね。要するにきちんと体操部に入ってから、いろいろ教えないと安全上の問題があるとかなんとかって話ってやつです。
 
 早速家に帰って親に体操部に入ろうと思うと報告すると、反対されました。まあ、わかりますよね。自分の息子は今まで運動で優れている点が無い。だから急にそんなことをはじめたら怪我をするかもしれない。なんて親は思うでしょう。だから反対されました。
 
 でもその反対を無視して私は体操部に入部しました。今までと比べて断然楽しかったからです。楽しいという表現が適切でないのであれは「先生がちゃんと大人だったから入部した」というのが今の表現になります。小学生の時はお遊びの卓球なので和気藹々でしたが、中学は顧問の先生とコーチが「うまい子」だけに教えるというスタイルで下手な子は見捨てられていました(・・・というよりも部内のいじめも黙認されていましたね)
 
 私は中学3年間で野球部に所属していたのに、野球を全く教えて貰えなかったのです。
 
 まあ、自分で上手くなろうともしなかったのもあるのですが、うまくなるためにどうしたらいいか?という指導もありませんでした。「おまえは体が小さいから全然だめだ」という指導じゃなくて身体的特徴を揶揄したりその部分だけを指摘するだけで終わってましたね。
 
 ですが高校の顧問の先生はきちんと教えてくれました。トランポリンの飛び方、受け身の取り方から色々と。「まずは体力作りだから1年は外走ってこい!」なんてことはしませんでした。てっきりそういうのが有るのかと思ってましたからね私は。
 
 そこから先生との対話。大人との会話を始めることになります。何も取り柄のなかった私が徐々に出来ることが増えていきました。なによりも練習の仕方を教えてもらえるのが凄く楽しいし、嬉しかったのを今でも覚えています。確かに練習はきつかったです。後半は「なんで体操をやってるんだ?」くらいにまで追いつめられることもあるのですが、ここでやめたら自分には何も残らないって思って懸命にやっていたのかもしれません。

 まあ、とにもかくにも私は体操部に入部しました。人数は6名。3年生1人、2年生0人、そして私達1年生は未経験5人です。人気のない競技ですし、難しい競技でもあるので体操部っていうのは大体人数が少ないもんです。
 
 で、入部してから始まったのが基礎の基礎。柔軟と筋トレですね。これを毎日、毎日続けます。というよりもこれがメインでもあります。とにかく見様見真似。そして痛いし、きつい。でも、自分は教えて貰えてるって感じがして何か楽しかった気がします。
 
 体操競技という物について少し説明すると男子は6種目、女子は4種目有ります。それでほぼ100%ですが体操をやったことが無い人に「体操やってた」というと「何の種目をやってたんですか?」と聞き返されます。
 
 答えは全部やっているになります。男子6種、女子4種全部やってその合計得点で競い合う競技です。当時はまだ10.00点が最高得点でしたので男子60.00満点、女子が40.00満点ということになりますね。
 
 体操競技の難しい点というか取っつきにくさはそのルールも複雑なこともあるのですが、第一に言えることは「試合に出るための基礎を作り上げるのに時間がかかる」ということです。
 
 例えば床でのバク転やハンドスプリング、鉄棒でのいわゆる大車輪(本当は車輪です)は未経験者から見ると大技のように見えますが体操競技においては「できて当たり前」になります。というよりこれらが出来て、そこにさらに技を上乗せして競い合うわけですからね。そりゃそうです。
 
 サッカーや野球、バレー、バスケなどといったメジャーな運動と違う点はここにあります。他の競技は何となくでいいのであれば試合っぽくできます。昼休みとかに気軽にできますしね。ですが体操のような競技は場合そういきません。実際私も「試合」になるようになるまで1年以上かかりました。それまでずっと基礎練習です。普通は飽きて他のスポーツに行きますよね。多分フィギュアスケートとかそういうのも似たような感じなのかもしれません。
 
 それで、入部して1か月後に地区大会が有ることを知ります。高校は地区大会→県大会→全国(インハイ)というステップになります。当然ひと月では何もできませんが、先生は試合に出すということを私たちに伝えました。理由としてあるのは、体操は年間を通じた試合数が少なくそれに慣れる機会が少ないのです。

 ここで出ないと次は新人戦と国体予選しかありません。ですが地区大会へでれば人数が少ないのでそのままスライドして県大会に行けます。つまり年間の試合数が最低4試合になるんですね。それと試合の雰囲気の経験を積ませるために出したのもあると思います。
 
 ですがねぇ、初試合は結構惨めとうか、悲惨というか・・・(笑)
 
 そりゃそうなんですよね、鉄棒とか吊り輪とかでは何もできないからスイングして終了。得点は1.00です。かろうじて床を何となくやって、跳馬は跳び箱みたいに開脚飛びをしました。合計得点は確か13.00くらい?出たのかな。でもまあ、周りの審判も選手も「未経験がやっている」っていうのを知っているので笑う人は一人もいませんでした。誰も私たちのことを馬鹿にすることが無かったのを覚えています。
 
 そしてそこから時間が経過していくとだんだんできることが増えるようになってきました。と同時に部員も減り始めました。
 
 練習自体、理不尽な苦しみはないのですが、正統な苦しみが有ります。顧問の先生は厳しいですがその厳しさは怒鳴るとか暴力を振るうといった昭和の厳しさではありません。淡々と次に何が必要になるのかまでを計算に入れた練習を次々とさせました。

 その結果、何が起きたのかというと休みが消えました(笑)冗談抜きで1週間休みなしです。夏休みもお盆の数日と年末年始?かな休んだのは。ほぼ毎日練習でしたね。それが3年間続きました。
 
 なので私、高校生の頃に私服を買ったことが有りません。別におしゃれに興味が無いとかそういう話ではなく、本当に学校と部活に行く以外の用事を入れることが出来なくて、外出する必要が無かったんですよね。
 
 初めて私服を買ったのは車の免許を取りに行くとき「私服ないじゃん」って話にになって親にお金をもらって近所で買った記憶が今でも有ります。
 
 こんな感じだと普通の高校生ならまず辞めます(笑)きついっすもん。カラオケとかそういうのとか、彼女とか作って遊びたいですよね。周りがそうなんだから。
 
 そいで、ここまでの話は思い出話でよく他の人にするのですが、その時に必ず言われるのが結果が出ているからか「○○には体操の才能があったんでしょ」とか言われます。
 
違います。
 
 現に辞めていった私以外の同期の方がはるかに体操がうまかったです。バク転も逆上がりも最初から出来ていましたし。何ならそのうちの一人はブレイクダンス経験者ってこともあって動きもしなやかでした。持っていた才能という点において言えば大学でも私よりももっとうまい人が沢山いました。
 
 私は本当に何にも出来なかったんですよね。でもそれでも続けていけたのは今までになかった自分の変化を感じることが出来たからですね。いわゆる成長を感じたわけです。出来なかった逆上がり、そしてバク転などが出来るようになってきます。というよりも出来るように顧問が教えてくれたからです。結果が出たのは「顧問の先生が優れていた」と私から見ればそれだけの理由です。
 
 しかしその中身を少しだけ気質で覗いてみると、私は憂鬱質に寄っている胆汁質ですが先生は粘液質寄りの憂鬱質でした。その根拠は3年間、怒鳴ったりせずに常に冷静に私に色々と指導してくれた点もありますし、質問や出来ないことを聞いたときに「ごまかすことなく全部説明してくれたから」です。
 
 スポコンものでよくある押し付けの精神論や根性論を一切出してこなかったのです。
 
無論、これらのことを否定するわけではありません。精神論や根性論はあります。有りますがそれは押し付ける物ではありません。自分自身の内から湧いて出てくるものが精神論、根性論です。
 
 一方中学の時の顧問とコーチは完全に多血質・胆汁質でした。だから怒鳴って、力でねじ伏せて本当に理不尽な練習を強いてきます。
 
 例えばバッティング練習の時の話になるのですが、レギュラーが中心に練習を行います。私達のような補欠は球拾いです。3時間くらい。それでレギュラーの練習が終わると私たちの番に回ってくるのですが。打てる球数は10球です。ストライクじゃなくても10球です。球を投げてくれる先輩はへとへとなので早く終わらせようとしますよね?どうせ補欠なんだから。
 
なので、どうするのか?というとわざとボールをぶつけてくるわけです。そっちの方が早いですからね。まあそれを黙認して顧問・コーチはまだ練習も終わってないのにグランド脇で煙草とコーヒーを楽しんでいたわけですけど。
 
 相当理不尽だと思いますよね?思うかもしれませんがその理不尽さを貫きとおせるのがまた多血質と胆汁質の強みでもあります。基本的に罪悪感が有りません。自分の指導で生徒が付いてこられないのは「練習や勉強をしない本人だけが悪い」と切り捨てることが出来るからです。

 現に中学の顧問はたまーにヒステリック気味に生徒に暴力を振るってました。今だったら教育委員会行きだと思いますけど。ようはブラック企業の社長がなんで成り立つのか?と聞かれればそれは胆汁質だから成り立つんだよって話です。
 
 ですが、反面、これは感謝しなければいけないことである。とある人は言いました。それは中学の顧問とコーチがそういう対応をとったから、私が野球に未練を残さず、すっぱりとして体操の道を選べたってこともでもあるからです。まあ、皮肉にしか聞こえないかもしれませんが。
 
 先生は3年間、私と体操を通じて対話を続けてくれました。これは今まで出会った大人達には無かったことです。その結果・・・・別に結果が出なくともいいと今思えばそうなのですが、やっぱり賞をとったり、何か記録を出したり、代表に選ばれたりってことはうれしかったですね。
 
 ですが、私がこの高校生の時に学んだことは体操がうまくなって賞をもらうとかの方ではなく、むしろ「大人が子供に対して向き合う態度」であると思っています。賞や代表になれるのは一握りです。取れない事や代表になれない人の方が多いです。ですが大人が子供に対する態度、諦めない姿勢、そういうのは誰でもできます。
 
 と同時に。
 
「どうして同じ〝先生〟なのにこうも結果が変わったのか?」ということに対する私の中で明確な答えが出たのは私が気質と色彩を学んでからでした。「そうか、そういうことなのか。だから結果がかわったんだ」と。
 
 なぜ、自然に対話が出来たのか?というとお互いに憂鬱質の部分をもっていたので、お互いの言葉を理解することが出来たからです。
 
 ここまでは高校の話になります。この後に大学に行って私は後輩に体操を教えることになるのですが、その時に言葉が通じずあまり体操を教えられない人たちが出てくることになります。この答えも単純です。私は胆汁質なので憂鬱質と多血質、胆汁質の言語を話すことが出来るのですが、粘液質の言語を話すことが出来なかったんです。
 
今、振り返ると「確かにうまく教えてあげられなかったのは粘液質だな」って痛いくらいに思いますし、若干後悔もあります。
 
そういうことの続きを書いていこうかなと思います。

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