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バッドニュースとグッドニュース:2019年参議院選挙の雑感 #参院選2019 その2 『グッドニュース』

1:
2019/07/22。
2019年参議院議員選挙の結果をみて、『バッドニュースとグッドニュース』だと思ったことを、『バッドニュース』の方から先に書いた。
https://note.mu/matsuda_take/n/n0984e2f1f67e

今回は『グッドニュース』とそれにまつわるエトセトラを書きたい。

2019年の参議院議員選挙に先立ち、山本太郎が『れいわ新選組』という急造チーム的政治団体を作り、『一票の格差』の問題の関係で今回導入された『特定枠制度』を利用し、舩後靖彦氏・木村英子氏の2名を当選させ、国権の最高機関たる国会へ送り込むことに成功した。
重度の身体障碍を有する両名が立法府に登場することは、おそらく世界の政治史的にも稀なことではないか、と思った。
これぞ『グッドニュース』と言わずにいられない。

人類の歴史の中で、時に『日陰者』『お荷物』扱いされ、種々のヘイトクライムなどの差別、そしてジェノサイドの対象として真っ先に殺されてきた障碍者たち。
2019年の参議院議員選挙で、ようやく立法府が『五体満足な健常者』で構成されてきたという一種のいかがわしい現実のうえに成り立っていたこと、障碍者などの所謂『社会的弱者』が一種のロビイストとしてロビー活動をやったり、社民党や共産党などの既存の勢力の枠組みに乗っかって自らの主張を訴えるしかなかったこと、そして、結局『社会的弱者』は政治の世界ではどの党派を通しても当事者に成り得なかったという現実に多くの人々は気づいたのではないか。

2:
筆者が気に入っている表現のひとつに『現実(リアル)・現状(デフォルト)の書き換え(アップデート)』という表現がある。
これは一色登希彦氏の漫画『日本沈没』(原作・小松左京)にあったが、今回の舩後・木村両氏の立法府デビューは、まさにこれだ、と思ったのである。
『五体満足な健常者』が前提であった立法府と、どちらかといえば置き去りにされ、時に党派や政治勢力に利用されるだけであった障碍者たちが、ついに『当事者』として立法府に立つ。
そのこと自体、『みんな違ってみんないい』『愛は地球を救う』などと口でもっともらしい美辞麗句を並べて『弱者』を利用してきた私達の目に、『弱者』を置き去りにしてきた現状(デフォルト)を叩きつけ、政(まつりごと)の世界が『健常者』のものとなってきたという現実(リアル)を一気に書き換える(アップデートする)ことを私達に否応なく迫っている。

それは、ど素人である私達だけでなく、多少なりとも政に関心があり、『弱者』寄りと目されてきた『左派・リベラル派』の論客やいっぱしのインフルエンサーであっても例外ではないはずだ。

3:
参考までに、ここでひとつの話題を紹介しておく。
上に述べた、『現実・現状の書き換え』を迫る事例である。

https://note.mu/ryangyongsong/n/n99ecded71b6d

かつて筆者は別のアカウントでツイッターを利用し、一部ユーザーとのトラブルからアカウントを閉鎖しているが、当時フォローしていたユーザーが舩後・木村両氏の立候補を否定するような投稿を行なって、各方面から非難を浴びることとなった。
そのユーザー(『ろば』氏)は『国会クラスタ(ウォッチャーであり一種の「仲間」「グループライン」のようなもの)』を構成するメンバーであり、他のユーザーからみれば時にリベラル的とみられることもある。
そのような人でさえ、『障碍者の政治参加の否定』
『障碍者や難病患者に対する差別・偏見』につながることを発言したり投稿したりするのである。
これは、私達の日常生活の中で差別や偏見が自然なものになっていることの一端だと思うべきである。
山本太郎氏の中にも『計算』とか『算盤勘定』とかいうものがあったのかもしれない。
それでも、彼が自らよりも舩後・木村両氏の当選を優先させ、『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』という諺のような行動を取ったことで、左右リベラルといった思想信条に関係なく、私達は『現実・現状の書き換え』を迫られているのである。
東日本大震災・福島第一原発事故と同じくらいの感覚で今回のことは考えていくべきではないか。

おふたりの当選を受け、参議院は速やかに受け入れ態勢を整えることとなった。
それは、根回し云々とか山本太郎氏の責任云々とかいう『寝言』ではない。
「できるかな?じゃねぇんだ!やるんだよ!!」が自然な感覚なんじゃないか?
個人的な印象でしかないが、今回炎上した『ろば』氏に限らず、『国会クラスタ』は国会ウオッチングを続けていく中で、ヒトの直感的な感覚というものをどこかで軽視していたんじゃないか、正論を振りかざすのは結構だが言葉よりもリアルに行動を起こすことが人々のハートを揺さぶるという現実を忘れてはいなかったか、と思ったのである。

数年前には、相模原で障碍者に対するヘイトクライムとしての大量殺人が起きている。

それではいけない、もはやこの国の持続可能性が問われ始めているのだ、と思う必要があるのではないか、と問われることになる始まりが、2019年7月21日だったのだと思う。
#参議院選挙 #山本太郎 #れいわ新選組 #国会 #参議院 #国会クラスタ

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