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祇園の屋形(舞妓さんが住んでいるところ)を訪問した話

 先月2月の後半ですが、京都に行ってまいりました。この京都訪問の目的の一つは、自著の京都の書店へのセールスでして、そのことについてはすでに記事にしております。記事のリンクを下に貼っておりますので、僕の自著を売るための、聞くも涙、語るも涙の奮闘ぶりをお読みいただけたらうれしいです。

 そしてもう一つの京都訪問の目的は、祇園甲部のとある名門の屋形を訪問することでした。とは言いましても舞妓さん達の生活の場を直接訪れた訳ではなくて、屋形内にあるバーを訪れてまいりました。
 祇園の屋形はなじみのお客さんをもてなすために、バーやスナックなどを併設しているところが多いのです。
 「舞妓さんちのまかないさん」というテレビアニメ化もドラマ化もされた小山愛子先生の漫画作品をご存じでしょうか。こちら見ますと仕込みさん、舞妓さん達の祇園の屋形での生活のことだけでなく、屋形内に併設されているのバーの様子も描写されております。
 
 待ち合わせは祇園のバー  ル・プーです。ここのオーナーの武田さんは祇園でとても重きをなしている方で、この方のご紹介があったからこそ僕は祇園で遊べるわけなのです。

ル・プー
この門を入って、小路の先に……、
ル・プーの玄関があります。
古都京都にふさわしいバーです。
ル・プーのバックバー

少し曲がって撮ってしまいました(^^;
窓の外は白川です。
春は桜がきれいです。


 しばらくすると、東京の日本橋本石町のバープロローグのオーナー藤本さんもいらっしゃいました。プロローグは僕が時おり寄せていただいているバーです。そして武田さんをご紹介して下さったのがこの藤本さんなのです。
 藤本さんのご実家は東北の地元で非常に力のある会社を経営されています。藤本さんは時々その東北の地元にも顔を出していらっしゃるようですが、彼の活動はもっぱら東京が主体となっているようです。    
 このバープロローグのことは、「真冬のモヒート」「カクテルアメリカーノとカルーセル」の二つの記事でご紹介しておりますので、ぜひともご一読下さい。

バープロローグ

 藤本さんととりとめのない話をしていると、祇園甲部の舞妓さん槇沙子さんがやってまいりました。

この写真は去年の6月のものです。
重厚な装い。圧倒されます(^^;
これは当日の写真です。
美人です!
お見せ出来ないのが残念です。
かんざしは2月ということで梅です。
かんざしは毎月変わります。

 2月ということで梅の花をあしらったかんざしを挿していました。素敵な装いです。春はもうすぐそこです。

 白川は桜とばかり名は立つも 今にほへるはかざす梅かな

 桜で名高い白川
 春は白川   
 でも今先んじて
 そのほとりに咲くのは
 髪にかざした梅の花
 美しく輝く

 槙沙子さんを交えて少し飲みながら過ごした後、いよいよ目的の屋形のバーへと移動します。そこが槇沙子さんの住まいでもあるのです。

 ルプーを出ます。藤本さんだけでなく、武田さんも一緒に来て下さいます。四条通りを渡り、花見小路に入ります。

一力亭

一力亭の門の前を通り、さらに脇の小路に折れていくなどすると、目指す屋形に着きました。槇沙子嬢にとっては、「ただいま」です。

屋形の一部外観

 京の町屋造り。玄関は引き違いの格子戸。よく拭きこまれた連子窓。2階の窓には簾がかかっています。

 玄関の格子戸を開けて中に入ると、明るい照明の下に土間が広がります。土間には鈍い光沢のある藍色の敷瓦が敷き詰められています。
 向かって左側に艶やかな光沢の無垢材の縁甲板の式台があり、玄関の間とは襖障子で仕切られています。襖障子が少し開いていて畳敷きの玄関の間が覗けます。玄関の間も明るい照明が灯っていて、真新しい青畳が目に鮮やかに映ります。
 正面を進むと一段上がってバーがあります。バーには靴を脱ぐことなくそのまま上がれます。
 和風のバーです。白木のカウンター、バックバーには白木の舞良戸がしつらえてあって、中のお酒は隠されるようになっています。確かに和のバーでは、バックバーのお酒は見えない方が落ち着いた雰囲気になると思います。
 
 女将さんが迎えて下さいました。女将は屋形のおかあさんであり、一番上のおねえさんでもあります。
 白鼠色(しろがね色)の着物を瀟洒に着こなし、凛とした雰囲気の美しい人です。なんかピノキオが仙女様の館に初めて迎え入れられて仙女と対面した時のことが思い出されてきました。

 武田さんが僕のことを古文で書く作家と紹介して下さいます。その実は作家とは名ばかりの本を出しただけの一般人に過ぎず、気恥ずかしいのですが、訂正するタイミングを失ってしまいました。
 持参の自著「苔の下道」を女将に献本いたします。武田さんが女将に本の説明を始めました。

 「話の内容は現代の恋愛小説なんやけど、それを古文で書いてはるんです。見ておくれやす。右ページが古文、左ページが現代文ですやろ。現代文はわりとすらすら読めますねん。で、現代文で気になるとこあったら右の古文見たらよろし。へえ!? 古文ならこんなんなるかあ思うてけっこう面白く読めますえ」 実は一昨日京都入りした晩、武田さんに挨拶をしにル・プーに行った時に、僕の本を武田さんに差し上げていたのです。それを一日でほとんど読んで下さったんですねえ。こんな読みにくいめんどくさい本をよくたった一日で読んで下さいました。武田さんありがとうございます。 

 まずはシャンパンで乾杯することにしました。武田さん、「泡出づる葡萄(えび)の酒ですな」 こちらを見てにやりと笑います。これぞまさしく僕の本を読まなければ出てこないセリフ! ほんまもうこれ以上泣かせること言わんといて! うれしや、ありがたやです。

 カウンターの中で、クルーネックの苔の下道色(笑)のセーターを着た細身の色白の美人が女将を手伝っています。なんでも元ここの舞妓さんだったのですが、舞妓さんを辞めた後も時々こうして手伝いに来てくれているということだそうです。
 槇沙子嬢が話をふります。
「ねえ、ほんまきれいな人ですやろ」
 頷いておりますと、苔の下道色セーター嬢が返します。
「槇沙子ちゃん、休みの日に髪の毛解いて普通の格好してもすごい美人なんですよ」
 槇沙子嬢は去年の都をどりのパンフレットで見開き2ページの特集が組まれるほど、今や祇園で1,2を争う人気の舞妓さんなのですから、さもありなんと思いました。
 しかし興味を惹かれますよね。舞妓さん姿から普通の女の子の姿に戻るとどんな様子になるんだろう? 「魔法が解ける」そんな感じに例えられるかもですね。

 すると芸妓さんがお客さんを一人連れてお店に入ってきました。芸妓姿ではなく普通の和装です。この芸妓さんは去年の都をどりで槇沙子さんと並んで笛方を務めていた槇子姐さんです。
 これで四人姉妹が揃いました。谷崎潤一郎の「細雪」みたいですよね。しかし細雪の世界というよりも、唐宋伝奇集に出て来そうな美しい仙女達が集う別世界という感じです。果たして僕は元の人間世界に帰れるのでしょうか? 帰ったらすっかり年を取ってしまっているかも知れません。(笑)

 気がついたらシャンパンのグラスが下げられて、目の前にオールドパーの水割りが出されていました。これは藤本さんがこのバーに入れているボトルです。さすが藤本さんは祇園に相当慣れていらっしゃる方だということがわかります。

 僕の母方の曽祖父と祖父は昔ここ祇園で遊ぶこともよくあったそうで、お茶屋さん遊びも時おりしていたとのことです。また祖母の妹(僕の大叔母)は、昔木屋町にあった「釘抜亭吉岡家旅館」に嫁いでおりました。

今は無き木屋町吉岡家旅館
高瀬川のほとりに建っていました。
皇室御用達の宿でした。
吉岡家旅館のほとりを歩く芸妓さん

 そこには宴席のため芸妓さん舞妓さんがたくさん出入りしていたということで、母のいとこ達は子供の頃芸妓、舞妓さんにいつも遊んでもらっていたとのことでした。
 そんな話を子供の頃に時々聞きました。大人達の茶飲み話を耳にしていたのでしょう。だからまだ見ぬ祇園は僕にとっては話の上だけでは身近な存在だったのです。
 今回とうとう話の上だけでなく、その一端を垣間見ることが出来ました。先祖のことを思い、何か懐かしい安らいだ気持ちで満たされました。きっとご先祖様には良い供養になったと思います。
 祇園で僕に関わって下さった皆様方には心から感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。ありがとうございました。

 昭和12年生まれの亡くなった母と比べて、女将はだいぶお若いと思いますが、きっと京都で同じ空気を吸っていた時期を共有していらっしゃったと思います。白川の桜を見ながら散歩していて、白川のほとりで二人はすれ違ったこともあったかも知れません。

 白川の同じ流れを掬びしや 母なる里にながめせしころ

 白川のほとりを歩く
 お互いを見知らぬ二人
 川に下りる
 水に手をひたし
 掬ってもみる
 同じ時間が流れる
 美しい桜
 もの思いをする
 しばらく
 ぼんやりと
 

白川の桜
白川の桜 巽橋

  

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