見出し画像

「理想」や「真」は、どこにあるのか?

理想を追い求めていくなかで、自分の中に「何か」迷いが生じた時、人は何を拠り所にするのだろうか?

そもそも「迷い」とは何か。

迷い
迷うこと。心が乱れて判断がつかない状態。まどい。

デジタル大辞泉/コトバンク

ある「理想」や「真」にたどり着く過程の中で、何かに心乱された時、「迷い」が生まれるということなのだろう。

では、何に心が乱されて何に判断を妨げられているのだろう。
自分も今、漠然とした迷いの中にいる感覚がある。
こんな時はいつでも、表現する言葉が見当たらなくなる。

ただ、影響されているかもしれない「何か」に思い当たる節もある。
一つ目、目標となっている、100日連続投稿が目前になってきたことで、書かなければならない重圧を感じていること。これはけっこう大きい。

二つ目、授業の準備。きっとこれはものすごく大きい。
授業の準備が嫌だとかそういうことではなく、しっかりと準備したいし、そうしているから。
そして、その授業の科目が「倫理」であるということ。
「倫理」では、この時期、「真・善・美」を問うた源流思想の先哲の思想に向き合う。

ソクラテス、プラトン、アリストテレス

「○○という先哲が、□□ということを言った。」ということをまとめるだけなら、「授業」という空間は必要ないかもしれない。
だから、授業をする意味を自分に問う。
そして、迷う。

また、先哲の思想に触れれば触れるほど、「理想」とか「真」とかいったものは一体何なのか?ということに迷う。


そもそもなぜ人は「理想」や「真」を追求するのだろう?

人は、どこかで人類にとって、または、自分自身にとっての「理想」や「真」を追い求める。
しかし、それが、何であるかを悟り、実現できた時、人類や自分自身は本当に満足するのだろうか?

「到達したいけれど、到達したと思ったけれど、到達できていない。」といった、ある種の「不完全燃焼感」のようなものが残っている状態が、人を前に進めていく原動力にもなるのではないだろうか。
それそのものが、人間の理想の姿のようにも感じる。
難しい。

と考えていると、「理想」や「真」はそもそもどこに存在していて、誰が、どうやって人にそれを認知させているのか気になってきた。

倫理を担当させてもらいありがとうございます。
まだまだ迷おうと思います。

今日も新しい気づきをありがとうございました。

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!