見出し画像

きっと大丈夫_25歳のがん告知

2002年の11月。天王寺。あべのハルカスの気配も全くない21世紀初頭のミナミの街は、北国のド田舎からやってきた若者にとっては異次元の世界だった。駅前に血だまりができていても、誰もそれに気にも留めない。そんな猥雑で暴力的な街だった。そんな街に場違いな佇まいで立つ高層ビルの大学病院。そこの高層階の個室に25歳の私は入院していた。なぜかネットの張ってあるバルコニー。飛び降り防止ということなのだろうか。

あごに硬いしこりができて検査入院と摘出手術。生まれて初めての全身麻酔は、眠りとは全く違う完全な無、死の感覚。

しこりを摘出して病理検査をしたのだけれど、何時まで経っても結果を教えてもらえず、なぜか場違いな個室にずーっとやることもなく閉じ込められてる日々。一週間以上そのまま個室に軟禁状態で入院した。

そうこうしている間に田舎から両親がやってきて告知を受ける。悪性腫瘍。それもかなりの高悪性度の腫瘍だ。世界的にも症例が全くないという。確かにインターネットが飛躍的に普及した2022年に検索をかけても私と同じ診断を受けた人は一人もヒットしない。

告知を受けた時にはしばらく軟禁されていて嫌な予感もあったので、そうですか、という感じだった。

そのあとにまず思ったのは彼女にどうやって伝えようかということ。

彼女は北海道の会社を辞めて大阪に引っ越してきてまだ半年もたっていなかった。結婚を前提に呼び寄せたのだけれど、いきなりこんなことになって彼女にどう伝えたらいいのか、うまく考えることができなかった。


検査入院をしたきっかけは、私と同じく北海道から大阪に就職していた友人にお盆に会ったときにしこりができた話をして、強く検査を勧められたからだ。

ということでまずはその友人に告知。

2人きりでは、彼女にうまく伝えられそうになかったので、
彼女のことも知っているその友人に立ち会ってもらった。

病院の近くの中華料理屋で3人で夕食を食べながら、私から彼女に病気のことを伝える。彼女は特に取り乱した様子もなく、「きっと大丈夫だよ」と励ましてくれた。

夕食を食べ終わって私は病院に戻り、彼女は私の友人に送ってもらって帰っていった。

帰りの御堂筋みどうすじ線で号泣しながら帰る彼女を、友人はずっと「大丈夫だよ」となぐさめ続けてくれたそうだ。




あれから20年。
彼女はまだ私の隣にいて、楽しそうに毎日を過ごしている。

友人は相変わらず大阪で仕事をしていて、お盆と正月には札幌に戻ってきて一緒に飲みに行ってはくだらない話をしている。お互いだんだん酒に弱くなってきたけれど。



大丈夫。
何の保証もない、無責任な言葉かもしれないけれど、そんな言葉を支えに生きていくしかない瞬間が、人生にはやってくることがある。

そんな瞬間に私に「大丈夫」と言ってくれる大切な人。私の大切な人に「大丈夫」と言ってくれる友人。私の人生に、そんな人が2人もいてくれて、本当に良かったと思う。


だから私は、自分の周りの大切な人に、根拠がなくても、無責任といわれても言い続けたい。

大丈夫だよ、何とかなるよ と。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?