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今日、誰かに伝えたいほどの感動があったか

それは、当たり前?

毎日、当たり前と思っていることは、
それを一つ一つ誰かに伝えようとは、
思わないでしょう。

誰かに伝えたくなるものというのは、
非日常だったり、
普段は味わえないような、
感情を揺さぶられた出来事。

ただ、
当たり前だと思っていることが、
当たり前ではなかったらどうでしょう。
例えば今生きていること。
私たちは自分が生きている状態しか知りません。

私たちは誰1人として死んだ状態を経験したことが無いからです。
死んでみないとわかりません。
ただ、死ぬことができるのは、
生きたことがある人でないといけませんよね。

ということは、
生きている人は、
必ず死にます。
死ぬことは"当たり前"です。

では、
生きること、産まれることはどうでしょう。
ある調査では、
自分として産まれる確率は、
"80兆分の1"と言われています。

到底、当たり前とは言えませんよね。
奇跡もいいところです。

今日、誰かに伝えたいほどの感動があったか

感動…ほどでもないですが、
生きていることは、
当たり前のようで奇跡…

だとすると、
それ自体を噛みしめることがあっても良いんじゃないかなぁと思っています。

伝えることができること。
伝える"誰か"がいること。

それ自体を味わいましょう^ ^

今回は『今日、誰かに伝えたいほどの感動があったか』について書かせていただきました。

また、あしたね😊✨

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