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“みんな”になるのを免れて、世界の片隅で深呼吸

華の金曜日、Instagramを開くと案の定、向こうの世界では同期飲みや社員飲みが開かれていた。画面上の乾杯の瞬間はコンマ5秒の速さで次々とストーリーを送ってしまえるほど、どれもこれも同じ光景に見えた。

就職で上京して、たったの5日間で「同期だいすき🫶🏻」と全世界に発信できる気軽さというか潔さというか、自分には到底真似できない行動力が一周まわって羨ましい。羨ましくはあるけれど、手に入れたいとは思わなかった。ただ、彼女たちに合うのはこの生活なのだろう、と思うだけだ。

あんなにレールから外れることに恐怖していたはずなのに、いま、私は“みんな”と少し違うルートを歩めていることに安心している。安心というか、納得感があるのだ。


就職先が決まってからも、親にはずっと渋い顔をされていた。親の理想とする職場はたぶん、それこそインスタで見かけるような環境だったのだろう。そもそも就活する気力すらなかった人間がここまで来ただけで褒めてほしいものだけれど。まあ、もう親を満足させるための生き方をしたって仕方がない。

私には会社の同期がいない。そしてここは地元でもなければ都会でもなく、知り合いもいない。仕事帰りにごはんや飲みに行く仲間だっていない。しかしこの環境はかえって、私にとってはとても息がしやすい。

比べられる対象がいないという事実は、それだけで肩の力が抜ける。会社で唯一、そして一番のぺーぺーという肩書きは、むしろ堂々と何もわからない顔をしていられる。(ここにも書いたけれど)
さらに、休み時間にはなんとなく誰かと一緒にいなければならないような空気も味わずに済む。私は昔から、固定のメンツに縛られるのが苦手だった。お昼を食べたり一緒に帰ったりする相手を探すだけのことに必死になるくらいなら、最初から一人で勝手にふらふらしても不思議がられない方が何十倍も気が楽だ。

煌びやかな都会のオフィスにいる自分を想像してみる。何百人、何千人という数のうちのひとつになった私。しかし、いくら考えてみてもそのイメージは宙に浮かんだまま、帰ってくることはなかった。就活生だった頃から、ずっと想像に限界を感じていた。
もしもあの世界にいたとしたら、私は染まることに必死になって、自分をまた見失ってしまうところだったかもしれない。なんとなく、そんな気がする。


こうして1週間過ごしてみて、ああ、私も外れて生きていけるんだ、と思う。この選択に後悔があったわけじゃない。ただ、いざ生活が始まってみるまではこれでよかったのか、正直ずっと迷いも感じていた。誰かに誇れるような、それこそ親が自慢できるような道は歩んでいない。そのことがどこか、後ろめたく感じるところもあった。

だけどやっぱり、私にはあの画面上にいる世界線だけはありえなかった。あの世界は眩しいけれど、私の存在できる場所ではない。“みんな”と同じようにはなれなくても、それでも、私が私であるとわかる場所にいられる方がずっといい。

世界の中心にいなくたって、そこには綺麗な空気が流れていて、素朴な人々が歩いていて、冷たくて美味しい水を飲むことができるだろう。腹の底から息を吸って、ゆっくりと吐く。ここが私の世界だと胸を張って言えるようになるまでには、たぶんそう時間はかからないはずだ。


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