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しずかな庭で踊ったり、

別にかっこつけたいわけじゃない。だけど、もっと肩の力を抜きたいのだ。

頭の中に、次から次へと湧き上がってくる文章。私はそれらを逃さないよう、言葉の尻尾を捕まえながらまずはスマホのメモ帳、あるいは愛用のポメラに文章を叩き込んでいく。ただ浮かんでくるものを文字に落とし込む、とても素直な行為だ。この作業はいつだって楽しい。

ところが出来上がった文章を見たとき、うーん、と首を捻ることがある。またやってしまった。“誰か”の目を気にして、自分の好きな文章が書けなかったときだ。

人目を気にした文章ほど面白みのないものはない。もちろん誰かのために書くということは、悪いことではない。それに、公開する以上誰かに読まれる前提なのだから、ある程度は体裁を整えるべきだと思う。けれど度が過ぎてしまうと筆が乗らなくなり、たまに帳尻合わせみたいな文章が生まれる。自分のためと人のため、このバランスがなかなか難しい。

そんなときに出会ったのが、「しずかなインターネット」だった。いいねもスキもなければタイムラインもない、壁打ちのごとく文章を放つことのできる場所。けれど完全に非公開というわけではなく、どこかに自分でリンクを貼れば、他の人が読みにくることもできる。

そうだ、私が求めていたのはこれだった。公開の場で積極的に読まれに行くのとは違い、ここでは消極的に読まれるという選択ができる。メモ帳に溜まりに溜まった文章を昇華する場が、ようやくできた。


私の言葉に羽が生えた。綴る指は軽やかに、文字の世界を形作っていく。そうそう、この感じ。私の文章ってこんな感じ。まっさらの空間に文字を乗せると、たちまち文章がうきうきと踊りだす。まるで、我が家の広い庭でのびのびと太陽を浴びているような健やかさ。そう、ここは私のための庭なのだ。

ああ、私の文章好きだわ、なんて思えたのは久しぶりのことだった。普段も自分の文章は嫌いじゃないけれど、大の字になって世界の中心で好きだと叫べるほどに好きな文章は、自分の生身の文章であると同時に自分の理想であらねばならない。そういうものが、この頃あまり書けていなかった。それどころかnoteに載せる文章の筆までぐぐんと乗ってきたのも、思わぬ嬉しい連鎖だった。


そんなわけで、2ヶ月ほどちまちまと人知れず文章を書き溜めてきた。実は少し前からプロフィールにリンクをこっそり貼っていたのですが、お気づきでしたでしょうか(まさか誰も気づくまい)。

人に見せられない文章ではないから、noteに載せるのとは実質同じことなのだ。ただ、皐月まうとして上げたい文章は他にもまだまだたくさんあって、それらを優先しているうちに脇に寄せられた私の感情たちがなきものにされるというのも、なんだかもったいないと感じていた。文章には賞味期限がある。できれば新鮮なうちに、誰かに食べてもらいたかった。

ちなみにこちら、皐月まうの純真無垢要素(あるのか?)がお好みの方には、激しくおすすめしない。私はこれでも性格がすこぶる悪いし、しれっと下ネタを挟み込むのが大好きだし、あえて言葉を選ばないところがある。だけど私の庭なのでいつもに比べて、鮮やかな色を纏えているとも思う。

そういう私も見たいという物好きな方がいらっしゃれば、どうぞご覧になってみてください。更新の通知は基本しないつもりなので、気の向いたときに見に来てもらうか、購読機能を活用していただければ。
ある意味これが私のメンバーシップ、かもしれない。お金を取りたいわけでもメンバー以外が排除される構図を作りたいわけでもなかったので、ちょうどいいものに巡り会えた。

気兼ねなく振る舞える分、ディープなお話もたくさんできると思います。ぜひお気軽にメッセージを送ってみてください。綺麗な世界に生きる人たちの汚い一面を、私も見てみたいと思うから。



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