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私がフランスの自然療法に出会うまで~人生は進むべき道に導かれるらしい(その①)~

人生というのは、生まれてくる前に「よしここへ行こう!」と決めてきた道にどうやら導かれていくらしい、ということを、占星術を学んだことをきっかけに知りました。

本当に、色んな出来事が起こり、気が付くと「そこ」に導かれている。

今回、少しぶっ飛んだ内容を含みます。
ご興味のない方はそっとページを閉じでください(❁ᴗ͈ˬᴗ͈))))ペコリ


ここから箇条書きで、「人生案内人となった出来事」を振り返ってみます。

【そもそものはじまり】小学生の時、とある海外のTVシリーズの影響で海外に興味を持つ

→中学で、アメリカ人のアイドルグループに激ハマりし、英語が好きになる

→高校で英語科へ。アメリカ人の先生と仲良くなり、将来はアメリカに住むと決める

→なのに、担任や親の激推しと、当時「ナースのお仕事」というドラマが好きだったので、ナースの道へ(医療との出会い)

→看護学校というのは、とても不思議な空間でした。(ピアスの穴が教務に見つかり、全クラスに「学校の恥さらしですみません」と謝りにいかされたりとか、ま~ぁ、色々あった。(今では面白い思い出)
→学んだことも多く、人の命に対し、深く考えるよい時間ともなった。

→産科でしばらく臨床ナースをする。ここでの学びは一生の宝。

→が・・・先輩ナースにいじめられ、喘息発作、円形脱毛症に悩まされる

→この時「そうだ、海外へ行こう!」という思いが復活し、ナースの仕事をしながらカナダへ短期留学を・・・・・4回もする!

→3度目の留学中に、バス停でバスを待っていると、たまたまフランス人らしい観光客が通り過ぎる。その時初めて生のフランス語を聞いて、その音の美しさに衝撃が走る

→ホームステイママの友人が主催した山登りに参加した時、たまたまケベック出身のカナダ人と出会い、その人がたまたま日本が好きな人だったので、ただでフランス語を教えてもらう。

→4度目の留学で、カナダで解剖学、病院心理学を学ぶ(ここで学んだ医療英語がこの後大いに役に立つ)。その時、現地のドラッグの更生施設や、終末期医療の現場の見学というのがプログラムに含まれていて、日本との医療現場の違いに驚く

→帰国後、紆余曲折ありながら(ネタ満載)、日本の臨床に戻る気がせず、海外の医療機関へ就職

→この医療機関が、別に狙ったわけじゃないのにたまたまフランス系企業だった

→その後、同じ会社の日本支社へ移動。(初の東京ライフを満喫。東京最高♥)フランス社との絡みが増え、一度萎んでいたフランス語熱が復活し、東京在住のフランス人にフランス語を学ぶ

→この会社在籍中に、フランスの本社にプライベートで遊びに行く(初渡仏)
→フランスの芸術に溢れる街並みにフォーリンラブ>―(〃°ω°〃)♡→ズキューン

→もうこれはフランスに住むしかないと思い、会社を辞め、フランス留学する

→渡仏後1週間でフランス人の夫と出会う

→ビザが切れるので、出会って1年で結婚(国際カップルにありがちなパターン)

→日本人だからという理由で、雑誌社から声がかかり、しばらく漫画家する(もうネタでしかない)

→漫画を描くのがそんなに楽しくなかったので半年ほどで辞める

→フランス語に自信がなかったので、アメリカの会社で働く。この会社はネタ満載過ぎて、人生で1番楽しかった会社となる(ここでちゃんと英語が役に立つ。そして、やっぱり私は「英語で生きていく人間なのだと思う」

→この会社に在籍中に2度の出産を経験。この頃体に取り入れるものを気にし出し、義理父のススメでホメオパシーと出会う。義理父がたまたま自然療法が好きな人で、ホメオパシー、アロマ、マクロビオテックを学んでいた。(やっと少し自然療法が出て来る)

→アメリカの会社で働きだして6年目、会社が買収され、私のポジションが無くなる(꒪ꇴ꒪〣) ...

→まだまだ「英語は私の運命の仕事」だと思っていたので、もがきまくり、イギリス(オンライン)で英語教師の資格を取り、英語の先生をしたり、翻訳を学び、翻訳をしたりする

→が!翻訳でフルタイムの仕事がやっと決まって半年ほどで例の感染症が始まり、国際間の取引の激減とともに翻訳の仕事も激減・・・次第に新人翻訳者の仕事はなくなる

→パンデミック期間中は仕方ないかぁ~と開き直り、大好きなお絵描きとハンドメイドに没頭する(こちらの方は現在、デジタルノートグッズを引き続き販売中です!よかったらショップを覗いてみてください(´艸`)♪)

こんな時、その衝撃的な出来事は起こったのです・・・・

ちょっと長くなり過ぎたので、続きはその②で(*≧∀≦)ノ マタネー
(その②はコチラ




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