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恋に鈍感

小学生時代、俗に言う「女子」として生活していた私だが、スクールカーストに当てはめるなら間違いなく「下から1番目の女子」だった。
カースト上層部にいるのは元気が良くて輝かしかったり、近づくとクッキーみたいないい匂いがしたりする女子たち。
そんなおしゃれで小綺麗な女子たちとは縁遠い学校生活。
だがそんな彼女たちと私とでも時折関り合いになる機会が存在していた。

昼休みや放課後、ちょっとした空き時間に「マオロンちゃんちょっとついてきて」と呼び出される。
誰もいない家庭科室や多目的教室の隅っこで、2〜3人の元気の良い女子たちが私を取り囲んで口々に問いかけた。

「ねえ、今好きな人って誰?」

当時私は「ちゃお」を購読していたので、男の子と女の子は自然に恋に落ちて付き合ってキスしたり手を繋いだりするもんなんだな(平成中期のマジョリティが抱きがちな価値観)ということはうっすらわかっていたのだが、色々あって自分が色恋ごとの当事者になる機会はないものだと思いこんでいた。
そしてその環境に乗じたわけではないが、自然と誰かに惹かれるという気持ちになったこともなかった。

「いないよ」
「嘘つかないで。早く教えて」

だからいないの!
本当にそんなひとはいないの!!!

「ねえ、いいから早く教えてくれない?」
「……」

なんでこの人たち、そんなに偉そうなんだ。
これって絶対誰かの名前を言わないと終わらないやつ?
早く言えよ。言ったら楽になるぞ?っていうやつ?

その場から逃げ出したらよかった。
黙り続けてあの子達が諦めるまで待ったらよかったのかもしれない。

今思えばそんなかいくぐり方もあったのだろう。
しかし小学生の私の頭の固さといったらなかった。
今より輪をかけて頭でっかちだった。
相手の話はよく聞きましょう。
聞かれたことにはきちんと答えましょう。

そして小学生だった私は嫌なことに立ち向かって乗り越える経験が不足していた(今もそうかもしれない)。
これ、適当に答えたら早く終わるのかな。
だったらイケメンのクラスメイトを適当に見繕うか。

「……XXくんかな」
「へえ〜そうなんだ!ありがとうね!」

一度答えてしまうと彼女たちはあっさり解散してどこかへ消えていく。
小学校も高学年となるとみんな恋に恋するのが楽しい、みたいな時期に差し掛かったようだからその後も同じようなことが何度かあって、私はその度に「好きな人を聞かれたら答える用」としてクラスの中でも顔面が整っているな〜(個人の感想)と思う男子を2、3人用意してローテーションで答えることで対策を取っていた。

異変を感じたのは5年生か6年生の頃だ。

「ねえ、マオロンちゃん。ZZくんとYYくんに二股してるって本当?」

たまたま帰り道がいっしょになったクラスメイトは深刻そうな面持ちで私に質問を投げかけた。

この時私は初めて自分という存在が自分の知らない場所へ一人歩きしていたという経験をした。
私の手から離れた場所で、私はクラスのイケメン2人の間をふらふらうろついてる不純異性交遊二股女(しかも臭くて汚くてパッとしないダサい女子のくせに)という不名誉な噂話の主人公にさせられていたのである。

多分だけど女子たちによる恋愛戦況情報交換会なんかがあって、そこで
「マオロンちゃんはZZくんを狙ってるらしい」
「いや、YYくんじゃないの?」
「えっ、もしかして、二股……!?」
みたいなやり取りがあったのだろう。

もちろん心当たりはなかった。
けれど原因はすぐにわかる。

せめて対策を講じるとしたら用意するのは1人で十分だったのだ。
そうしていたらおそらく私は彼女たちの情報網の中で「まあ一途だが相手にするまでもない雑魚の女子」として噂話の海の中に紛れて沈んでいっただろう。
二股する、だなんてドラマみたいなことをしてるということになったから彼女たちに興味をひいて面倒なことになったのかもしれない。

その経験が災いしたわけではないのけど今でも自分が恋愛をする、結婚をする、というシチュエーションに主体的になれないし、誰かが私のことをそういうシチュエーションの中に置いたこともないんだろうなと思っている。
誰か、自分じゃない人の存在に夢中になることもあったけど、恋人になりたいというよりはその人の輝きと眩しさに憧れる気持ちに近かった。

私は今も変わらず自分の恋にも他人の恋にも鈍感な性格をしている。
それは普通のことじゃないと思っていたけれど、案外そういう人も結構たくさんいるんだよってインターネットが教えてくれた。
恋愛感情への興味が希薄なのは自分だけじゃない。
それを知っただけでもだいぶ生きやすい。

令和になってよかった。
大人になって未来に来てよかったことの1つだ。






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