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間違っていても平気で生きていてごめん


面白い漫画があったので、作者のTwitter(私はまだアプリをアップデートしていない)をフォローした。

ツイートを拝見するとその方は「世の中を正しくすること」「世の中を正しく生きること」に大変熱心な方だった。
作品を発信する側の人間として強い責任感を抱き、世間にある間違いを正そうと努力している方だった。

私はその意識の高さとその方の持つ美徳を素直に素晴らしいと思った。
ただ、同時にこんなにも正しく生きることは私にはできないと思った。

タイムラインを覗くといつも何かに憤り、こうあるべきだと声を上げ、自分の持つ「正しい社会」のルールから逸脱した企業や団体を糾弾し、とにかくその方が思う正しい世の中のあり方と生き方を体現し発信している。

その意志の強さに美しさを感じる一方で、憤り続けることへのエネルギーでこのひとが燃え尽きてしまわないか、正しさを追い求めることに疲弊してしまわないのか心配になるぐらいだった。


私はどうだろうか、と考える。
私はひどくだらしない人間で、社会の正しさについてだけではなく、特定の何かに執着に近い様な強い興味を抱いたことがない。

まがりなりにもこうして毎日noteに考え事を書いて発信しているのだから、多少は世の中の動向や世界情勢に関心を向けるべきなのかもしれない。
それが「発信する者として社会的に正しいあり方」であるのだろう。

社会に興味を持つことを怠けてはいけないのだろう。
「それってどこまで正しくなくちゃいけないんだろうか」という疑問を抱いてしまうのは私が怠惰で無知な人間だからなのかもしれない。

ただ、私は「正しくあろうとすること」「自分が正しいと信じること」に一抹の恐ろしさも抱いている。
誰かにとっての「正しい」は時として誰かにとっての「正しくない」でもあるからだ。


13年前の東日本大震災が起こった時、私は函館にいた。
友人が同じ大学の後期試験を受けることになったのでアパートの部屋に泊まってもらう予定だった。
友人を駅まで迎えに行って、今はもうない駅前のドトールで昼食を食べ、たしかバスに乗って部屋に戻って。
それからすぐに地震が起きた。
友達はまだ荷物も下ろしていなかった。
その時はまだ津波は来ていなかったのでシフト時間が迫っていたバイト先に向かい、戻ってからあの甚大な被害を知った。

私にできることはなんだろうと考えた時、真っ先に思いついたのが情報の発信だった。
大学は春休み、実家に帰ることもできない。
一日中Twitterで誰かがつぶやいた被害や避難所の状況をひたすらリツイートした。
テレビに情報が流れたら日付と時刻・テレビ局を添えて情報を流した。

震災とは関係ない地域に住んでいたフォロワーが「震災関連の情報をRTし続けているアカウントは過剰で見ていられない」と呟き、それからフォローを外されたりもした。
この情報はデマだ、とツイートが回ってきたのと同じチェーンメールが学科のメールリストで回ってきたのを鼻で笑ったりもした。
それでも自分のやっていることは正しいと思っていた。

震災から幾日か経って携帯電話の通信が回復し出した頃、被災地からのツイートや連絡を多く見ることができるようになった。
その中にあったのは、「情報が濁流のように押し寄せて何を信じたらいいのかわからない」という声や「必要のない情報が大量にRTされてタイムラインがすぐに更新され、携帯の充電がすぐに減ってしまう」という声だった。
その時になってようやく私は間違った方法を正しいこと、「できること」だと勘違いしていたのだと気がついた。

このことはただのきっかけに過ぎなかったが、とにかく震災は私を大きく変えた。
これまでの常識を大きく逸脱した規模の災害や原発事故、その対応。
そして自分のあやまち。

私は自分がすることを盲目的に「正しい」と信じることができなくなった。
正しいの姿は流動的で、いつだって簡単に姿を変えてしまうのだ。

知ることで正しいを予測することはある程度可能なのかもしれない。
ただ、何を知ることが正しいのか、何を学ぶことが正しいのかいつも悩んでしまう。
どの新聞を読めば、どんな文献を読めば、誰の言論を信じたらいいのだろう。
どこまで多面的な立場を知って学べば終わりが来るのだろう。

不安定な足元の上にある「正しさ」を暫定的に信じながら毎日を生きている。
いつだって正しさはオセロの様にひっくり返されてしまうという不安を抱きながら。

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