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幸せに生きること、幸せに働くこと

珍しく、考え込むことのない年末年始を過ごした。
メタ認知フェチ」で「趣味・内省」な私にとっては衝撃的なことで、その意味を正月休み最後の夜に考えている。

結局、考えるんかい。笑
(そして一晩では書き終わらなかったww)

「たのくるしい」から「くるたのしい」へ

専業保育士(という表現でよいのか分からないけど)にいったん終止符を打って、開業届を出した2021年は、とにかく個人事業主として生きていくことができるのか試して、もがいて、生きるために「あそびこむ」と向き合っていた。

けれど、「こどもの居場所づくりを目的としたイベント」で稼ぐのはなかなか難しくて、稼ぐためのイベントになっていくのも怖くて、あそびこむをライスワークにするのは違うなあと思った。

それはシンプルに覚悟や勇気が足りなかっただけなのかもしれないけれど、そんなタイミングで出会ったのが、さとのば大学のお仕事だった。

2022年、正式に「さとのば大学 事務局」となった私はラーニングアシスタント(LA)という役割を主に担当した。

毎週のオンライン講義にファシリテーター的立ち位置で入り、学生と講師の両者をサポートする役割だ。

講義の準備段階から講義中はもちろん、講義外でのフォローやメンタリング、時には各地域で学生たちと向き合ってくれている地域コーディネーターの皆さんとも連携しながら、学生たちの学びが最大化されるように1番近くで伴走してきた。

さとのば大学運営チーム合宿でのひとこま

これが本当に、一筋縄ではいかない楽しさがあって。まさに「くるたのしい」(=苦しいけど楽しい)というやつだった。

今まで関わってきた仕事もそれなりに楽しんではきたけれど、「たのくるしい」(=楽しいけど苦しい)ところまでだったから、この微妙な差は大きい。


それもそのはず、ストレングスファインダーの結果上位に入っている「最上志向」「成長促進」「個別化」の意味を理解したら本当にしっくりきて。
私は伴走者向きなんだなあと心から思った。

「最上志向」の人は、他の人が自分の可能性にわくわくできるようにサポートするのが好きです。周りの人が何を得意とし、どのような仕事に向いているかを見極める能力があります。

「成長促進」の人は、他の人が持つ潜在的な可能性を見抜きます。良い方向へと変化、成長、発展する能力を自然と見出します。他の人の成長に携わることは、原動力であり、満足感を与えてくれます

「個別化」の人は、一人ひとりのユニークな個性に興味をそそられ、それを理解します。本能的に個々人のスタイル、モチベーション、考え方、関係の築き方を観察しています。他の人の強みをとても鋭く観察する人なので、一人ひとりの最も良いところを引き出すことができます。

私の強みとタイプ

だからこそ、
私って、ワーカホリックになれるんだ
と思うくらい、生活の時間を削って働いてしまったのだった。


優先度が下がってもライフワーク

生活の時間とともに削られたのが、余暇時間にやると決めたライフワーク
2022年は、「あそびこむのたっしー」としては正直迷いがあった

自主企画はほとんど諦めて、1~3月の時点で決まっていた頼まれごとやコラボ企画のほかは、日詰商店街の朝市でのあそび場(ひづめプレイデイ)を絶やさないことが精一杯

自由にあそべるひづめプレイデイ

おもちゃを自宅から出して、小さな車に無理やり積んで、広場に並べて、片付けて、車に積み込んで、自宅に上げる。
本当にそれだけで手一杯だったから、チラシを配るのもやめたし、プレイデイに合わせて時々開催していた有料ワークショップも全部やめた

それでも、公式LINEとInstagramの発信だけで毎月おもちゃを並べればこどもたちがあそびに来てくれて、現場で手伝ってくれるサポーターさんも少し増えて、すっかり常連さんのファミリーやこどもたちと顔を合わせられるのが嬉しくて、やっぱりこれが私のエネルギーの源なのだと思った。


10月までと決まっていた朝市が、好評につき11月も開催されることになって、出張と重なって私は参加出来なかった。
その時「あそびこむを楽しみに来てた子が絶望してたよ」と後から聞いて、申し訳なくも、嬉しかった

その子にとってひづめプレイデイが、あそびこむが、「イベント」ではなく「日常」に近い存在になれているのかもと思えたから。


HATARAKUの皆さんが主催する畑体験イベント「しわ農楽耕」も、日頃から畑にお邪魔できていない私でも快く迎えてくださって、通年4回の開催をあそび担当として一緒に走らせてもらった。

しわ農楽耕で畑あそび(苗植え体験)

合間を縫って、ママサークル「ひまわり」さんに呼んでもらってわらべうた講座をしたり、森林インストラクターの岡田菜月さん(センス・オブ・しワンダー)と一緒に昆虫観察イベントをしたり、ひづめの愉快な仲間たちと一緒にハロウィンイベントを企画したり、おかちゃん(あそびばnekko)の野外イベントに焚き火リーダーとして呼んでもらったり。

みんなで火をおこして焚き火!

フリースクール「こといろ」さんでのギター講師(?)も毎月続けてこられたし、NPO法人点空社のワークショップにも戦力外スタッフ(笑)としてちょこちょこ顔を出せたし、ほんのたまに紫波新聞の記事を書いたり、日詰小学校の学校運営協議会の委員を一応やらせてもらったり、紫波一中のSDGs講義をオンラインで持たせてもらったり、地域おこし協力隊向けの研修でOGとして話させてもらったりもした。

ファミリー・サポート・センターでミニコンサート

振り返ると、意外と色んなことを任せてもらったのだなあ。

これでいいのかな」と迷いながらだったけれど、なんとか走り抜けた1年だった。
(毎年同じようなことを言っている気もする)


迷ったら続けなさい

地域おこし協力隊だった頃、
続けるか迷ったときほど、そのプロジェクトをやめない方がいい
と誰かに言われた。

やめよう、と決めるまではどんなに細々とでも続けること。

私にとって「あそびこむ」は一生終わらせたくない、そして誰にも渡したくないライフワークだから、やめるつもりは1ミリもないけれど、それでも弱気になったときにはこの言葉を思い出す。

勇気ある撤退が必要なときもある。
逃げるは恥だが役に立つときもある。

けれど、格好悪くてもやめないというのもまた、意味のあることだと信じている。


今年は、紫波町に来て7年目に突入する。
あそびこむも、8月で5周年を迎えて6年目を歩み始める。

あそびこむVol.0は2018年8月26日

年齢だって30代になったくせに、自分ではない誰かの輝きを羨んだり、劣等感を覚えたりすることも、まだまだある。

雇用を生み出しているわけでもなく、私1人が食べていける起業ですらないけれど、それでも、大好きな仲間がいる大好きなこの町で、自分らしさを最高に発揮できる活動や働き方を続けられていることが、私の人生にとって必要なことなのだと強く思う。

紫波町を訪問してくれた子をあちこち案内していて、
あそびこむという肩書きがあって羨ましい
と言われた。

そうか、「あそびこむ」はもう私を表す肩書きになってるんだ。
そう思ったら、込み上げてくるものがあった。


ほしい未来をブレイクダウンする

地域おこし協力隊の3年間も脳みそが沸騰するくらい考えることがたくさんあったけれど、その後の3年はもっと、そして直近この1年は頭から煙を出しながら思考に耐えてきた。
(アウトプットが足りないのかもしれない)

だからこの年末年始は、脳を休める期間だったのかなあ。

ただ、そのおかげで
誰もが自分らしく生きられる社会」
というほしい未来の解像度が少しずつ上がってきたように感じる。


私がいま、あそびこむで目指しているのは
こどもの育ちが誰にとっても喜びである社会
なのだと思う。

日詰商店街の商店さんに力を借りたハロウィン

私は昔から「子育て」するのが夢で、そのために早く結婚したかったのだけれど、なんだか不器用すぎて恋愛はうまくいかない。
「今年こそ恋愛頑張る」とか毎年掲げるけれど、しようと思ってするもんじゃないね。

しかも、「子育て」と言うときその主語は「母」や「父」といった保護者で、当事者がものすごく限られてしまう気がする。


本来、子は育てるものではなく、育つものだと思うのだ。

だから「子育ち」(=こどもの育ち)の主語はこども本人で、そうすると、周りにいるたくさんの人や地域、環境がまるごと全部「当事者」になる。

「子育て経験」はなくとも、全ての人が「子育ち経験者」なのだから、こんなに分かりやすい世界はない。

こどもの声は騒音でなくなり、ただ暮らしの当たり前に戻ってくる。


そして、さとのば大学で仕事をする中でこれは
「年齢に関係なくひとりひとりの挑戦や成長を喜びあえる社会
なのだと気が付いた。

さとのば大学の学生に会いに現地へ

頑張ること、休むと決めること、続けること、選びなおすこと、背伸びすること、力を蓄えること。
ひとりひとりが前向きに(=自分の意思で)生きることを、私も一緒に喜びたい。


だから2023年は、もう少しこの「くるたのしい」を味わおうかなと思っている。
30代らしく、ちょっぴり暮らしも整えたいし、健やかさも大切にしたい。

健やかさと生きがいの両立を試すこと。
それが今年の目標かなあ。


2022年、お世話になった皆さまに多大なる感謝を。
2023年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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