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いかに爪先を踏まれないで過ごすか

先週の土曜日の晴れた日の事。長年乗っていなかった自転車のほこりを払い、パンクしているのか、ただの空気抜けが分からないその前後両方の車輪を引きずるようにして、近所の自転車屋さんに行った。

店先で無料の空気入れを借り、ただの空気が抜けていただけだった事に安堵し、次の目的地へ。

そのまた前の週に訪れたリサイクルショップで買わずに後悔していたお皿を買い求めようと。

狙っていたお皿は誰にも買われずに一週間生き延びていて、その棚の近くで更に気になるお皿を見つけてしまい(うそ~、こんなにいる?)と思いながらもどちらも買った。狙っていたディナー皿4枚と新たに見つけてしまったディナー皿2枚。一人暮らしなのに。この矛盾。

そして、皆さんはきっと知らないだろう。ディナー皿6枚は結構重い。ディナー皿6枚を詰め込んだバックパックは、パンパンで若干生地が悲鳴を上げていたほどだ。そして、その結構重い背中にバランスを乱され、店から去ろうと漕ぎ出そうとしたその時、よろけて左の足の親指を擦りむいてしまった。

しかも、私は春頃から秋までビーサン生活。アスファルトにもろに擦り付けたその親指。グロテスクな表現を避けるが、ピーがピーしてピーだった。おかげ様でもうすぐ完治。

***

さて、先週一週間はその傷を、いかに子どもたちに踏まれないように神経を尖らせていた。私は保育園で働いている。クラスは、toddlerと呼ばれる18ヵ月から30ヵ月の子ども達。一歳半から二歳半。当地では「busy toddler」と言われたりもする。

とにかく忙しく、興味のある事に突進、集中力や他人の気持ちへの気付きなどを培っている最中の年頃。言葉を使ってのコミュニケーションも練習中、といった所だろう。

そんな子ども達、ブロックで作ったタワーが崩れてしまったら私に直してもらいに運んで来たり、人が使うオモチャをどうしても欲しいからなんとかして私に交渉させようとしてやって来たり、はたまたその逆で「自分が使っているおもちゃをこの人が取ろうとする助けて/どうにかして/困っている」など訴えて来たり、何となく手持無沙汰でハグをして欲しいとか、出来上がった作品を見せに来たり、色んな理由で私のもとにやって来る。

そんな時「あら、壊れちゃったのね。こんな時は”お願い直して”と言うのよ」や「ふーむ、あなたがあのオモチャを欲しいのは分かるけど、〇が使っているから少し待たなくてはだわね、代わりにあの誰も使ってないオモチャで遊ぶのはどう?」などと話す。そしてたまに「というか、君、私の足踏んでるよ」と指摘したりする。

そう、この年頃の子ども達は「自分が相手の足を踏んでしまっている事に、指摘されないと気付かなかったりする」のだ。その「踏んでいる」事実に気付いたとしても、それが痛い、不快、本来は起こるべきことではない、という事に対してはまだ理解が届かなかったりする。

だから、我々は日々伝えている。「それよか、君、私の足踏んでいるんですけど?ヘイヘイ?」みたいな。

とにかく、この足を踏まれる事は、身体能力的にも仕方のない事だったりするのだけれど、成長していくうちに「ごめん」と言えるようになる。この、意図していなかった、不注意で起きた、自分に責任があるとも言えない的な事も「ごめん」と謝れるようになる。

更にもっと言葉が達者になり、社会性を身につけると「もしかして今、私足踏んじゃってた?まさかとは思うけど、え!やっぱり?ごめんね!悪気はないのよ。てかその靴いいね」とか言えるようになる。

本当にあっと言う間のレベルアップである。

こないだは、たまたま隣のクラス、一つ上のクラス(preschool)の子に「Mayのその服の色、良いわね」と言われ「ありがとう。あなたのドレスもイケてるわよ」と返すと
「今日は何でその色を着ようと思ったの?」と言われた。(いや、全然この色は好きじゃないのだけど、この職場ではスクラブを着なくちゃいけなくて、でも定価では買いたくなくて、たまたまリサイクルショップで安く売ってて状態も良く、サイズも合ったこれを買って、今朝クローゼットで目に付いたから鞄に詰め込んできた)という想いを飲み込んで「うーん、何となく今朝クローゼットで目に付いたから」と答えると

「ふーん。私が今日、このピンクのドレスを着ているのは、そもそもピンクが大好きなんだけど、今日はとっておきの気分だったからこのお気に入りのドレスを選んだって感じ!合わせたこの靴は…」と詳しい解説が入った。

こんな感じで、大人顔負けのコミュ力を身につけて行くのだ。本当に興味深い。

***

先ほど、2015年にとある著名人によってツイートされた意見(英語)が、何故か知らないが日本語の英語解説アカウント?勉強アカウント?に引用され私の目にも飛び込んで来た。

内容としては「全国のレジ係に告ぐ。私がthank youと言ったら、君たちはyou're welcomeと返すべきだ。no problemはおかしい。そもそも客の私がthank youと言われるべき存在だ」みたいな元ツイートに、

若い世代はno problem派よね、とか不快に感じる派もいるわよね、とか文化や時代によって言葉は変化していくものだよね、とか関連解説動画が載せられたり、英語のあれこれが語られていた。

一応、断っておくと、この元ツイートに遡って見たら、はっきり言って全然注目されていない「イイネ」具合だったし、引用ツイートでは「高齢者のぼやき」とか、とんでもなく悪い言葉で罵られられていて、まあそうだよな…と思ったりもした。これは個人の見解だが。

英語のあれこれをさておき、私としては「私がサンキューされるべきだ」という主張に目が行ってしまった。その時点で、もう、議論を交わしたくない相手というか。心のシャッターをガッシャーン!と閉めたくなるような。

社会性という面では、私は子ども達に「なんで私の足踏んでんのよ!謝ってよ!」みたいな事は絶対言いたくない。私は「足、踏んでますよ」と伝え、その上で「足を踏まれると痛いし、嫌だ」という事を次いで教えていく。

当地でもたまに、混みあったバスの中などで「足踏んでるんじゃ、オイコラ」みたいな事があったりするが、私はいつでも「足、踏んでますよ」と事実を告げる、そんな心の余裕を持っていたい。そして、レジをやってもらったら「ありがとう」と言ってお店を出たい。

なんて考えた日曜の夜。皆さま、良い一週間を。

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