見出し画像

第6回・「書く」以外のライターの仕事

前回も偶然、というようなことを書いた気がするが、今回もべつのことで偶然が重なった。今回は校正校閲の話だ。
なにが重なったかというと、ひとつは去年に校正校閲をさせていただいた書籍が、すでに何万部か売れていたのは知っていたが、さらに売れたこと。もうひとつは、長めのウェブの記事の校正校閲をさせていただいたこと。最後に、クラウドソーシングで仕事を受けた方に「こういう業務をしているのだけれど、これは校正業務の履歴になるのか」と訊かれたこと、だ。

世間的に通じやすいので、よくライター歴を言いがちではあるが、私の場合、校正校閲歴はライター歴とまったく同じである。
コピーライター時代には広告作成部署で、ダブルチェックのために社員内で互いに校正校閲をしていた。当時は紙の時代で、赤ペンで書きこんでいくというスタイルだったが、校正記号は自然に覚えることができたし、今になって重宝しているスキルのひとつでもある。

ライティングが「書く」ことなら、校正校閲は「読む」ことだ。
書いたものがなければ読むことはできないし、読むことをしなければ書いた内容のミスは増える。なにを書くかにもよるが、その重要度が上がれば上がるほど、校正校閲が必要になってくる。
「書く」ことしかできないライターより、校正を重ねられるライターの文章のほうが信憑性は高い。本当に必要な場合は校正校閲を外注することもある。それだけ「読む」ことは大切だ。
私は脱サラしてフリーランスをしながら学位を取得しているので、その際には当然ながら査読があった。学位論文を野放しにするのはあまりに危険だ。私が経験したなかでは、もっとも「読む」側に責任があったシーンなのではないかと思っている。

「読む」ことを仕事にすると、いろいろな経験ができる。
読書と同じで、読むだけで知識が増えることもある。事実かどうか確認するために論拠を調べることも、知識に結びつく。私の場合は知識欲が旺盛なので、調べるのは苦ではないということもあるが。
この書き手はこういう表現を使うのだな、という気づきもある。自分の知らなかったことばに出逢い、表現力が鍛えられることもある。

書き手にあわせて、文章を読みやすくしていく、信憑性を高める。
この作業に必要なのは、スキルだ。
そして、この作業にいてはならないのは「自分」だ。
私ならこういう表現を使いたい、こういう言い回しをしたい、このデータを使いたい、そういったことがらは、すべて消さなければならない。「読む」仕事をしているあいだは、目の前の文章を、その書き手を尊重しながら、いかに見やすくしていくか、いかに信憑性を高めるか、ということに集中しなければならない。
もちろん、それは自分が書いた文章を見直すときも同じだ。「書いていた自分」と「校正している自分」は、はっきりと分けなければならない。
「書く」だけではなく「読む」ことの醍醐味は、ここにある。

これはたんなる私の推測だが、そのうち、クラウドソーシングあたりで『AIが書いた文章を校正校閲する』という求人が出てくるのではないかと思っている。
AIが文章を書くことは、もはや当たり前になったと言っていいだろう。AIに校正を頼むこともできる。
けれど、それを人間が読むという前提で校正校閲できるのは、人間だ。
「小学生にもわかるように書いて」と頼めば、AIは平易な文章を書いてくれる。さらにそれを校正校閲もしてくれる。それでも、「ほんとうに小学生に伝わるのか」を見定められるのは、人間だ。

「読む」というと、どこかクリエイティヴではない印象を受けるかもしれないが、実はそうではない。
文章を「書く」ことも「読む」ことも、同じくクリエイティヴな作業だ。
ライター、と言ってしまうと「write」の意味が強いけれども、実はもっと奥が深い。その理由のひとつは、「読む」ことの必要性や重要性にあるのではないかと思っている。

この記事が参加している募集

ライターの仕事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?