たくさんある中から、それでも貴方たちを選んだの

子供のころ読んだ本は、その後の人格形成に大きく関わっていると思う。
魔女や妖精が出てきたり、人形や動物が喋ったり、この世とは違う少し不気味な世界へ行ってみたり……そんな物語が「好き」だった私は、今でもファンタジーの世界に漠然とした憧れを持っている。幽霊や妖精は見えないだけでどこかに存在していればいいなと思っているし、いつかは魔法が使えるようになりたいと思っている。
夢見がちな少女だった幼い日の私は、『気に入ったものは飽きるまで繰り返す』という性質を持っていた(それは今日に至るまで継承されている)。気に入った本、好きになった本は何度も繰り返し読んだが、ある程度繰り返すと、またふらふらと新しい本を探す旅に出た。その旅の中で出会った本の中で、他の物とは違う読み方をした本がいくつかある。飽きるまで読み続けるのではなく、一度読んだらいったん離れて、しばらくしたらまた戻ってくる。周期が決まっているわけではないけれど、必ず戻って読む本。そこに戻ってくる理由を、「好きだから」という言葉で表すのは、聊か不釣り合いな気がする。

「執着」というほうが正しいのかもしれない。

「私を成長させた」というより、「小さな傷をつけた」本。その傷は本当に小さなもので、でも幼心にその傷はあまりにも痛くて、消えなくて。


そんな本たちをまとめてみた。

ヒットラーのむすめ(ジャッキー・フレンチ著)

スクールバスの待ち時間、ひょんなことから始まったお話ゲーム。
女の子が話し始めたのは、ヒットラーの娘ハイジの物語。
もし、自分の父親がヒットラーだったら、父親を止めることが出来るのか。そもそも善悪を決めるのは誰なのか。父親が悪人だったら、自分も悪人であるのか。
大人になってから読み返すと、子供のころとは違った感覚で読める。
小学校低学年で出会ってから、ふとした拍子に手に取りなおす本。

ハイジもお人形と同じくらい美しければ、お父さんと呼ばせてもらえるかもしれないのに。

『ヒットラーのむすめ』ジャッキー・フレンチ


Good luck(アレックス・ロビラ/フェルナンド・トリアス・デ・ベス著)

久しぶりの再会を果たした二人の男。
人生に行き詰まり、落ち込む男に、友人は幸せのクローバーの物語を聞かせる。
幸せをただ待つだけの人間と、幸せを掴むための努力を怠らない人間。
その違いは、「行動できるかどうか」。

人生の節目で読み返す一冊。

幸運を作るというのは、つまり、条件を自ら作ることである。

『Good luck』アレックス・ロビラ/フェルナンド・トリアス・デ・ベス


ぼくらが大人になる日まで(岡田 依世子著)

中学受験を控えた6人の小学生の物語。
同じ塾に通いながら、親や友人、そして自分自身の思いと向き合いながら受験へ挑む彼らは、子供だけで、国会議事堂に『社会科見学』へ向かう。
子供からのこの問いに、誠意をもって応えられる大人はいったい何人いるんだろう?
主人公たちと同じ、小学校6年生の時に出会った本。
自分と同い年の子供たちが、自分の"これから”に疑問を持ち、考え、選択する強さに、大人への第一歩を感じて。これから先の人生に、一抹の不安を感じた、そんな一冊。

「ぼくたちは、この国の大人を、信じていいですか?」

『ぼくらが大人になる日まで』岡田 依世子


コーリング 闇からの声(柳原 慧著)

特殊清掃業を営む主人公が出会った、”人間だったモノ”。
何故彼女はそんな姿になってしまったのか?
彼女が求めた救いは何だったのか?
美しさとは、いったい何で、誰が決めるのか――――

美醜の価値観を嫌というほど植え付けられた中学時代、心についた傷をさらに抉るように読み返した本。
美しさとは?
友情とは?
生と死とは……?

「のうがばぐさくわれでぐ」

『コーリング 闇からの声』柳原 慧


これらの本は十代前半までに出会った本たち。
私の人生があまりにも単調で、退屈で、それでいて酷く息苦しかった頃。
他にもたくさんの本との出会いがあったけど、私の心をつかんで離さなかったのは、この本たち。完璧なハッピーエンドではなく、暗闇の淵をなぞるような、底なし沼に爪先を浸すような、出来たばかりの瘡蓋をはがすような――――薄暗く、霧がかったような結末を迎える、そんな本たち。

幼い頃、私と本の出会いは専ら図書館だった。
自宅から一番近い、コンパクトな図書館。それでもかなりの蔵書数をかかえるその場所で、たまたま手に取ったこの4冊。
一度目は、ただの偶然だったのかもしれない。
けど、2度目以降はもう、必然だったのでは?

私がその本を選ぶこと、出会うこと、すべてが。



なんてね。

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