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(20)タイとインド、1年半の瞑想生活


タイ

大学を辞めて、まず最初に行った日本の千葉にあるヴィパッサナー瞑想センターで出会ったイスラエル人の男性がタイのバンコクに住んでいて、部屋も余っているし遊びにおいでよと言ってくれたので、人生ノープランだったわたしは誘われたままにタイに行くことにした。

タイはバンコク、チェンマイ、パーイに行った。バンコクのイスラエル人の友達の家にはメイドの女の子がいて毎日フムスを使ったイスラエル料理を作っていた。

チェンマイでは、チェンマイに在住しながらアースハウスや綿の栽培から衣服をつくる日本人夫婦がいてその人たちの家に住み込みながらお手伝いをする暮らしをしていた。ウーフみたいにそこに集う人たちでアースオーブンを作ったりしてた。

その日本人夫婦のおうちまではヒッチハイクして
荷台に乗せてもらった
自然豊かなところだったチェンマイ
自然由来のものだけで作るオーブン「アースオーブン」
いろんな国からお手伝いの人が来てた


パーイではバスで数10分山奥に行ったところに公式ではないヴィパッサナー瞑想センターがあり、そこに数日滞在した。

タイの中でだいすきな街、パーイ
歩く瞑想をしているときの
メーソーホンにあるヴィパッサナー瞑想センター

↑瞑想関連の過去の投稿をハイライトにまとめたよ。


この頃のわたしは完全に瞑想の修行をしていた。趣味とかマインドフルネスとかそういうレベルじゃなかった。10日間の瞑想合宿もインドと日本とで計4回くらい受けたし、家でも毎日瞑想を1日2時間していた。1年半ほど。

今思えば完全に探究心だった。
自分と向き合えば向き合うほどに、
いろんなものが出てきて、
それを味わいつくして解放して昇華して、
どんどん変化していく自分が楽しかった。

向き合っていると何度も同じようなテーマが目の前にやってくるけれど決して同じではなくて、螺旋状なんだと。
一見同じように見えるけど確実に上昇していて、魂の成長という名の螺旋の階段をわたしたちは登っている。


自分を愛するということが、
自分を知るということから始まること

自分を知るということが、
自分と向き合うことから始まるということ

自分と向き合うことは時にハードで痛みも伴うけれどそれを超えるしかないということ

そうして自分と向き合った分だけ、
他の誰かと向き合えるようになるということ

そうして自分を愛せた分だけ、
他の誰かを愛せるようになるのだということ

そんな真実の土台は完全に、
このヴィパッサナー瞑想が育んでくれた。


タイの後に少ししてからインドにもいった。

インド

前々回の記事のお母さんとの深い和解を経て、なんの思い残しもなく日本を発った。

インドは、当時付き合っていたパートナーと、わたしと、わたしたちのストーリーを映画にするために撮影担当として同行することを決めてくれたカメラマンの三人で旅をした。

日本を出発してからインドに着き、謎に二回飛行機が着陸した。そこで私たち三人は早速はぐれた。お互いに違う空港で飛行機から降りていたのだ。そして飛行機を降りてから連絡を取り合いムンバイで合流した。そして日本でも参加したヴィパッサナー瞑想にインドでも参加しようということになった。世界中にヴィパッサナー瞑想センターがあるのだが、世界で最も多くのセンターがあるのがインドで、かつ世界で最も大きなセンターが、私たちが行ったダンマギリというセンターだった。

とにかくこのインドでの瞑想コースでは、自分がいかに利己的な愛しか生きてこなかったのか、ということに気が付いた。

詳しくはこのブログを参照↓


インドの旅は、半年の予定が3ヶ月になってしまったのだけど、航空券代合わせて11万くらいで済んだ。

なぜなら、瞑想センターを出た後は、ひたすら瞑想センターで友達になったインド人の家を泊まり歩いていたからだ。
彼らは人に施しをすればするほどに自分の徳が積まれるという価値観の中を生きている。
だから、わたしたちにおもてなしをしたくてたまらないインド人ばかりだった。

友達になったほとんどのインド人が、家にきなよっていってくれて連絡先を交換して
ほんとに家に行ったら毎食カレーを作ってくれて、いろんなところに連れて行ってくれて、自分が床に寝てでもわたしたちに寝床を用意してくれて、サリーも着せてくれて、インドの服やストールもプレゼントしてくれて、インド人の友達の家からまた別のインド人の家まで車で送ってくれたりもした。本当にたくさんのものをもらった。




この旅でわたしは
【人とのつながりは貨幣資本に代わる】ってことを確信した。

お金があればなんでもできる。お金はすごいし便利だ。

だけど、お金に代わるものだってたくさんある。むしろ人的資本は時に貨幣資本以上のものを運んできてくれる。

人と深く繋がることが喜びであり、得意なわたしにとって、「まゆの人生の豊さ=人的資本による恩恵」と言える。

わたしはインド中を周りたいわけでも、観光地をめぐりたいわけでもなかった。
どこにいたって、目の前のひとと繋がること、それがまゆのやりたいことだった。



このInstagramの写真でまゆの隣にいる
まゆのインドの母と思っているマヤという女の人がいたんだけど
マヤは地域のマラティという言語をはなし、まゆは日本語をはなし
二人して違う言葉を口から話してんのになぜか会話は通じ、意思疎通ができるどころか
互いの感情まで分かり合えて、お互いに同時に涙が溢れて抱きしめ合う、というシーンがあったりした。

これこれ、まゆの地球での大好物は。と思った。



言語を超えたコミュニケーションがまゆは好きなのだ。

言語を超えて、ひとと人が繋がる時、それは生命と生命が交わっている。

肌の色、言語・文化・宗教・習慣全ての違いを超えて、わたしたちが地球に生きる同じ生命なのだという事実をめいっぱいに感じれる瞬間がわたしの魂の喜びだ。


だから動物が好きだし、だから英語が共通言語にならない途上国がまゆは好きだ。

常識


インドに滞在する間、インド人の何気ない素行がまゆの頭の中の常識をぶっ壊してくれた。

とてつもなく長い鉄の棒をバイクに乗りながら抱える異様な姿とか、当たり前に車の助手席に二人の人間が乗るところとか、あたかも前から知り合いだったかのように信号待ちに話しかけてくる姿とか、車の窓からまるで街全体をゴミ箱だと思っているかのような潔いポイ捨て姿とか、そのどれもが最高に面白かった。はちゃめちゃだった。常識という頭の塊に気持ちよく亀裂を入れてくれた。

28か国を旅してきて、どの国が一番面白かったか、という質問を生きているとよくされるのだけど、
この常識をぶっ壊してくれる感覚があんまりにも気持ちよくて「インド」と答えている。

住むならカンボジア、景色ならボリビアのウユニ塩湖、ドラマみたいな忘れられない出会いはモザンビークという感じだ。


バヌアツ

まゆはバヌアツという南太平洋にある島国に行ってみたくて、それはなんでかっていうと、子どもをあげあう文化があるから。

子どもを生んだけど、お金がないだとか、精神的に余裕がないだとか、そういう理由で「あ、じゃあわたし親になりますね〜」みたいなことが普通に起きている国なのだ。

フィジーも分かち合いやシェアの文化でだいぶ注目されているけど、そのフィジーの先を行く国なんではないかと思っていて、そんな文化の中に身をおいて暮らしてみたいなと思っている。

日本は、当たり前に、子どもを生んだら、その生んだ人が責任を持って育てなければならないって常識がある。

子どもを産むことに責任という概念がついている。それはある意味当然のことではある。でも「自分でどうにかしなければならない」という鎖が児童虐待などの社会問題が起きている要素もある。


江戸時代の日本は、どの子が誰の親なのかわからないくらいに、みんなで育てていた。
バヌアツは今でも、この地球に生まれた子どもはみんなの子、だから誰が親になってもいい、という文化なのだろうと思う。

ピースボートのポスター貼りで入った土浦にある地球食堂というカフェ。6年の時を超えて今もたまに遊びにゆくのだけど、この前バヌアツに住んでる親戚がいるアメリカ人の女性と出会い、バヌアツにすんでる友達とまゆをメッセンジャーで繋げてくれた。

地球食堂にいたアメリカの女性は
『バヌアツという国をピンポイントで知ってて行きたいと言っている日本人に初めて出会った』と言ってた。

もう、バヌアツという国に早速、人的資本ができた。バヌアツに来る時は連絡してねって言ってくれてるから、まずは彼らのおうちに滞在するのだろう。

193もある国から、たった1つ、まゆが行きたいと言い続けていた国に住んでいる人と直接繋がれたこの奇跡。

ピースボートのお仕事が区切りがついたら行ってこようと思っている。バヌアツではどんな常識に出会うのだろう。たのしみである。




とってもよろこびます♡