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2歳児の寝かしつけで自作ストーリーを語ったら泣かせてしまった話

前日に2歳8カ月になった息子を久々に寝かしつけした夜、それは起きた。

普段の寝かしつけ担当はもっぱら夫。我が家では日曜日、夫がカレーかハヤシライスかビーフシチューをホットクックで仕込んでくれる。その日が私の週一の寝かしつけ機会だ。

寝室に3人分の布団を敷き詰め、絵本をせがんでくる。寝かしつけで絵本、よくある幼児持ち家庭のルーティンだろう。我が家も例に漏れない。その晩の息子のチョイスは、先日訪れたムーミンバレーパーク(埼玉県飯能にあるムーミン谷をモチーフにしたテーマパーク)の影響を受け、ムーミンの本を3冊、消防車が表紙の働く車の絵本1冊の計4冊がその日のラインアップだった。

一通り読んだ。20,30分かかったはずだ。2歳児がわかる絵本なので文字量は多くないが、私も絵本が好きな性質なのと、ゆったりした穏やかな声色で読んだ(眠気を誘う狙い)ので、たっぷり時間をかけた。時間は20時半過ぎだったと思う。それでも息子は興奮しきりで、「まだ、ねない。もっと、よむ。ぽっぽ、ぽっぽ(の絵本)」と汽車の絵本をせがんだ。図書館で借りてきた、機関車誕生から現代の新幹線までの変遷を精緻なイラストで書き下ろした図鑑を指していると察しがついた。図鑑はリビングにある。

ただこちらは許容するわけにはいかない。その図鑑を持ち出したらキリがないし、時間もたっぷり上乗せされる。図鑑を取りに行かないで済む方法を、と、とっさに物語を作り上げていた。

「Kくんは駅にいました。すると向こうからぽっぽがゆっくり近づてきてホームにすーっと入ってきました。Kくんは乗ろうと近づくのですが目の前でプシューっと(効果音風に唇を尖らせて)ドアが閉まってしまいます。Kくんはそのぽっぽにすごくすごく乗りたかったので、ドアをドンドンと叩きました」と、先ほどの絵本を読んでいた時の穏やかでゆったりとした調子で語り始めた。普段は「K」と呼び捨てにしている。あえて「Kくん」と呼んでみた。

当初息子は、「やだ、やだ、絵本がいい」といって、布団の上をぴょんぴょん跳ねまわって聞く耳を持たない様子だったが、ある瞬間にふと空気が変わった。私の方を向き直り、次の瞬間に顔をほころばせ、ニヤニヤ嬉しそうにながらストーリーの続きを待つ表情になっていた。

「しめた」と内心思い、そのまま話を作っていく。機関車に乗れなかった息子は大泣きした後、泣き疲れて遠くを見ると、次の機関車が近づいてくることに気が付くのだ。今度は無事乗り込むことができた。そこには、0歳児から通っている保育園の大好きなH先生、Mちゃんが乗っているーという設定が、自然と口をついて出ていた。

そろそろ電気を消して、体を横たえてほしかった。私と息子は寝室のドアと電気のスイッチのそばで座り込んでいた。「ぽっぽはトンネルに差し掛かりました。トンネルに入ると、車内は真っ暗になりました」という設定で、私は電気のスイッチを押した。すると息子は面白がって、電気を付けた。私が消す、息子が付ける、を3,4回繰り返した。

また明るくなった状態の時、再びトンネルに入った設定にさせてもらった。「K、自分で電気消す?」と尋ねた。「じぶんで、じぶんで」と自分でやることに執着する年次だったため、炎上を招かないための防衛策だった。すると奇妙なことに気付く。息子がおでこの下に両手を重ねて、布団に顔をうずめて起き上がってこない。やや荒い鼻息が聞こえて、すすり泣いている?まさか。「いいの?ママ、消しちゃうよ」と重ねた。「ママ消していいよ」と返ってきた。

すると、ふっと顔を上げた。
「本当に泣いてた・・・?」口を横真一文字に結んで、口角をぎゅっと下に下がっている。瞳も潤んでいる…?まさか。

疑った瞬間、いつものいたずらな表情に切り替わり、ニヤニヤしている。物語手ではなく、素のママに戻った状態で「恐かった?」と聞いてみた。「恐くないよー。もっとぽっぽ、ぽっぽ」と笑顔ではっきり答え、続きをせがむ息子。

気のせいか。私はトンネルの話に戻り、電気を消した。本人はまた電気をつけようとするから、車体が揺れた設定で暗闇で本人を抱き上げて、「トンネルの中でぽっぽは揺れました。H先生がKくん危ないよ、と抱っこしてくれました」と言いながら、息子の布団に横たえさせた。そのまま、お友だちのMちゃんと車内のシートに座り、保育園の送迎時にMちゃんママがくれるドーナッツを食べるシーンへと展開する。

すると顔を伏せっている息子の息遣いが荒いことに再び気付く。さっきまでのは気のせいじゃない、とようやくわかった。私は物語り手の声色から、いつものママ、それもやや焦っている自分に戻り、「K、大丈夫?」とうつぶせの彼を抱き上げた。両手で目をぬぐっている。泣いていたのだ。ギャーギャー声を上げて泣いていたわけではないのに、ひとしきり泣いた後のような吐息、肩の上げ下げを暗い中ででも感じ取ることができた。ヒューヒュー、と彼の息の音がする。

縦抱きにして呼吸のしやすさを確保し、背中を撫でた。息子も強く抱き着いてきた。大好きなぽっぽの話、自分が主人公の話、大好きな人たちとのふれあいの話だったことで、わずか2歳8カ月の男の子の琴線に触れてしまったのだろうか。「ごめんね、びっくりしたよね」と優しく伝えた。度々、様子がおかしかったのに、調子に乗って物語りをし続けてしまったことに、申し訳ない気持ちだった。軽く舌を出してテヘペロ、ママやってしまった、と言いたい気持ちだ。

その後は長かった。息子は長座の私を膝枕にしてゴロゴロ。かと思えば、腰や足を突き上げて、暗闇の布団の上でアクロバットな動きをしていた。そしていつも以上に強くすり寄ってくる。腕を私の首に回して密着しようとする。

ずっと無音が続き、しばらく経った頃、「もっかい、ぽっぽのはなし」とせがんできた。これ以上話すわけにはいかない。それでも「もっかい、もっかい」と金切声のトーンがあがる。観念して「シュ、シュ、シュ、シュ、シュ、ポー」と出発進行して発車する効果音を真似てあげて、「続きは明日」とごまかした。それがまた良くなかった。機関車の効果音だけで、また呼吸が荒くなりかけ、急いで抱き上げた。正直、過呼吸になるんじゃないか、と恐かった。

一度、この寝室のこの時間の流れに区切る必要がある、と感じた。「パパにおやすみの挨拶しようか」と誘い、寝室の扉を開けて、リビングの光を呼び込み、夫を呼んだ。ただならぬ雰囲気に(既に22時近かったはずだ)夫は怪訝な表情で「大丈夫?」と尋ねてきた。「お茶もらう?」と息子に聞いたら、それまで気持ちを落ち着かせるために何度となく勧めて断られていたが、その時は飲む気持ちになってくれて、麦茶を一口含んでくれた。その後だ、比較的すぐ寝付いてくれたのは。

事件だった。絵本はもちろん、しまじろうやディズニーのDVD、YouTubeなどそれなりに物語には触れている。例えば、モンスターズインクのマイクなど、リアルなキャラクターに恐がることはあったが、物語のストーリーそれ自体で泣くことはなかったと思う。それが絵本どころか、母の創作物語で泣いたのだ。これを事前に察知して対策できようか。しかも彼は静かに泣いていた、親が見過ごす(聞き過ごす)くらい静かに。まるで大人が、悲しみや寂しさを一人静かに味わうように。

寝室からそっと抜け出た私は夫に事の顛末を話した、できるだけ事実ベースで。「感情移入しちゃって、悲しくなり、自分でもその感情がよくわからず戸惑ったのでは」と分析していた。そうだと思った。

幼児の思わぬ感受性を目の当たりにした夜だった。いつかチャンスがあれば、発達や心理学ではどう解釈できるのか、知りたいと思った。一夜明けた今でも、あれは何だったんだろうと感じる、不思議な夜だった。

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