『きみは赤ちゃん』

つい先日、母になりまして。

子がこの世に生まれてからというもの、時間の流れ方が今までとまったく違うと同時に、はじめての感情を味わう毎日で。せっかくなので妊娠期から振り返って、諸々を残しておこうとブログに記録することにいたしました。

「妊娠のはじめ」というものに思いを馳せると、それは妊娠検査薬に線が浮かんできた日のことではなく、なぜか川上未映子の『きみは赤ちゃん』というエッセイを買った日のことが思い出されます。それまで(というか今でも)小説を読んだことはないけれど、ただ彼女のビジュアルが好きで髪型を真似したりしていた私。そんな未映子(好きの気持ちを込めて家ではこう呼んでいます)と大好きな劇団「マームとジプシー」のコラボ公演を観劇したばかりということもあって、昨年初夏、偶然本屋で『きみは赤ちゃん』を見つけると、自然にレジに持って行っていたのでした。

本を読むのが遅いほう&飽きて途中で放り投げがちな私ですが、このエッセイばかりは一気に読破。その時点でまだ妊娠も出産も経験していないのに、なぜか妊娠&出産エピソードに共感しまくり大号泣。妊娠したら私もきっとこうなるに違いない!と謎に確信し、夫に「私もこうなると思うから予習しといて」と本を読ませる始末。とにかく大好きな本になってしまい、妊娠・出産が一気に近いもののように感じたきっかけとなりました。

そもそも、妊娠・出産に関してはあまり積極的ではなかった私。本人の了解なしに勝手につくり、この先どうなるかわからないこの世に勝手に生み出してしまうことがとても暴力的な行為だと思っていたのです(今でもその考えは大きく変わってはいなくって、勝手にこの世に生み出してしまったのだから、この子が幸せに生き抜けるように育てるのが私たち親の義務なのだと思っています)。それでも、夫と話し合って、いろんなことを考えて、子を持つことに決めました。子どもをつくるかつくらないか、という議論からはじまり、つくるのであれば、しばらく経っても妊娠しなかった場合、いつ頃から不妊治療をはじめるのか、はじめないのか、そして不妊治療をはじめたとして、いつまで続けるのか。不妊治療の甲斐無く自分たちの子を授からなかったときは、子を持つことを諦めて二人で旅行三昧というのも楽しいね、はたまたアダプトするという選択肢もあるね、どっちにも似ていない子を育てるのもそれはそれできっと楽しいよね、などなど。

もともと夏でも足先がキンキンな冷え性なので、なぜか自分は妊娠しにくい体質だと思い込んでいて、もしかしたら一、二年はかかるかもしれないと覚悟していたのですが、こういう話を前もって二人でしていたことで、なんだか妊娠に対する変な気負いも少なくすんだような気がします。話し合いって大事ですね。とはいえ、会う度に母から「子どもはまだか」と聞かれるストレス&プレッシャーは結構なものでした。つくろうとしている時期だと余計にね。すぐに出来たからいいようなものの、それこそしばらくできなくて悩んでいるときだったら、言葉の凶器以外のなにものでもないし、そのストレスで出来るもんも出来なくなりそう。

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