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転職は日本経済を救う12 ここまでのこのコラムの整理

手違いで、前回分と前々回分の順序が逆転してしまった。
本来、前々回が2006年転職決意、前回が2007年転職のはずだった。

混乱させてしまったので、ここは一度このコラムの内容を整理させていただく。

【このコラムの目的】

今の日本経済の停滞は、もはや成長できない大企業に優秀な人材が塩漬けにされていることが一因だと感じている。
かつての花形産業も、30年もたてば斜陽化する。
10年前、20年前に花形産業に就職したエリートも、それなりの給料がもらえるというだけの理由だけで、成長の見込みのない企業にしがみついている、という図式があるとみている。
私のころでいえば銀行、百貨店などがそれにあたるだろうか。商社は今も頑張っているので大したものだが。
官庁しかり、だ。高度成長時代は日本をけん引したかもしれないが、今や組織防衛に躍起になり、日本のかじ取りができていないのはここ数年の国会を見ればわかる。
国会議員に忖度しているのか、矜持を捨てている官僚のなんと多いことか。
しかし一方、世の中には新しい産業がどんどん生まれている。今はやりのDXは、様々な産業を飲み込みつつある。
そういう産業を、若い人材の独壇場にしていいものではない。
これまで培った経験、頭脳は必ず役に立つ。
古い組織を捨て、新しい世界に飛び込めばいいのだ。
そうすれば日本はきっと甦る。

と御託を並べても説得力はない。
自分の体験談を語るときだ、と思った。
といっても、自分は、エリート経営者のように、起業を転々とし、改革するような人間ではない。
普通の会社員だ。
ただ、俗に「転職するたびに年収が下がる」という転職はしてこなかった。
最初の転職は45歳、そしてコロナ禍で59歳の転職をした。待遇も上がった。

そんな等身大の転職を語ることで、少しでも中高年の転職へのハードルを下げ、
日本経済を活性化したい、というのがこのコラムの目的だ。

【目次】

第一回 はじめに
https://note.com/mayuharu21/n/n28f37fe3be6e
第二回 2021年1月 日経平均30年ぶりの高値 に思う
https://note.com/mayuharu21/n/nc0496e3f5ca5
第三回 1990年2月 29歳 53歳の父の急死
https://note.com/mayuharu21/n/n9751aa72e6c2
第四回 1990年8月 相続 株暴落 日経平均3万円割れ
https://note.com/mayuharu21/n/n08fad0c34af8
第五回 1990年10月 株式の物納を知らず延納したが、株価は下がり続ける
https://note.com/mayuharu21/n/n817bd954213e
第六回 1994年 特例物納に救われる そして行動開始
https://note.com/mayuharu21/n/n9f9e3c5f2e97
第七回 1994年 「自分のように相続で苦しむ人をなくすために税理士になる」ことを決意する
https://note.com/mayuharu21/n/nc3908e5cc24d
第八回 1996年1998年 税理士試験2科目合格 
https://note.com/mayuharu21/n/n094ae1693d63
第九回 税理士試験挫折のあと、もがき、学び、動く
https://note.com/mayuharu21/n/n53133c987cb2
第十回 2006年 システム知識 + 会計知識 → 監査法人転職?
https://note.com/mayuharu21/n/nc6ce3203455c
第十一回 2007年転職決意 過去の事実は変えられないが、過去の意味は変えられる
https://note.com/mayuharu21/n/n395e740af1f2
第十二回 2007年転職 J-SOXアドバイザリー 10数社掛け持ち! CISA、3度目の挑戦で合格
https://note.com/mayuharu21/n/n01117eac702c
この11回と12回が逆転してしまいました。

誤って12回目の後に掲載した11回目の反響が大きかったので、改めて整理させていただいた次第です。
ご迷惑をおかけしました。

【あらすじ】

自営業の父のもとで生まれ育ち、エスカレーター式の一貫校の大学を卒業し、なんとなく大手企業に就職した私。
希望もしない社内システム部門でITを学ぶことは性に合い、最初の1年は楽しく過ごしていたが、2年目から疑問を持ち始める。
このままでは世の中で生きていけなくなる。会社の中でしか通用しなくなる。何かしなくてはと動き出す。
中小企業診断士の勉強をし、一次試験は合格。社内公募に手を挙げ、2年間の企業像構築プロジェクトに参加。
そんな中、父が53歳で急死。1990年、バブルのピークだ。
土地を持っていた父はその土地を担保に借金して株を買い、その株をもとに信用取引をしていた。
バブルピークで相続資産額は膨れ上がっていた。しかしバブルがはじけ、資産は半分になった。借金は減らない。
株価の再上昇を信じ延納したものの、株価は下落の一方で、相続税が払えなくなるのは必至。
そんな時、国の救済制度ができ、住んでいる土地を物納することで、何とかしのいだ。国に地代を払う身となった。
実は相続時、延納でなく、株式を物納できた。そうすれば土地を奪われることはなかった。
その判断の誤りを悔やんだ私は、税理士になることを目指す。
未就学児を抱える身だったが、妻に任せ、会社勤めをしながら必死に勉強する。
何とか2科目合格するが、3科目目がどうしても合格できない。開始から10年近く挑戦して挫折。
その後もBBTなど学習を続け、もがいていたが、あるとき転職の誘いを受ける。
入社来のシステムの知識と、税理士試験で身に着けた会計知識が、J-SOXとやらに役立つというのだ。
監査法人からの誘いだった。
無駄になったと思っていた税理士試験勉強が生きる。過去の意味が変わった。
2007年、45歳、23年勤めた会社を退職し、監査法人に転職することになった。
そして知識を身に着け、10数社をかけもちでJ-SOXの構築支援。年収も大台に乗った。


これで、監査法人アドバイザリーマネージャーとして定年を迎えました、となれば話は終わるのだが、
そうはいかなかった。
続きは次回を。

ご愛読ありがとうございます。

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