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転職は日本経済を救う35 会社で生きるために学ぶか、社会で生きるために学ぶか

前回は、社会に出てからも学び続けること、今はやりの言葉で言えば「リカレント教育」が転職に有効、という話をした。

転職に有効、ということは、社会に役に立つ人材、ということになる。

その意味で、何を学ぶかが重要になる。

これまで書いてきたように、私は闇雲に、目的も定まらない中で学んできたきらいがある。たまたま、結果的に、そういうスキルにニーズのある仕事があり、転職できた。ラッキー、ということだ。

しかし、学ぶ内容によっては、絶対にラッキーがないもの、世の中で役に立たないものがある。会社の中だけで通用する「処世術」だ。

まあ、ごますり、おべっかなどのコミュニケーション能力は、どこの会社に行っても通用する部分はあるから、処世術を全否定するのは言い過ぎだとは思う。コミュニケーション能力は立派なスキルだ。

だが、会社で上司に認められ、出世するためだけに学び続けていれば(学ぶという意識もないかもしれないが、少なくとも頭は使うだろう)、その会社の外で通用する人間にはなれないのではないだろうか。会社の中ではいい位置にいけたとしても。

そして同時に、出世競争のためには、残業を厭わず、私生活を犠牲にすることがこれまでの日本の会社では常識だった。働き方改革で変わろうとしているのかもしれないが、上司が帰らないと帰らない、などの習慣はそう簡単にはなくなるまい。

社会で通用する人材になるために学ぶ者にとっては、そんな時間はこの上なく無駄。もったいない。とっとと帰る。勢い上司からはにらまれ、出世には縁がなくなるかもしれない。

私自身、多いときは月100時間くらい残業した時代もあったが、基本は早く帰りたい、自分のことがしたい、というのが先に立っていた。出世は同期に比べ遅かった。・・・悔しかったが、諦めもついた。

もしかしたら、いわゆる優等生ほど、組織のために学ぶのではないか。いい大学、いい会社、いいポストをめざすという意味で。これは思い切り偏見ではあるが。

【このコラムの結論】

結論は、タイトルの通り。転職できる人材になるには、つまり、社会で役に立つ人材になるには、会社で生きる=出世する ために学ぶのではなく、社会で生きていける人材になるために学ぶことが重要、ということだ。

ただ、未来が読めるわけではないから、何を学べば社会で生きていけるかを見定めるのは難しい。私などはだいぶ回り道をしたので参考にはならない。

だが、そうした回り道を下から見えてきたものもある。次回は「何を学ぶか」を掘り下げてみたい。

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