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転職は日本経済を救う36 正解のない世の中に学ぶ

前回は会社で活きるために学ぶか、社会で生きるために学ぶか、という話をした。
出世には前者のほうがいいに決まっている。
だが、会社とて絶対ではない。いざ転職、となったときには後者が有利になる。

とはいうものの、後者はわかりにくい。
前者は会社の様子を見て、これがいい、と思うものを徹底して研究すればいい。狭い社会だ
後者は、相手は広い社会だ。何を学ぶことが一番有利なのか、さっぱりわからない。
・・・だからこそ前者に走りがちなのかもしれない。
目の前の目標を目指すほうが楽だからだ。
テストがあるから、正解があるから、満点を目指す、テスト優等生のできあがりだ。
社会は広い。世の中に正解などない。明日どうなるかは誰にもわからない。
・・・本来会社だってそうなのだが、人に紐づくと、その人がいる限りはある程度見えてしまう。

世の中に、明日に正解はない。
だが、学び続けることが必要という。
どうすればいいのか。何を学べばいいのか。

これまでの私の実体験を見ていただければお分かりかと思うが、私も実にいろんなことに手を出している。
職場で、1980年代にシステム、PC関係の知識を身につけることができたのは、今のDXの世の中を思えばラッキーだった。
ただ、それでは飽き足らず、というか技術的には深めようとせず、ほかの学習に走った。
中小企業診断士、KJ法、KT法、MindSA、システムアドミニストレータ、BBT問題発見基礎コース、税理士試験、、、
監査法人に移ってCISA、CIAの学習、、、
最近はあまり体系だったものの学習はしていない。世に出ている書籍を年間200冊ほど読む程度。

要するに行き当たりばったり。
よく言えば自然体で、向こうからやってくるものに取り組んでいるだけ。
流行かぶれなのかもしれない。

でもそんなに外した気はしていない。これもこれまで語ってきた通り。
一度取り掛かったものから派生して興味が出て深堀する、ということはやってきたかもしれない。
それでいいと思う。

流行りものはある意味世の中の動きを表しているから、まず食ってみるのがいい。
そしてそれが本物か偽物かを自分なりに判断して、本物だったらもっと味わってみる、というところか。

いずれにしても正解はないと知ることが肝要だろう。
正解を求めると、苦しくなる。狭くなる。視野狭窄になる。ろくなことはない。

失敗覚悟で学び続け、自分なりの正解を探す、というところだろうか。

そんな無駄な時間はない!という声が聞こえてきそうだ。
では次回は学びと「時間」との関係について語ってみようか。

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