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愛おしき寄り道たち

「巡り巡ってしか辿り着けない所がある」という言葉を聞いたことがある。本当にそうだと思う。

色々あった後ゴールしました♪という話ではない。ゴールしたと思ったけど違ったな、とか言いながら、手探りで進む。今いるところが横道でも本筋でも、構わない。ずっと途中なんだな、という感覚が、しいて言えば私にとってのゴール。

以前、感覚が今より眠っていた頃、私はいつも焦っていた。人に自慢できるモノを色々もっているのに、なんか寂しかった。忙しく充実した日々なのに、なんか退屈だった。順調だけど、なんか違う気がする…という不満を消したくて、自己啓発をしてみたり、スピリチュアルにはまってみたりした。

ものすごいパワースポットがあると聞いて出向いたセドナは、赤い土の素晴らしい大自然だった。帰りの空港まで送ってくれた車のドライバーさんが「これから日本で何をしたいですか」と聞いてきた時、私は「人を助けたいです」と答えた。今思うとこれは嘘で、本当は「全然まだ自分が助かりたいです」が心の叫びだった。

世間の、わかりやすい大通りを歩くことに、私は疲れていた。それを認めて、自分だけの道を作れば良かったのだが、道=みんなが歩いてるとこ、と思い込んでいたため、別の大通りに行ってみては失望…をくり返した。

私の中のスーパーパワー?を目覚めさせてくれる場所や人物、ひみつの技法に出会えば、きっと不満も消えるだろうと思って、色々購入した。私は、何ももたない裸の自分と向き合うことを避けていた。自分と二人っきりになるのを怖がって幸せになれるわけないやろ、って今は思うけど、欲しくもないモノに大喜びしている自分とか、感じたら全てが終わる気がして、終わらせることを先延ばしにしていた。

自分から逃げ回る中で月夜の祈りに出会った。私は、誰かが作った大通りを目指すのではなく、自分の足元にある小石を一個一個どけたり、あるいは残すと決めながら、進路を作ることを学び始めた。同志がいる、と思ってみても、それすら幻想で、結局はこの自分とやっていくのだ。心細いけれど、楽しい。

これまで「魔法のアイテム」を山ほど買ってきて、浪費だとは思うが、そのどれが欠けても今日の自分は無かっただろうから、後悔はしていない。ごみと宝物は紙一重で、何も崇めなくて良くて、何も排除しなくて大丈夫だと感じている。

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