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ブラジルで出会った、ドラッグに苦しむ人々。忘れられない。

ブラジルの都市、サンパウロにはドラッグが蔓延している地域があり、Cracolândia と呼ばれている。平均して2000人近くのドラッグ使用者のたまり場になっているとも言われるその地域には、政府が建てた簡易宿泊施設がある。そこで見た光景、そして人々のことは忘れられない。

私は、ボランティアとして、その簡易な施設を何度か訪れた。
初めて訪れたのは夜だった。
夜8時、他のボランティアと共に、ドアをくぐる。
うわ、めっちゃ人いる…。
ちょっと、いっちゃってる感じの人めっちゃいる…。

目に飛び込んできたのは、沢山の、どこか普通とは違くなってしまっている人たち。
何もないところを見つめ続けている人。
毛布にくるまってぼんやりと座っている人。
足の肉がえぐれて膿んでしまっている人。
頭に、銃で打たれた後がある人。
男の人も、女の人も。
若い人も、年を取っている人も。

その簡易施設は、大きな屋根と壁で囲まれた場所で、中心の広場を囲んで、プレハブ小屋のような箱型の部屋がぐるりと並ぶ。政府が、無料で食事と寝る場所、シャワーなどを提供しており、その人の状態しだいで、依存症回復のための施設にも移れるそうだ。
無料で使えるなら、とても良い場所のようにも思えるが、狭い8人部屋、共同トイレ、そして沢山のドラッグ使用者たち…。決して、ずっと滞在したくなるような場所ではない。

私が参加したボランティアは、キリスト教の神父さんが聖書の話をした後に、スープを配り、ボランティアが、それぞれの人の話を聞いたり、一緒に聖書を読んだり、一緒に神に祈ったりするというものだった。

一緒に行ったボランティアたちは皆、キリスト教を教えることで、ドラッグを断ち切れ、神様が良い方に導いてくれると信じている。
私はキリスト教信者ではなく、キリスト教のこともよく知らないため、正直かなり戸惑った。いきなり、キリスト教になろう、今も神様に見守られているのだと教えられて、そう、素直に変われるものなのだろうか。
でも、ドラッグに溺れ、家族とも離れ離れになり、自分ではどうしようもできないような状態の時、何か、常に心の支えになるものがあると、救われるのかもしれないとも思った。


そこで出会った、何人か忘れられない人がいる。

19歳の少年。
ひょろりとして、いつも毛布にくるまって歩いていた。
あまり話はしなかったけれど、じーっと見つめてきて、目が合うとにやっと笑った。側転を見せてくれた。
その簡易施設には初めて来たそうで、一人ぼっちだった。
手に傷があって、理由を聞いたら、昨日、一人で壁を殴ってしまったためだと言う。
施設のスタッフの人は、ずっと食べもしないし、寝もしないんだと心配していた。
にやりとしながら歩き回っていたけれど、どこか寂しそうだった。
私自身も、日本にいる家族を離れて1人でブラジルに来たから、気持ちが分かるような気がして、後でこっそり泣いてしまった。
もう19歳だし、ドラッグだってやってしまっているけれど、でも、本当は誰かに甘えたり、ハグしてもらったりだってして欲しいんじゃないかと思った。
もっと話を聞いたり、何か助けになれるならなりたいと思った。
でも、次に来た時、彼の姿はなく、それ以降ももう会うことはできなかった。その施設から、出て行ってしまったらしい。
どこかで、またドラッグを吸っているのかもしれない…。


ある、30代くらいの男の人のことも忘れられない。
彼は、頭に、銃で撃たれて縫った痕が2か所もある人だったけれど、明るくて、笑顔で、面白い人だった。
娘や妻の写真を見せてくれて、自分はもうドラッグはやめるんだと言っていた。もらったオレンジを取っておいてくれたり、色々なボランティアの人たちと話をして仲良くなったりしていて、人気者だった。
でも、初めて会ってから、1か月ほど後だろうか。またドラッグを使ってしまったという話を聞いた。
彼に会ったら、挨拶はしてくれたものの、表情が暗くて、元気がなく、まるで別人のようで驚いた。あまりに雰囲気が違うために、初めは気づかないほどだった。
今はどうしているのだろうか。また、頑張っているのだろうか。


もう一人、ギターを弾きながら歌ってくれた人のことも良く覚えている。どこで手に入れたのか、スーツにネクタイを締め、カラフルな帽子を被っていた。60代ぐらいの男の人なのだが、その恰好がいやに似合っていた。
その時は、私は昼間、一人で見学しに行ったのだが、
私のために演奏してくれた、彼の歌とギターは、私の心を揺さぶった。
切ないような、ほっとするような音楽で、思わず泣きそうになってしまった。ポルトガル語だったから、歌詞はよく分からなかったけれど、愛の歌だったように思う。
帰りは駅まで送ってくれた。駅までの道の端では沢山、ホームレスの人が寝ているのだが、多くがその人の知り合いで、挨拶しながら歩いた。その人も以前、そこでホームレスとして暮らしていたかららしい。普段はできるだけ関わらないようにしているホームレスの人たちに、挨拶をしながら歩くのは不思議な感覚だった。



しばらくしてからは、そこでのボランティアに行くことは辞めてしまった。
ポルトガル語もキリスト教も分からず、夜遅くまで、あの場所にいるのもあまり楽しいことではなかったから。

でも、彼らのことを思い出すと、心が痛む。

何があって、ドラッグを始めてしまったのか。
家族はどこにいるのか。
どれぐらいの割合の人が、ドラッグを断ち切って自分で生きていけるようになるまで復活するのか。
自分が異常な行動を取っていることや
体が弱っていったりすることにも気が付かずに、どんどんおかしくなっていってしまうのか。

今も、生きているのか…。


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