見出し画像

【396/1096】大人と子どものコミュニケーションの対等さを考える

396日目。昨日、この冒頭文は必要ないかなと思ったのだが、これは「3年間毎日書くということを続ける」という誓いを立てたことの記録として書いているんだ、と気づいた。
まだ半分にもなってなかった。がんばろう。


大人と子どもは存在として対等である。
憲法にもそのように書いてある。

「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」

日本国憲法第11条

生まれた瞬間からこの権利を有しているのだから、大人だろうが子どもだろうが関係ないわけだ。

しかし、だからと言って、子どもが大人と同じというわけではない。

子どもは対等だからと、大人が大人の困りごとを子どもに押し付けると、子どもにとってはトラウマとなることがある。

トラウマは出来事そのものの重大さではなく、「個人の神経系にとってその出来事はどうだったか」ということが問題となる。

トラウマになり得る原因には、
「Too much=許容量より多過ぎる、大きな衝撃」
「Too soon=発達段階にとって早過ぎる」
「Too fast=速度などが速過ぎる」
がある。

子どもは、身体的に神経系が発達段階で成長しており、大人の神経系の成長とはかなり違う。
だから、子どもに大人と同じものを求めてコミュニケーションをすると、トラウマになりうるということがある。
特に親子関係では重要である。
子どもは、一人では生きられない存在であることを忘れてはならない。

元大空小学校の木村泰子先生は「子どもは大人からしたら、みんな弱者」だと言っていて、私もそのとおりだと思っている。
存在としては対等であるが、一人で生活することが成り立たない状態の子は、ケアとサポートが必要な人なのである。

そして、「子ども時代に子どもでいられなかった」というのは、かなり大きな傷つきになりうるということを覚えておきたい。

昨日の記事で「本当に思ってないことは言わない」と書いたのだが、子どもに対して「思っていてもなんでも言っていいわけではない」ということも同じくらい重要である。

特に、自分に怒りがわいているときは、思っていることを子どもにそのまま出さないというのが、めちゃめちゃ大事だと思っている。

私は、具体的には自分のネガティブな感情を、そのまま子どもに出さないことにしている。

たとえば、テレビを観る時間が約束をすぎてしまって、それでも子どもは観たいというとき、声掛けをしてもやめないことがある。

約束の時間だよねと言ってから、テレビを消す。
すると、子どもは当然、わめき倒す。
ものすごく観たかったのに、途中で消されたので、怒りがわいてきていて、普段は言わないような罵倒をすることも間々ある。
「バカ、あほ、死んじゃえ!」とかである。
「ママなんかだいっきらい、死んじゃえ」と言われたら、やはり傷つく。

前は、
「それはママが傷つくから言わないで」とか、
「そんなこと言われたら、ママは悲しくて本当に死んじゃいそうだよ」とか言って泣いていた。①

それか、子どもの興奮に合わせて、自分も興奮してしまい、
「そんなことはどんなに怒ってたとしても、言ってはいけません!」とか、
「バカとかアホとか言ったら、そのとおりになっちゃうんだよ!」とか、
怒りにまかせて、どんどん炸裂してしまっていたりした。②

そのときは、自分がそう思っているから、そのまま口に出していると言う感じであった。

しかし、これをやっても、問題(この場合、テレビを観る時間の約束を守れないこと)は解決しないどころか、私と子どもの関係性が悪化する。
どうしてわかったかと言うと、そのあとに子どもが言ってきたからである。

「バカになっちゃうんでしょ?」
「ダメな子なんでしょ」
「ママ、死なないで」
「ママを傷つけてごめんなさい」

「テレビを観る時間を守る」ということをするために、子どもは私の脅しで傷ついて、何か月も引きずった。
しかも、テレビを観る時間はそれでは守られなかった。

子どもが言った「バカ、アホ、死んじゃえ」は、悪意を持って本当にそのようになれと思って言っているのではなく、
「テレビを観て楽しい時間が終わってしまって悲しい」
「どうしてこんな悲しい想いをしなくちゃいけないんだ、そんなのイヤだ!」
「イヤな気持ちになるとどうしたらいいかわからない」
ということを顕している表現である。

大人は、それをくみ取って表現するのが、対等なコミュニケーションとしてのやり取りなのである。

上記の私の①や②は、大人の私が不快になって、その不快さを抱えきれないから、子どもに返しているだけである。
大人に抱えきれないものを子どもに渡したら、Too fast、Too much、Too soonである。

だから、子どもに渡してはいけない。
大人の不快さは、大人が解決するものなのだ。
一人でやれないときは、大人同士でやるのである。
子どもに大人の悩み相談をしてはいけない。
子どもに相談するのは、子どもに関することをする。子ども自身がすることを、子どもが選択して決められるようにサポートするために相談するのだ。
大人が、大人の問題を子どもに相談したら、Too fast、Too much、Too soonになりうる。
もちろん、何もかもしてはいけないというわけではなくて、そこは何事も臨機応変、バランスなのであるが。

(ちなみにこの時は、私は子どもに心から謝り、この怒りによって発した言葉は、私自身の問題で、あなたたちの問題ではないということを丁寧になるべくやさしい言葉で説明した。子どもはいつでも親を赦してくれる。それに甘えてはならぬ、と自分を戒めた。)

大人が不快になって、子どもの本音、望みに気づけなくなるのは、過去の記憶に引っ張られるからである。
自分の過去の傷つきに引っ張られて、そこがぶわーっと出てきてしまうから、子どもの言葉に反応して返してしまう。
子育てとは自分育てというのは、本当にそのとおりだなーと思う。
子どもを育てながら、自分の未完了を完了させていく旅でもあるのだから。

どうしても反応がとまらない時は、自分一人で解決するのが難しいのだから、セラピーなりカウンセリングなり利用するといい。
そういうのはちょっとなーと思う人は、パートナーや信頼できる人に話を聞いてもらうとよいと思う。

自分が傷ついて、悲しかったことを、ちゃんと観て、記憶を再処理すると、感覚が変わっていく。
これは、頭で整理された記憶ではなく、身体に残っている記憶だから、言葉にならないときは、身体をメンテナンスするのもよいかもしれない。

私はたいてい呼吸でやっちゃうので、本当に呼吸、身体のすごさよ!と思っている。
(ちなみに、今でも定期的にセッションは受けている。)

では、またね。


☆一人で抱えきれないお悩みは、カウンセリング&セラピーでどうぞ。個人セッションはこちら






1096日連続毎日書くことに挑戦中です。サポートしてくださるとものすごくものすごく励みになります◎ あなたにも佳いことがありますように!