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宗教改革(2)

そして前述の信長。この人は宗教権力をまるで信じてなかった。当時としては非常に珍しいタイプの人で、それゆえ扱いも他の敵と一緒、いや兵卒にいたるまで信仰をもっている分さらに苛烈な攻撃を行い、比叡山延暦寺で3千人、伊勢長島、加賀、石山本願寺などでさらなる大量殺戮を行います。

おかげで清盛、信長とも「仏敵」と言われ、いらない敵を作り、いい死に方をしてないですから「仏罰」が下ったなどと世間から評されたりします。
ただ、ヨーロッパにおけるカトリックと同じく、日本では仏教勢力との戦いが日本人を近代化させていったのは間違いないでしょう。
つまり日本の宗教改革はルターやカルビンなどの知識人ではなく、常識を介さない2人の武将によって始められたのです。信仰や迷信に対して「普通に考えてそんなわけないだろう!」みたいに考える日本人がたまに出てくるところが現代人から見るとなんとなくいいですよね。

さて、信長にメタメタにやられた比叡山延暦寺ですが、その若い坊さんの話によると「不滅の法灯」は分灯してたので助かったそうです。(結局、根本中堂の灯は消えたってことですね。)1571年の信長の焼き討ちに関してもさらりと説明してましたね。
ただ調べたら、その恨みがはれたのはごく最近で1994年の法要で解消したそうです。なんで今頃許してるのか、いまいち意味がわかんないですが、94年以前にここに来てたら400年来の恨み節を聞けたんじゃないかと思うと多少残念でした。

◆宗教改革(1)
https://note.com/mazetaro/n/ndc928d070613

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