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古墳と神社

歴史ミステリー。
ピラミッド、ナスカの地上絵から邪馬台国まで、いろいろありますが、私にとって最大の関心事は古墳です。

仁徳天皇陵として知られる世界最大のお墓、大山古墳。
「何だこのカタチは?」と、思いますね。
前方後円墳。
この古墳の分布と天皇家の支配地域が連動しているので非常に興味深い。上空から見たら鍵穴みたいな形は宇宙人を呼び寄せる暗号じゃないか、とかいろいろ言う人がいます。
 
そういう想像も楽しいのですが、埼玉(さきたま)古墳群辺りの手頃な大きさの古墳に行って実際に上ってみると、あれは鍵穴型として作ったのではなく、「円墳」が墓としての本体で、手前の少し低い四角の「方墳」は祭壇なのだとわかります。だから呼び名も「前方後円墳」なんですね。
ただそれも大型化するにつれて、方墳の方まで高くなってる古墳もでてきます。その場合は方墳よりさらに手前に祭壇を設け、祈りを捧げたのでしょう。

【円墳から前方後円墳への変遷】
(●は被葬者、★は祈祷者)
雑に書きましたが、円墳が基本で方墳は祈りの場だったのです。形の変遷には祈りを捧げる祭壇の場所の大きさと周りを囲む水濠(周壕)の存在が大きいことがわかります。現在でも★の箇所に鳥居が設けられて、祈りの場となっている古墳が多いです。

これは、構造としては神社にそっくりで、小さい神社は本殿だけでお参りはそこにしますが、大きい神社は手前から拝殿・幣殿・本殿となっており、神様は一番奥の本殿にいますが、多くの人は手前の拝殿だけ見てそこにお参りしています。(皆さんも暇だったら近くの神社を横から見てみてください。)

【富山護国八幡宮の例】横から見た図
前方(左)から拝殿・幣殿・一番奥の本殿となっている。

だから、神社というのはきっと古墳の延長線上にある存在なのです。実際、古墳の上に建てられている神社もたくさんあります。ただ、神社は清浄な場所でなくてはならないはずなのに、一番の穢(けが)れと考えられる「死穢(しえ)」を伴うお墓がベースというのはどういうことなのか?という疑問が出てきます。謎は深まるばかり、このあたりが歴史ミステリーの思索にはぴったりです。穢れを拡散させないため清浄化の装置として、墓の上に神社を置いたのかもしれません。大きい古墳の周りを囲っている「水濠」も外敵から墓を守るためではなく、中の穢れを外に出さないための封印だという専門家もいます。エヴァンゲリオンの装甲が実は攻撃から守るためのものではなく、中身を抑える拘束具みたいなものだというのと話は一緒で、それほど古代の人々は穢れの存在を怖がっていたのでしょう。
じゃなきゃ、そもそもそんなバカでかいお墓つくったりしない。

すいません。これは私の仮説です。
皆様のお考えを聞かせてください。

宇佐神宮は最もミステリアスな神社のひとつです。古墳の上に建っているという説、明治時代に三之御殿の下から石棺が出てきて「これって、卑弥呼の墓なんじゃ・・」という仮説をとる人もいます。楽しいですね。

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