見出し画像

コミュニケーター

今でこそ、マスコミなんていうとえらい感じで、カタカナ商売の最右翼なわけですが、そんなの最近で、広告代理店なんか戦前はヤクザに等しいというか、とにかく全うな商売ではなかったわけです。
これが、もっと昔になるとベースになる状況が著しく違う。
まずマスコミがない。
「日本書記」なんていうのは元は一冊ですよ。出版とは違って一冊づつ写していくしかないから誰でも読めるものではない。詔勅(天皇の公式発表)を出すなどというのは単に紙に書いたという動作であって、広く伝達する手段がない。紙を目的の人間にとどけたり、口伝えで伝達した。だから街に高札を出すなんていうのは、相当な「マス・コミュニケーション」なわけです。
それでも現代人が歴史を学んでいて
「あぁ、やっぱりマスコミ(メディア)がないからかー。」
なんて感じる場面はほとんどないじゃないですか。いかに人間が情報の伝達を一生懸命行っていたかということですよね。

コミュニケーターが存在してたんですね。憧れのカタカナ商売の祖が、、。
王古の昔には稗田阿礼(ひえだのあれ)という口述伝達の達人がいた。「古事記」の内容を全て覚えていたといいますから驚くべき記憶力なわけです。下って「平家物語」の琵琶法師。頭の中にあの超大作が入っていて「敦盛の最期を頼む」と言われればそのチャプターから再生するipodのような人なのです。しかも、効果音(琵琶演奏)入りですからエンタテインメントでもあった。
さらに時代を下ると高野聖というのがいる。諸国を回って、お経などあげ、金を無心する。要は坊主の格好した乞食なんですがいろんな国を回ってる分、見識が豊富でトークも含蓄や知見があっておもしろい。地域の富豪などは数泊滞在させて京の最新ニュースや領主に関する下世話なワイドショーネタなどで楽しませてもらってたといいます。
そういう意味では、乞食がマスコミ商売の元祖なわけです。

徳川家康の先祖、徳阿弥という男もそういうコミュニケーターとして各地を放浪しているうちに、三河の豪族・松平家の軒先を借りたのです。

徳川の元となった松平家の系図です。

この記事が参加している募集

歴史小説が好き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?