パパとは

今月、父親が亡くなってから7年が経ちました。驚き。
少ない思い出しかない父、けど大好きだったんだなって思い返すたびに思う父。
パパとの話です。自分語りしかないのでご了承を。

私は父が亡くなる半年くらい前にずっと疎遠だった空白の時間が終わって一緒にランチとか酒飲んだりしてた時期でした。きっかけは祖母が亡くなって、祖母の家に一時的に私が住んでたこと、仏壇の世話をしてたこと、父の職場が傍だったこと、祖母(母方)と父が仲良かったこと。
私の母は本当にもうどーーーーしようもないんだけど、離婚してから父とは疎遠になりつつも父は母方の祖母を気にかけてた。入院すれば母親より世話してたし、普段も祖母の家と職場が近いから車出してたり。ってか実は父は母の実家の家業を継いでたから離婚しても祖母と養子縁組を組んでたんですね、んで実の娘よりもずっとお世話してくれてた。
私はおばあちゃんっ子だったからよくパパの話はおばあちゃんから聞いてて。そんなおばあちゃんが亡くなって、まあ母親はどうしようもないから私がばあちゃんちに泊まって仏壇のお世話をしたのがきっかけで数年ぶりに父と会う。

どれだけ父がおばあちゃんのことを支えてたかばあちゃんから聞いてて知ってるから。ばあちゃんの通夜前とかからも色々気にかけてくれて、通夜・葬儀も、母親の独壇場の中でいずらいだろうに一緒にいてくれて。その後も45日、仏壇とかおばあちゃんの世話をする私のためにご飯を買ってきてくれてた。
この辺りから私はパパとやっとご飯したり酒飲んだりし始めるんだけど。

疎遠になったきっかけは母親との離婚、そして私の無知のせい。今思えば離婚も母親の過失なのに私は流されるままに母についていっちゃったから。
ずっと気にはしてたけど会うに会えなくて、やっと会って近況報告とこれから仲良く親子に戻れるかなってタイミングで父は亡くなりました。
突然で、本当に前日に父のお兄さんのおじさんから緊急入院したって連絡が会って急いでおじさんちに行って。夜遅かったから明日面会に行こう、と思ったらその朝亡くなった。


親不孝な娘なんで偉そうなことは何も言わないけども。
晩酌する傍でめちゃくちゃ喋りかける私を側に置いてくれる人でした。おつまみを好き勝手奪っても何も言わないしこうすると美味いんだってちょい足しグルメを教えてくれてたし、高校生になった時にメイクが下手だなとか言われたから頑張ったこともあった。
サザンが好きなパパ。ほぼほぼ話さなくなってたパパが、私が20歳になった時に飲みに連れていってくれたことがありました。パパの行きつけのカラオケスナック。家族で行けば母親に押されて窮屈そうなパパが楽しそうだったのを思い出す。
晩年、私の知らないところで幸せでいてくれてたかな。私の知らないパパが、1人の人間としてただ幸せな瞬間を少しでも過ごしていてくれればといまだに願います。

最後に飲んだ時にいつまで芝居するんだって言われれて。「30歳までかな〜」なんてその場しのぎで言った私、30歳になったらその時にまた何か言えばいいと思ってたし、なんだかんだ受け入れてくれると思ってたから。
私が30歳になる前にいなくなっちゃったね。ごめんなさい、30歳過ぎても芝居してます。
親不孝を極め続けてる最低な娘です。せめてでも約束破ったからなら楽しくちゃんと本気で向き合ってるから許してください。


魂のこととかわかんないけど。
見守っていて欲しい反面、もう幸せな来世を生きてて欲しいとただ願ってます。
もうどこにもいないのは寂しいけどそれより幸せに生きてて欲しいな、今度こそ。

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