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プラテーロとわたし/J.R.ヒメネス、石井崇(絵)、石井洋子(訳)




図書館本から、アンダルシアの詩人ヒメネスの詩画集「プラテーロとわたし」を拝読しました📖´-
(2023,12,14 読了)

またしても読了後の写真を撮り忘れた😅





本書のことは前に拝読した「カヨと私/内澤旬子」で知りました。




内澤旬子さんが旅の途中で出会った本書。
そして、本書を意識して執筆されたエッセイ「カヨと私」。
本書を拝読した内澤旬子さんがどんな風に感じていたのかを私も感じれればと思い手に取りました。



プラテーロ(ロバ)に優しく語りかけながら、アンダルシアの日常を、少しずつ変わりゆく故郷を描いた詩です。
ヒメネスの言葉は柔らかく、哀しみも喜びも全て包み込んでくれるように感じました。
石井崇さんの挿絵もそんな雰囲気にぴったり。

水の宮殿は、いつも同じでありながら
絶えず新しく生まれかわり、時にゆらめく。




私は未だに詩というものをどんな風に読み解けばいいのかわかっていませんが…
ヒメネスの詩からは「中庸」という言葉が浮かんできました。
目の前の現実を静かに見つめ、どんなときも良い悪いと騒ぎ立てずただ受け容れる。
ヒメネスの言葉は私のざわめき立った心を優しく落ち着かせてくれるような心地でした。



そして、ところどころに訳者石井洋子さんの解説が書いてあり、アンダルシアを知らない私にもアンダルシアをイメージすることができました。

アンダルシアの雨の降りかたは、日本のようなしとしととした長雨型ではなく、激しい雨が通り過ぎる驟雨型(しゅううがた)であることが多い。
だから、傘を持ち歩いて外出する人をあまり見かけない。アンダルシアの人間は、降り出したら近くのBarにさっと飛び込んで、熱いコーヒーとともに雨宿りのひとときを過ごすのも悪くない、と考えているのだ。



あぁ、なんとなくゆとりのあるこの感じ素敵。
ヒメネスの言葉から浮かんだ「中庸」というものは、こういうゆとりの中から生まれるのかもしれません。
何事にも囚われな生き方。
諦めるとか妥協するとか希望がないとかではなく、何事にも囚われない。私が目指したい生き方。



去年末に拝読した本を年が明けてやっとこうやって感想を書いていますが、思い返しながら今年の目標が一つ見えてきたような気がします。



どうでもいいけど…
アンダルシアと聞くと近藤真彦の「アンダルシアに憧れて」が頭で流れ出す私は、The昭和の女ですね ふふふ。






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