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「男性育休」を1年取得するに至った理由

育休に入ってはや1週間くらいがたち、準備に追われつつも、今はまだ穏やかな日々を過ごしておりまする……(いまこれを書き始めた時にガザ情勢の特集がテレビでやっており、それはうしろめたい言葉なのだけれど、、)

まだ出産前で、出産や育児開始に向けた道具は一通り調達が完了しているので(産休に先に入っていた妻さんが多くを揃えてくれた…)、今は名前検討や出産/育児知識の勉強の日々なわけです。

妻さんは数日前に前駆陣痛?を思わせる痛みに見舞われ、気が休まらないのだが、それでも痛みが落ち着き、連日良い(悪くはない)天気が続いており妻さんの希望もあったので、今日は非常時対応セットを携帯してパン屋カフェに一緒に行ってきた。このパン屋カフェ、少し前に出社した時にたまたま発見し、パンがまじでうますぎるから一緒に行くぞと妻さんと話していた店で、今日もパンはうますぎだった。夜ご飯用のパンまで買った。ら5000円超えてびっくりしたが。パン屋後は適度に散歩した、お子の名前を考えながら。
程よい運動は出産を促せると聞くのだけど効果はどうなのだろう。お腹が大きくて苦しそうなときもあるので早く生まれるといいなとは思いつつ、お子にとっての良きタイミングもあるのかもしれず、その辺はもう母体と胎児の身体の状態を見守るしかないんだけれど、僕はそわそわしている。
もう直前だ。名前を考えるのがたいへんだ。焦る焦る…

男性社員の育休1年取得、僕の職場ではこれまでに数例あるとのことなんですが、やはり全体の取得者の大多数は数週間から数カ月の期間らしいんですよね。1年は取りにくい雰囲気、的なモノがあるのかしら……。今回の記事から、育休に入るまでの期間について振り返っていきたいと思っておりまする。

で、まず何を書こうか考えたんですが、まあ最初なんで育休を1年取った理由をまとめます。いざ考えてみるといくつかあったので、項目を分けてそれぞれ書いてみます。

育休1年取得の理由と背景

  1. 「夫婦で同期間の育休」を起点に育児を考えるため
    「夫婦で同期間の育休」を取得することが最低ラインだと思っていました。必要ならそれ以上の取得も検討もするし、そこまで必要なければ両方ないし片方の期間を短縮する選択もある。いずれにしても、「夫婦共に同期間取得」から話を始める。それは形式的なことです。形式としてその前提から始めなければいけないと僕は思っており、だから他の項目に先んじて、この点をまずここに挙げる必要があるのです。
    結婚してから、僕と妻さんの間にはさまざまなアンバランスさがありました。長年それで生きてきた姓を片方だけが変更すること、変更に伴う各種手続きの負担、居住地の選択と実家の距離、実家に帰る頻度と負担、居住環境におけるスペースの分け方、仕事環境の差異に伴う家事負担の差、などなど……。それぞれ選択をするたびに、どちらかが負担を多く背負わなければならなくなる。アンバランスさひとつずつに対して、僕は二人で納得できるように話し合いを――と思っていたし、実際にいまでもそう思っている。んだけれど、でもそもそも双方が納得できる結論に「話し合い」でたどり着ける保証って何も無いんですよね……。
    法律婚を選ぶなら(むろん事実婚も選択肢として検討しましたが)必ず片方が姓の変更を強いられるわけで、双方とも自分の姓を希望するなら話し合ったってどうにもならず、それは納得を追求するより、片方の願望を曲げるほかない。その状況において「話し合えば必ず合意できる」という前提は楽観的すぎるし、のんきだし、場合によっては不誠実ですらあると、姓について検討した当時に僕は思ったわけです。
    夫婦はアンバランスさを抱えて生きていかなければいけないようになっている。負担の分け方に合意できないなら、無理に話し合いを続けるのではなく、一方が他方にアンバランスな負担をお願いする、頭を下げる。しかない。姓について、詳しくは書きませんが僕たち夫婦では、僕の希望をかなえてもらうことになった。妻さんに変更してもらい、その際、今後夫婦間で生じうる選択についていくつかの約束(僕自身が負担を引き受けることの約束)をした。姓変更で生じる手続きの手間に対しては、妻さんが欲しがっていたバッグを買った(具体的に時間と手間の負担が生じるため、具体的に欲しいものを買うということにした)。
    自分の姓でいたいという僕の願望が従前のジェンダー規範の内面化によって生成されてきていたということは否めなくて、だからその時僕は、これから事あるごとに夫婦関係を「スキャン」するようにして、まだ気付いていないアンバランスさの発見/自覚、そしてその解消への努力や埋め合わせを続ければならないと思いました。
    それで、今回迎える出産と育児です。日本の従来の出産と育児はまさに夫婦間にあるアンバランスの複合なのであって、しかしそのアンバランスさの一つは形式的にはすぐに解消できる。それが、夫婦で育休取得期間を合わせるところから育児の検討を始める、ということです。

  2. 育休を取得しないことの「非合理性」のため
    理由の二つ目は、夫婦そろって育休を取得しないことが、非合理的だと思われたためです。
    夫婦そろっての育休取得では金銭面がまず心配ごとになるわけですが、育休中は周知の通り「育児休業給付」というものがあり、180日までは給与の67%、以降は50%が受け取れます(詳細は厚労省の資料をどうぞ→育児休業給付の内容と支給申請手続きPDF)。
    給付額を現貯蓄と合わせて、同期間の支出と照らして……と細かく計算したわけじゃないんですが、少なくとも生活費には十分な額がもらえる。
    夫婦の片方が育休を取得しなかった場合、片方はキャリアの継続性を犠牲にさせられる上に平日の育児を一手に引き受けることになり、もう片方は平日の日中は労働しながら仕事後や週末に育児をすることになる。しかも双方に(特に育休取得側に)アンバランス感が残り続ける。
    片方だけ育休というスタイルは、「男が働いて女が家事をする」という日本の工業化期に拡大した「男性稼ぎ主モデル」において成り立っていたのであり、現代の共働き世帯には明らかに妥当しないわけです。片方(ほとんどの場合で妻)はそれまで職場で作り上げてきた社会的なつながりやアイデンティティを切断され、孤独感も抱くだろうし、一人だけ大きな環境変化を押し付けられる。収入のために片方だけ働き続けることに双方合意しているのだとしても、片方のみに大きな環境変化が起きることは様々なコミュニケーション上のリスクを生むわけで、育児負担の偏りを作ることはどうやったってそういうリスク環境に身を置くことになるわけです。
    その上、仮に僕が育休を取らないほうなのだとしても、日中は働き、仕事後や休日は育児に追われるという生活を想像するに、普通にキャパオーバーだと思われました。
    孤独状態/両立状態を回避してコミュニケーション上のリスクを低減させ、心理的安全性を確保し、気持ちにも時間にも余裕をもつことは、合理的な選択だと思われるわけです。
    (※当初はここまで書いたように形式的な夫婦の平等に特に着目して育休について検討していました(そもそも夫婦は形式的にすら対等にさまざまな選択ができる状況ではないと思われたためです)。しかし当時は不勉強でよく分かっていなかったのですが、妊娠は女性の体に非常に大きな負担を強いるため(個人差はあると思いますが)実際には形式的な対等さを超えて夫側が負担を引き受ける必要があると今は思っています。その点についてはいろいろと反省もあり、追々書きます。)
    なお1年という長さについては育休の原則期間にひとまず準じていますが、延長の可能性などは今後検討する予定です。

  3. 「子どものそばにいたい」という私的な事情のため
    上記2項目で僕の言いたいことは大体書き終えているんですが、ほかに育休取得の背景にあるもの(もっと大きな文脈の話)を挙げるとすれば、それは僕自身の家族観とか子ども観とか、「親」像みたいなものです。
    僕の存在基盤の大部分を構成しているのは家族です。僕は母による子への深い愛情を肌身に感じて育ってきた自覚があるし、父が家族や自分のきょうだいを大切にする姿や思いをその具体的な行動や言葉から直に見聞きしてきた。僕はそういう家族のなかで生かしてもらってきて、素朴にそういう家族(それをつくった親)に強い憧れと尊敬がある。
    人間が子どもを作ることは子どもにとってすごく身勝手ですよね。ちょっと青臭い話をしますが、いま人類はどう見ても滅亡に向かっているし(まあ歴史上いつの時代も生きる人々には世界がそう見えていたのかもしれないけど)、大きな戦争の開戦が続き、気候変動が加速して自然災害が誰の目にも明らかに増え、そのうえ社会では分断が深まり、排外主義や差別が蔓延し、陰謀論やフェイクニュース、シンプルに言えば悪意が跋扈している、はっきり言ってこの世界は本当に終わってる。絶望的だと思う。そこに新しい命を産み落とすことに僕は、素朴に罪悪感を抱く。
    けれども僕は、より私的なことを言うならば、誰かをいとおしく思い誰かから大切に思われることに喜びを抱き、誰かからもらった言葉や表現に胸を揺さぶられ、誰かと心通じ合う瞬間に感動し、誰かから分けてもらった感情に共鳴してきた。美しい光景を見たときに地球という星の偉大さに心打たれたり、人文知に触れて人類の歴史の歩みを受け継ぎたいと思ったりもする。人生ってのは本当にすばらしい。生まれてきて良かったと思う。僕は身勝手ながら、人生の素晴らしさを同じように子に感じて欲しいと思う。この世界の絶望感をどうにか低減させたいと思うし、同じように思って欲しい。できるなら「この家族のもとに生きることができてよかった」と子に思ってもらいたい。「思ってもらいたい」なんてのはまじで本当に身勝手なのだが、それでもそのために持てる力を注ぎ込みたい。
    僕が子どものそばにいることによって子にそう思ってもらえるとは限らないわけだけれど、そのための努力はそうでない場合よりもしやすくなるはずなのだから、やっぱりそばにいたいわけです。


ということでかなり長くなってしまったしだいぶ恥ずかしいことも書いたんだが、僕は育休を1年取る理由や背景というのはまあだいたいそんな感じです。次は育休取得に至るまでに起きたこととかを書こうかなと思いますがひとまず今回は疲れたんで終わります……

*トップ画像は記事内容と直接関係ないのですが、このクリエイターさんのイラストがすてきだったので使わせていただきました

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