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『宇宙の戦士』の心に留まった文章の抜粋

はじめに

こんにちは。MDです。

今回はロバート・A・ハインラインのSF小説である『宇宙の戦士』の文章で心に留まったものを抜粋していきたいと思います。

『宇宙の戦士』の世界の国家体制について


抜粋を始める前に、まずは『宇宙の戦士』の世界の国家体制について軽く説明しておこうと思います。

この世界では、最低2年間の兵役を果たした者のみが市民権(投票権や選挙権、被選挙権、役人や先生などの公職に就く権利など)を有しています。

簡単に言えば、兵隊にならなければ市民権が得られないという世界です。

しかし、兵隊になるというのは簡単ではありません。

実戦に似た過酷な訓練では死傷者が出ますし、そうなれば戦力としては使えないわけですからもちろん除隊になります(場合によっては市民権が得られます)。

また、規約違反をすれば鞭打ちや強制除隊(市民権は永久に剥奪)、最悪絞首刑なども執行されます。

さらに、先程「兵隊にならねば市民権が得られない」と前述しましたが、兵役中には市民権は行使できません。

一旦兵隊になって戦いから生き残った後に自らの意志で退役すれば市民権を行使できるようになります。

市民権が誰にでも平等に与えられている民主主義体制の日本で生きる我々には受け入れがたいものかもしれませんね。

ハインラインがこの物語で描いている国家体制には「権利」「義務」という2つのキーワードがあります。

「ノブレス・オブリージュ(高貴なる義務)」という言葉がありますが、これは「権利のためならそれに伴った義務を負わねばならず、義務があればそれに見合った権利を享受できる」という権利と義務の関係を表した言葉です。

この「ノブレス・オブリージュ」という言葉がまさにこの『宇宙の戦士』でハインラインが描いた国家体制を見事に言い表していると言えるでしょう。

つまり、一言でまとめるならば、この国家体制は「権利と義務は表裏一体である」ということを色濃く反映させたものなのです。


抜粋について


では『宇宙の戦士』の世界観をある程度理解できたところで抜粋を始めていきます。

抜粋において抜粋箇所に身勝手ながら副題つけさせていただきます。
副題だけ見て気になった箇所だけ読んでもらっても構いません。

また、ページ数も併せて書いていくので、『宇宙の戦士』に興味を持ったら、実際にそのページを見てみてください。

それから、前回の『論語』のまとめ記事のように自分の意見を述べるというのは今回はあえて控えてみたいと思います。

(↓前回の記事はこちら)

この抜粋を読んだ方々が、それぞれに様々なことを考えてくださればそれで十分であり、自分の拙い意見など不要であると思ったので、今回はそういったスタイルでやってみたいと思います。

それでは始めていきましょう。


1.暴力が多くの物事に決着をつけてきたという事実から目を背けてはならない

“暴力は何も解決しない”などという、歴史的に見てまちがっている、しかも不道徳きわまりない主張にしがみつく者に対しては、ナポレオン・ボナパルトとウェリントン公爵の幽霊を呼び出して議論させてみたらいいと忠告することにしている。ヒトラーの幽霊をレフェーリに据えて、審査員はドードーやオオウミガラスやリョコウバトにすればいい。暴力は、むきだしの力は、ほかのどんな要素と比べても、より多くの歴史上の問題に決着をつけてきたのであり、それに反する意見は最悪の希望的観測にすぎない。この基本的な真理を忘れた種族は、常にみずからの命と自由でその代償を支払うことになったのだ(p43~44)


2.戦争について

戦争とは単なる暴力と殺戮ではない。戦争とはある目的を達成するための制御された暴力だ。戦争の目的とは、政府の決定を力によって支援することだ。けっして、殺すだけのために敵を殺すことではない……こちらがさせたいと思うことを相手にさせることなのだ。殺戮とはちがう……制御された、意図のある暴力だ。しかし、そうした制御の目的を決めるのはおまえやおれの仕事ではない。いつ、どこで、どうやって―あるいはなぜ―戦うかを決めるのは、そもそも兵士の仕事ではない。それは政治家や将軍の仕事だ。政治家は“なぜ”と“どれくらい”を決める。将軍がそれを引き継いで、“どこで”と“いつ”と“どうやって”をおれたちに指示する。おれたちが暴力を受け持ち、ほかの人びと―いわゆる“高齢の賢者たち”―が制御を受け持つ。それがあるべき姿なのだ。(p99~100)


3.価値について

“価値”は人間との結びつきがなければなんの意味もない。物の価値は、常に特定の人物と結びついていて、完全に個人的なものであり、それぞれの人物によって大きさがことなる。“市場価値”というのは作り事で、すべてが量的にことなるのに決まっている個人的価値の平均値をおおざっぱに推測しただけだ。さもなければ取引そのものが不可能になるからな」(中略)「このきわめて個人的な結びつきである“価値”には、ふたつの要素がある。第一に、人がある物によってどんなことができるか―すなわち、その人にとっての“利用価値”だ。第二に、人がそれを手に入れるためになにをしなければならないか―すなわち、その人にとっての“原価”だ。昔の歌に“この世で最高のものはみんな無料(ただ)”と明言しているのがあった。それはちがう!まったくのでたらめだ!この悲劇的な誤りが、二十一世紀の民主主義の堕落と崩壊をもたらしたのだ。こうした崇高な実験が失敗したのは、当時の人びとが、ほしいものは投票さえすればなんでも手に入ると信じ込まされていたからだ……なんの苦労もなく、汗もかかず、涙も流さずに手に入ると。価値あるもので無料なものなどない。呼吸さえ、出生時の努力と苦しみをもってのみ手に入れることができる」(p144~145)


4.悪い人の特徴

“悪しき者は追う人もないのに逃げる”(p168)


5.刑罰について

わたしには“残酷で異常な刑罰”に反対する理由がわからない。裁判官は常に慈悲深くあるべきだが、その裁定は犯罪者に苦痛をもたらさなければならない。さもなければ罰がないのと同じことになってしまう。苦痛とは、何百万年にもおよぶ進化によってわれわれの中に築き上げられた基本的メカニズムであり、なにかがわれわれの生存を脅かしたときに警告する安全装置の役を果たしている。そのように高度に完成された生存メカニズムを利用することを、なぜ社会が拒否しなければならないのだ?(中略)“異常な”と言うが、罰はそもそも異常でなければ、なんの目的も果たすことができない」(p177)


6.道徳があると信じた結果の失敗

口先ばかりの社会改良家たちは、“少年たちの良心に訴えかけ”たり、“手を差し伸べ”たり、“少年たちの道徳感を呼び起こし”たりしようと試みた。くだらん!非行少年たちには“良心”などない。彼らは自分たちのやってきたことが生存のための手段だと経験から学んでいた。まさに叩かれたことのない仔犬だ。だから、楽しみながらやって成功したことが、彼らにとっての“道徳”になったのだ。あらゆる道徳性の基礎にあるのは義務だ。利己主義が個人と結びついているように、義務という概念は集団と結びついている。例の非行少年たちには、だれも彼らが理解できるようなやりかた―つまり鞭打ち―で義務を教えることはなかった。逆に、彼らのいた社会は、“権利”について果てしなく彼らに語り続けていた。その結果は予想されてしかるべきだった。なぜなら、いかなるものであれ、生まれつきの権利などないのだから(p182~183)


7.権利はある?ない?

「先生?“生命、自由、幸福追求”というやつはどうなんですか?」
「ああ、そうだ、“侵されざるべき権利”だな。毎年、だれかがそのご立派な詩を引用してくれる。生命?太平洋の真ん中で溺れかけている男に、どんな生きる“権利”があるのかね?海は彼の叫びに耳をかたむけたりはしない。こどもたちを救うためには命を捨てねばならない父親に、どんな生きる“権利”があるのかね?彼が自分の命を救うことを選ぶとしたら、それは“権利”があるからという問題なのかね?ふたりの男が餓死しかけていて、死以外の唯一の選択肢が食人であるとき、どちらの男の権利が“侵さざるべきもの”なのかね?そもそもそれは“権利”なのか?自由についてだが、あの奴隷解放の文書にサインした英雄たちは、みずからの命で自由を買うことを誓った。自由はけっして侵されざるべき権利ではない。定期的に愛国者たちの血で買い戻さなかったら、必ず消えてしまうものだ。かつて考案されたあらゆる“人間の生得権”の中で、自由はもっとも安価とは縁遠いものであり、けっして無償で手に入ることはない。三番目の“権利”は?“幸福追求”か?これはたしかに侵されざるものだが、そもそも権利ではない。これはひとつの普遍的な状態であって、どんな暴君でも奪うことはできないし、愛国者でも取り返すことはできない。地下牢に入れられようが、火あぶりになろうが、磔にされようが、脳が生きている限りわたしは“幸福追求”ができる―ただし、神だろうと聖人だろうと、賢者だろうと神秘の薬だろうと、わたしが幸福をつかむことを保証はできない」(p183~184)


8.平時とは

“平時”というのは、たとえ軍で死傷者が出たとしても、それが新聞のトップニュースにならないかぎり、民間人がだれも注意を払わない状態のことだ―その民間人が死傷者のだれかの身内なら話は別だが。(p200)


9.皆が持つもの

結局のところ、人はだれでも守らなければならない社会的基準というやつをもっているのではないだろうか?(p216)


10.市民とは

「市民であるということは、ひとつの姿勢であり、精神の状態であり、心から確信することである……部分よりも全体のほうが重要であると……部分はみずからを犠牲にして全体を生かすことを謙虚に誇るべきであると」(p248)


11.戦う理由

機動歩兵が戦うのは機動歩兵だからだ。(p268)


12.エリート肯定への疑念

賢いエリートたちにものごとをまかせればユートピアが実現するというやつだな。もちろん、そんな愚かな試みは頓挫した。なぜなら、科学の追究は、たとえ社会に利益をもたらすとしても、それ自体は社会的美徳ではないからだ。それを実践する人びとは、あまりにも自己中心的になって、社会的な責任感に欠けてしまうことがある。(p275)


13.統治システムについて

歴史上の事例は、絶対君主制から完全無政府主義まで幅が広い。人類は何千もの方法を試みてきたし、提案されたものはさらに多かった。なかには、『共和国』という誤解を招く題名のついたプラトンの著作に刺激されたアリ形共産主義などという珍妙きわまりないものもあった。しかし、その意図は常に道徳的であり、安定した慈悲深い政府を実現することが目的だった。あらゆる統治システムは、これを達成するために、市民権をあたえる対象者を、それを正しく行使できるだけの知恵があると思われる人びとに限定している。繰り返すが、“あらゆる統治システム”がだ。いわゆる“無制限民主主義”でさえ、全人口の少なくとも四分の一を、年齢や生まれや人頭税や犯罪歴などの理由で市民権の対象から除外している(中略)われわれのシステムのもとでは、すべての投票者と公職者が、自発的に困難な職務にあたることで個人の利益よりも集団の繁栄を優先することを実践してきた。(p276~278)


14.市民権は戦力である

市民権とは生の、むきだしの戦力であり、“棍棒と斧の力”だ。たとえ十人で行使されようが百億人で行使されようが、政治的権力は“戦力”なのだ。(p279)


15.権力と責任について

無責任な権力を容認すれば災害の種をまくことになる。本人に制御できない責任を負わせるのはやみくもな愚行でしかない。無制限民主主義が不安定だったのは、その市民が主権者としての権力を行使する方法に責任をもたなかったからだ……ただ歴史の悲劇的な論理をもちいるだけで。(p279)


16.道徳とは

道徳は―すべての道徳規則は―生存本能から生まれる。道徳的な行動とは、個人のレベルを超えた生存のための行動だ。(p282)


17.正しい道徳とは

人間は見たとおりの存在で、あらゆる競争相手に打ち勝って生き延びる意志と(これまでのところは)能力をもつ野獣だ。その事実を受け入れないかぎり、道徳や戦争や政治についてなにを語ろうとナンセンスだ。正しい道徳とは、人間が何者であるかを知るところから生まれるのであって、人道主義者や善意のリーネット伯母さんがそうなってほしいと望むものではない。(p283~284)


18.闘争心は買えない

ごく少数の機動歩兵は事務作業をしているけど、彼らは必ず腕か脚かそれ以外のどこかをなくしている。こういう退役を拒否した人びと―ホウ軍曹やニールセン大佐―は、ほんとうはふたり分にかぞえるべきなのだ。なぜなら、闘争心は必要でも肉体が完璧である必要はない仕事を彼らが引き受けてくれるおかげで、五体満足な機動歩兵が解放されるのだから。彼らは民間人にはできない仕事をしている―そうでなければ民間人が雇われるだろう。民間人は豆のようなものだ。技術と経験さえあればいい仕事のためなら、必要なだけ買うことができる。けど、闘争心を買うことはできない。それはなかなか手に入らないものだ。ぼくたちはそれらを残らず使い、ひとつとしてむだにはしない。(中略)この“全員が戦う”という原則があるからこそ、機動歩兵部隊はこんなに士官が少なくてもやっていけるのだ。(p315~317)


19.人間という種の信念

こんな見出しをどれだけ頻繁に見かけるだろう―〈溺れかけたこどもを救おうとして二人が死亡〉。ひとりの男が山で行方不明になっただけで、数百人が捜索に出かけて、しばしば二、三人の死者を出してしまう。それでも、次にだれかが行方不明になると、同じくらい大勢の志願者が捜索に加わるのだ。とても割に合わない……でも、すごく人間的だ。そうした特徴は、ぼくたちのあらゆる民話に、あらゆる宗教に、あらゆる文学作品に見られる―だれかが助けを必要としているとき、ほかの人びとは見返りを考えないというのが、種としての信念なのだ。(p340)


おわりに


いかがだったでしょうか。

今回抜粋した19節の文章を読んだだけでも、今までの自分が持っていた固定観念のようなものを打ち砕かれた感じがしますよね。

実はこの『宇宙の戦士』が初めてに読んだSF小説だったのですが、これほどに著者の思想というのを反映させた作品というのをジブリ作品以外に出会ったことが無かったので、ものすごく新鮮で、興味深かったです。

これからもどんどんSFを読んでいきたいです!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

ではまた次の記事で~

(↓Amazonのリンク貼っておきますね)





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