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救急外来のシャワー室の窓は、社会の弱いところを見つめる窓

                         執筆:雨田立憲先生
 

12月中旬の寒い日、救急隊から、体動困難で失禁などもある患者(仮にTさんとする)の受け入れ要請があった。異臭が強いためシャワーが必要とのことであった。詳細は不明だが、アパートの大家がTさん退去後の部屋に状況確認に行ったところ、退去したはずのTさんが身動きもできない状態でいたので、警察介入後救急要請となったという。 

◆受け入れまでに

今回シャワーに入るメンバーは研修医A君、実習中の医学生B君、看護師Cさんの3人。シャワーの準備や防護衣を着用しながら、
研修医A:こういう例は、路上生活者やアルコール依存の人が多いのだけど、今回はどうなのかなぁ、そのまま初療をするか?
学生B:初めてなんですけど……頑張ります。
研修医A:とりあえず垢と失禁物を綺麗にしておけばいいかな。
看護師C:ちゃんと髪の毛も洗ってね!

◆救急車到着

間もなく救急車が到着。救急隊員と一緒にTさんの衣服を脱がせて、シャワー用のストレッチャーに移動させた。
この間に救急隊長から状況を確認した。
救急隊長:部屋の様子を見に行った大家さんが発見者で、警察通報後、出動した警察から救急要請がありました。運転免許証から本人確認を行いました。
研修医A:部屋はゴミなど散らかって汚かったですか?
救急隊長:いいえ。むしろ何もない感じで、電気・ガス・水道は使えない状態です。
指導医:搬送歴や飲酒の形跡は?
救急隊:いずれもないです。 

◆シャワー中

指導医は、「シャワー中も、できる範囲内で病歴や麻痺・外傷の有無、痛がるところ、皮膚の状態、褥瘡などの確認をするように」と指示。また医療連携室への連絡や、後から来る警察等から情報収集をするように指示をして、シャワー室から退出した。
A君、B君、Cさんはシャワーを開始。
研修医A:Tさん、お湯をかけますよ(足先からお湯をかけながら)。大丈夫ですか。
学生B:(ボディソープを使いガーゼで垢等を拭き取りつつ)Tさん、体を洗いますよ。
学生B:髪の毛も洗いますねー、シャンプーをつけますよ。
Tさんに声をかけ、状態を観察しながら、シャワーを行った。 

◆医療的側面

指導医は常日頃から、シャワー中の診察が重要であることを話していたので、研修医に尋ねてみた。
指導医:何か情報は得られた?
研修医A:垢や失禁物の付着があり、臭いもきつかったです。褥瘡はごく軽度でしたが、目の動きが変でした。今までに見たことがない動きで上下に動いていました。でも、明らかな麻痺などはなさそうで、頭蓋内病変(脳出血など)の可能性は高くなさそうです。会話も少し曖昧なところはありますが、食事はほとんど取っていないようでした。救急隊の話では、何もない部屋でバケツに尿が溜めてあったそうです。所持品は寝袋が一つと、メモ帳や充電切れのスマホ、着替えなどが入ったバッグが一つだけでした。
指導医:目の動き……それって垂直眼振と判断した方がよいよね。そうだとすれば必要な情報(病歴)を得るための検査も決まるし、加療方針の目処も立つよね?
学生B:……??
研修医A:垂直眼振??
指導医:垂直眼振は代謝性障害でビタミンB1欠乏は有名だよね。
研修医A:あー、ウェルニッケ脳症か!
 
アルコール依存症ではなさそうだ。食事をほとんど取っていないことが原因のビタミン不足、電解質異常、飢餓状態(栄養状態が悪い)との判断であれば、栄養管理上、リフィーディング症候群を考えた対応をする必要がある。(※リフィーディング症候群は、慢性的な栄養障害がある状態に対して、急激に栄養補給を行うと発症する代謝性の合併症)
この加療方針のためにA君が主治医となり、栄養士と連携しつつ治療を開始した。

◆社会的側面

Tさんのこれまでの状況について、一緒に来院したアパートの大家・警察官から、当院の医療連携室のスタッフなどと連携して情報を集めた。
回復後の本人からの情報も併せて述べておこう。
 
Tさんは当地の出身で、東京の有名大学を卒業後、大手企業でIT技術者として働いていた。10年くらい前に仕事のストレスなどで会社を辞めた。しばらくは東京でアルバイトをしながら生活していた。その後、帰郷し母親と同居(もともと母子家庭)。コンビニなどでアルバイトをしていたが長続きせず、職場を転々としていたようだ。半年前に母親がくも膜下出血で急死したのを契機に、アルバイトもせずに公園などで過ごしていた。アパートの家賃滞納があり1ヵ月前に退去となった。大家には「東京で元の職場関係者が独立したので、そこに誘われており、仕事に就く」と話していた。しかし、実際は公園で寝袋に入って野宿をしていた。寒くなり持っていた合鍵を使って、母親と同居していた部屋で過ごしていた。最初は手持ちの現金があったので、コンビニのおにぎりを日に1〜2個食べ、公園の水道で水を飲んでいた。2週間くらい前が最後の食事で、その後は水だけで過ごしていたが、いつの間にか動けなくなった。
 
病歴・検査などよりTさんの診断は以下のとおり。
#1 ウェルニッケ脳症
#2 低栄養
#3 適応障害・発達障害疑い(精神科介入)

◆その後の経過

リフィーディング症候群高リスクと判断し、栄養士と連携しつつ、ビタミンの投与をしっかり行い、慎重に食事を開始した。徐々に摂取カロリーを上げていき、その間にリハビリや今後の方針を計画した。いきなり仕事復帰やアパート暮らしは困難と判断し、まずは生活保護の申請・リハビリでの転院調整・支援ができる親戚等の確認などを行い、生活の目処を立てた。本人はIT関連で何かできないかを考えていたので、その辺の就労支援も入れるように転院先と調整をして転院となった。
 
研修医A:高齢者で救急外来受け入れ後にシャワーをする人は転倒して骨折や脳卒中が多く、また中年の例ではアルコール依存症が多かったので依存症と思ってしまった。ウェルニッケ脳症になるのは依存症の人が多いが、こんな背景の患者がいるとは?
学生B:栄養状態が悪くてウェルニッケ脳症になるのは過去の話と思っていました。
指導医:今でもアルコール依存症以外でも時々いるよ。患者が医師の前で最初は正直に話しにくいことが3つある。それについてはいつも言っているよね。
研修医A:飲酒量・性活動歴・経済的問題ですね!
指導医:この方の人生にもいろいろなことがあったはず……。全身状態が良くなったらゆっくり話を聞く必要がある。患者さんの社会背景や、これまでの生活スタイルなどを知った上で治療することは重要なので、信頼関係を築いて聞けるようになりたいよね。自分もまだまだだけど。
教科書、マスコミやSNSなどの情報だけでなく、学生のうちに実体験をしておくと、患者さんの背景を考えながら診療する意識が芽生えると思う。だから学生さんには、チャンスがあればシャワーが必要な患者さんの診療に参加してもらっているんだよ。 

◆救急外来のシャワー室の窓

当院救急室でシャワーを行う方は、コロナ時期に一時的に減ったものの最近また増加してきている。毎年30名前後がシャワーをしたのちに診察に入る。その大部分は高齢者(ほぼ1人暮らし、あるいは認知症)やアルコール依存症、あるいは路上生活の患者さんだ。
 
患者さんそれぞれに今までの人生があるが、異臭や汚物で現在の境遇も覆い隠されている。シャワーでそれらを洗い流すと、その人の人生や置かれている境遇がおのずと見えてくる。シャワーが必要な患者さんには社会的弱者と言われる医療・福祉のネットワークからもれている方も多くいる。Tさんのように、病歴聴取が困難なこともままあり、生活・社会的背景を知るために、家族(遠方の方も多い)や近隣住民、警察など、いろいろな方の協力が必要になることも多い。退院できる状態になるまでに、医療福祉のいろいろな機関との調整が不可欠で、院内・院外で多職種連携が必要になる。
その患者さんの背景を見ていくことで、今後の生き方や活用できる社会的資源を見つけだして、再出発を手伝うことができる。
シャワー室からはそんな社会そのものが垣間見える。
 
救急外来では心肺蘇生や重症外傷の処置のほかに、このような社会的に複雑な問題を抱えた患者さんの診療も行っている。学生・研修医にとっては、地域の社会状況を肌で直接感じられる場所なのだ。
救急外来がしっかり機能すれば地域のセーフティネットになると信じて、日々診療をしている。

*就職氷河期世代

就職氷河期世代の中心である2019年時点で35~44歳の雇用形態をみると、非正規雇用の359万人の中には男性を中心に不本意非正規の方が多い。また無業者は39万人と横這いが続いている。再チャレンジ施策などの効果も見込まれるが、社会全体として取り組む必要がある。
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/19/dl/1-01.pdf (40ページ)
 

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※このエピソードは実話ではなく、これまで経験した例をもとにしたフィクションです。


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