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市販薬を飲んで震えが止まらなくなった女性

執筆:千葉拓世先生

ある平日の昼に、病院正面の事務から救急外来に電話が入った。「初診の患者さんなのですが、震えて立てないということで受診を希望されています。診察をお願いできますか?」幸いにしてそれほど混み合っていない時間帯でもあり、患者はすぐに救急室に車椅子で運ばれてきて、診察を受けることになった。
患者(Aさん)は21歳女性で、特に大きな病気をしたことがない健康な方だ。Aさんは高校を卒業して、実家を出て東京で一人暮しをしてアパレル店で勤めている。ファッションにも敏感なのだろうなとうかがえる身なりをしている。今日は会社に出勤してこないので、同僚が様子を見に行ったところ自宅で動けなくなっていたので病院を受診することになった。

救急外来にて

Aさんは手足が若干震えていて、脈が早く、目も大きく見開いた状態で、あまり会話も噛み合わない。本人からの話では何が起こっているのか全く分からない。まずはベッドに横になってもらい、点滴や採血、心電図などを手早く行う。一緒に病院に来ていた同僚であり友人のBさんに話を聞く。
Aさんは、もともと精神的に若干不安定な様子があった。東京近郊に住む高校時代の友人と仲良くしていたが、ラインでのやりとりで行き違いがあり、それから疎遠になってしまった。Aさんが、それをTwitterに書き込んだところ、共通の友人が見つけて、Aさん以外の友人たちに知れ渡ってしまい、Aさんは孤立してしまったということがあった。仕事はもともと自分がやりたかったアパレルの仕事で上京当初は楽しそうに働いていたが、会計処理や発注などの事務仕事がうまくできず小さなミスが重なり、上司や同僚からの評判が下がっていて、最近は仕事に行く気にならないと話していた。昨日は顧客の取り置き依頼を忘れてしまって、ほかの客に売ってしまい、上司に注意され落ち込んでしまっていた。
さらに何か気になることがないかと聞くと、普段から特にかぜを引いたというわけでもなく市販の風邪薬などを飲んでおり、それを飲むと少し気持ちがスッキリとするとも話していたことが分かった。BさんにSNSをチェックしてもらうと、前日の夜中に「今日はこれを飲みます」とAさんが薬を飲む様子がアップされていた。これらの話から市販薬の中毒を疑い、採血・心電図など各種検査を行った上で経過観察のために入院となった。入院翌日までには脈も血圧も正常になり、意識も元通りに戻った。

話ができるようになったAさんに改めて聞いてみた。
Aさんの話:1年ほど前から市販の薬を飲むのが癖になっていた。最初は眠れないということで不眠の薬を飲み始めたが、その後はストレスが溜まった時やむしゃくしゃした時に薬を飲むと気持ちが落ち着くために市販薬を飲むことが増えていった。だんだんと量が増えていき、最近は1瓶丸ごと飲んだりすることもある。別に死にたいという思いがあるわけではない。ただ、薬がないとつらいという思いがあり、いつもカバンの中には市販薬を入れて持ち歩いている。

医療的側面

Aさんについて、診断は市販薬中毒・依存症。

近年、市販薬中毒が増加している。特に若年層で広がっており、高校生では60人に1人(1.6%)がこの1年間で市販薬(鎮咳薬・風邪薬・解熱鎮痛薬)を乱用したという調査結果も出ている。大麻やその他の違法薬物に比べて遥かに多く、危険ドラッグが下火になってきた現在で最も問題となっている乱用物質といえる。一般に(特に原因物質が不明のとき)、中毒の診療では診察して得られた所見からどんな薬物の中毒なのか推定することが行われ、治療につなげられるが、市販薬にはさまざまな種類の薬物が混ぜられており、診察で得られる所見もさまざまな中毒の所見が入り混じって原因が分かりにくいという問題がある。治療についても中毒を魔法のように良くする拮抗薬はなく、支持療法といって体の機能を点滴や酸素などでサポートしながら、体から毒物が自然と排泄されていくのを待つしかない。幸いにして今回はそれほど重症ではなかったが、服用した量によっては人工呼吸器が必要になったり、集中治療室に入ることもある。
 
薬物使用と生活に関する全国高校生調査 令和4年度研究報告書
https://www.ncnp.go.jp/nimh/yakubutsu/report/pdf/highschool2021.pdf
 
薬物乱用・依存状況の実態把握と薬物依存症者の社会復帰に向けた支援に関する研究 令和3年度総括・分担研究報告書
https://www.ncnp.go.jp/nimh/yakubutsu/report/pdf/J_NGPS_2021.pdf

社会的側面

コロナ禍を経て市販薬の急性中毒および依存が増加している。社会的に孤立して、生きづらい、相談できる友人がいない、自粛によるストレスなどが影響していると考えられている。市販薬を乱用している患者は、一般に「薬物乱用」という言葉から想像される社会的規範からずれたワルというタイプではなく、非行歴もなく寡黙で真面目なタイプが多い。そのような人がストレスを抱える中で、気持ちを上向きにさせるために市販薬に手を出しているという状況がある。
市販薬はその名の通り薬局で市販されている薬物であり、OTC(Over The Counter)薬とも呼ばれ、その購入も使用も違法ではない。使用する側も違法ではないということから市販薬を選ぶ患者が多いとされる。しばしば乱用される風邪薬などの第二類医薬品には1回の購入個数に制限があるものの、薬剤師がいない薬局でもオンラインでも購入することができ、多少手間をかければ多量に購入することもできる。このような入手の容易さも、問題を広げている。また、市販薬だから安全と思われがちだが、風邪薬の成分のほとんどは病院で処方される医薬品と同じものだ。1錠あたりに含まれる量が少なくはなっているが、量を多く摂取すると命の危険があることには変わりがない。
市販薬の販売をどのように規制していくかは社会全体で考えていく必要がある。今までは依存症予防については「依存はダメだ、人間をダメにする」とレッテルを貼り恐怖を与えて禁止する方法が行われていたが、有効な予防方法ではない。レッテルを貼ることでさらに孤立を助長して解決にはつながらない。それよりも社会の枠組みの中でサポートを提供し、孤立を防ぎ、薬物依存を予防していく必要がある。患者の中には薬に依存する部分のみではなく、依存状態から開放されたいという気持ちも存在しており、そういった相反する思いを理解して支援の手を差し伸べることが重要になる。
しかし、依存症になってしまっている患者は自ら助けを求めることができないことが多く、医療者が気付いて手を差し伸べていくことで、依存症の治療につなげていくことが可能になる。

その後の経過

Aさんの家族も遠方から来院され、状況に驚くとともに、今後は時折様子を見に来てくれることになった。Aさんについては、市販薬による薬物依存として精神科医が診察した。精神保健福祉センターなどの相談窓口を紹介するとともに、薬物依存症として今後も継続して精神科の外来で診療を受けることとなり、退院となった。とはいえ、今回の入院でAさんの社会的背景が改善したわけではなく、今後も継続したサポートが必要になる。友人・家族・医療者など患者を取り巻く多くの人が長期にわたり関わり続けることでしか解決できない難しい問題である。 

医療者からの視線

依存症や中毒の患者は中毒という身体の病気を抱えるだけでなく、依存症という社会的に対応が必要なこともあり、医療機関の中には診察などの対応ができない病院もある。救急医だからこそ精神科・内科などの垣根を超えて診察に当たることができるという自負心を持ちつつも、このような問題を抱えた患者が増えてきていて、容易には解決できない世知辛い現実が目の前にある。自分ができることの限界を感じつつ、医療者としてできることを一つ一つ積み重ねて社会に還元できたらいいなと考えている。

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※このエピソードは実話ではなく、これまで経験した例をもとにしたフィクションです。
 


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