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「妹のことを話してみたい」(その10)~ 新たな門出

 以後、夫から何度か連絡があった。

 最初の電話は、泣き落しの留守電だった。

― 僕には貴美子が必要なんや。どないしたら帰って来てくれるやろ・・・。暴力がいかんのやったら、片腕切り落としたら帰って来てくれるやろか・・・ ―

 絞り出すような声と、さめざめとした泣き声が録音されていた。
 相変わらず自分に酔っている。感情に訴えれば相手を自分のペースに巻き込めると思っている。
 感情の高ぶりを愛と思い込み、それを相手にぶつけて見せるというのは、ドラマや流行歌の常套手段だ。その真似事をしているような思考の薄さが見える。
 思い込みの強さを感情の発露という形で相手に提示して見せるというのは、立場を変えて冷めた目で見ると、相手のことなどお構いなしの一方的な自己主張、単なる我がままにしか見えない。要求を通すために泣きわめく幼児と大差ない。そんなもので相手の人生を支えられるわけがない。

 あるときは、電話口でこちらを疑い、責めてきた。

「なんの問題もなく暮らしとったのに、お兄さんが来てから急に貴美子がおらんようになった。背後にお兄さんと鹿児島の両親が関係しとるとみて、告訴します」

 ― おいおい、片腕切り落とすんじゃなかったんかい? ―

 あの手がダメなら、この手で責める。一貫性などまるでなし。感情にまかせた姑息な猿芝居。薄っぺらい人間性が丸見えだ。
 このときばかりは、こちらも我慢も限界に達した。黙って聞いていることが出来なくなり、怒気のこもった激しい口調で、機関銃のようにまくしたて、返答の余地さえ与えず、最後は受話器を叩きつけて通話を終えた。何を喋ったか覚えていない。

 電話でのそんな遣り取りのことなど、もちろん妹には黙っていた。そんなことを話しても何の意味もない。
 そんなことより、今後の生活をどうするか、それを考えなければならない。

 妹は、職安に出向き、求人面接を数か所受け、最終候補として保険の外交2件に絞った。生来の社交性を生かせる仕事だ。
 どちらの会社にするかと思っていたら、私の予想に反して、妹は経営規模の小さいほうの会社を選んだ、決め手となったのは、会社の規模ではなく、面接官の話の内容や人柄、背後に感じられる社風などが自分に合っているかという点だった。

 なるほど・・・、貴美子らしい。

 自分だったら、会社のネームバリューで選び、その場に自分を適用させることだけを考えるだろう。
 より自分らしい自分でいられる、自分を主体とした労働環境を選ぶ。そういう考え方に「目からうろこ」の思いだった。

 仕事も決まり、夫の影からも次第に解放されていく妹。そんな自分のことを、「なんて幸せなんだろう」と口にした。
 外から見ていると、ようやく普通の状態に戻っただけなのだが、その普通にしていられることの喜びを感じている姿に、改めてそれまでの苦悩の深さを感じた。

 妹が仕事に慣れ、上田と言う町に馴染むのに、さほどの時間はかからなかった。

 いよいよ離婚調停に向けての準備も始めなければならないかと考えていたころ、思いがけず、夫の方から一通の封書が届いた。

 中には離婚届が入っており、左半分が記入され、ハンコが押されていた。
短い手紙も添えられており、最後にこんなことが書かれていた。

― 三人のこどもがこれ以上不幸な体験をしないようにくれぐれもよろしくお願いします ―

 妹が鈴鹿の家を出てから、8か月後のことだった。

 誰のせいで、こうなったと思っているのか・・・。いい気なもんだと思ったが、この頃になると、もう相手がどう考えようと、遠ざかってさえくれれば、それで良いと思えた。

 妹たちが上田に来て半年ほど経った頃、それまで作曲と制作に取り掛かっていたシンセサイザーによる組曲を収めたCDが完成し、同志による祝賀会が企画された。そこに妹も招待したのだが、当日、会場でその姿を見たとき、最初は誰だか分からなかった。知らない人物などいるはずのない会場の中に、大柄で個性的な存在感のある女性の姿を見て、さてはて誰かと思っていると、それが妹だった。
 その時は、間近で見ている時と、随分印象が違うもんだと思っただけだったが、こうして当時を振り返りながら書いていると、心境の変化が外見にも表れていたということに、今更ながら気付かされた。

 それ以降、妹は完成したCDを多くの人に紹介してくれ、そんな中には、音楽に感動して、是非作曲者に合わせて欲しいと言っている人がいるとも聞いた。
 妹の存在は、私自身にも良い影響を及ぼし始めていた。



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