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「妹のことを話してみたい」(その4)~ 大学時代

 地元の女子高を卒業した妹は、大阪芸大舞台芸術科へと進学することになる。

 思えば、中学時代から映画を観ることに一方ならぬ興味を示していた。1シーズンに2本の映画を観たがったことがあった。まだ稼ぎのない身分であったため、家族から1本に絞るように諭されたが、どうしても2本観たいと強く主張した。結局最後は、しぶしぶそれに応じざるを得なかったのだが、そのときの無念そうな姿が強く印象に残っている。
 それからもうひとつ。確か中学時代、全国規模の文芸クラブを立ち上げ、機関紙の編集長に収まったことがあった。身近にいたはずの編集委員その他と、具体的にどのように活動していたかまでは知らない。その頃の貴美子は、私の目には、年の離れた言わば味噌っカスであり、その精神世界は、まだまだ未熟だとばかり思い込んでいた。その行動は、良く言えばアクティヴではあるものの、その場の思い付きで行動を起こし、どちらかというと慎重さに欠ける自己中心的な娘という感じにしか見えていなかったが、それはごく表層的な見方に過ぎず、その奥底に潜んでいた彼女の実像を、まったく捉え切れていなかったと、現時点では思える。
 こうして時の流れを越えて記憶を手繰り寄せてみると、それまではっきりと見えていなかった妹のある部分、映画や文芸など表現芸術に対する興味のあり方が、活き活きと眼前に浮かびあがってくる。

 女子大生となった貴美子に、初めて会った瞬間のことを今でもよく覚えている。

 大阪府河内市に住んでいた妹を訪ねたときのこと。マンションの最寄り駅付近に立ち、初めて降り立ったその町で、通り過ぎる人々を、青空の下でぼんやりと眺めていた。
 スーツ姿の男性、乳母車を押す若いお母さん、3人組の小学生たち、ジーンズ姿の若いロングヘアーの女性。その若い女の子が小首を傾げ微笑む姿が印象的だった。待ち人の姿を見つけたらしい。
 皆がそれぞれのテリトリーで、その瞬間瞬間を呼吸している。それらの人々を何となく見送りながら、やってくるはずの妹の姿を探していた。

 「お兄さん!」

 思いがけない方向から聞こえた声に、驚いて振り返る。
 驚いた。
 さきほど見かけたばかりのロングヘアーの女の子だ。

 「あ、貴美子」

 とっさに出てきたのは、その一言だけだった。

 「もう、さっきから笑いかけてるのに、全然気づいてくれないんだもん」
 「貴美子だとは思わんかったわ。ずいぶん可愛くなったね」
 「何言ってるの。久しぶりに会ったからって、無理に褒めなくてもいいよ」

 妹は屈託なく笑った。

 生まれ育った家庭を、自分がいるべき場所ではないと早くから感じていた妹。中学、高校という規制の強い世界の中にいた妹。そこから解き放たれた彼女の姿は、私の目に眩しく映った。  

 妹は、友人と二人でマンションの一室をシェアしていた。二人の他にチワワが1匹。帰宅した妹にまとわりついた。
 友人は夏季帰省中で、その部屋に泊めてもらえた。と言うか、そのタイミングを見計らって行ったわけだが・・・。

 フローリングの明るい部屋があって、壁には全身が映せる大きな鏡。二人が、それぞれ自分の姿を映して、演技の練習や衣装チェックに使っているものだ。
 芝居を志す若い人たちの部屋。そこに案内されたとき、空間の伸びやかさが新鮮に感じられた。
 当時、音大に通っていた自分の部屋は、6畳間の本棚に書籍と楽譜を並べ、その横の3畳の板の間に、アップライトピアノを置いてあった。妹たちの部屋と比べると、生真面目でちんまりと閉じた空間だった。

 妹は、オーブントースターで昼食を作ってくれた。煮たり炒めたりすると周囲が汚れるからと。
 ジャガイモを中心として、ベーコンや野菜類を塩コショウで焼きあげたそのオリジナル料理の味は、私の舌を満足させた。

 その後、妹と私はゆっくりと語り合った。

 同居している友人のあだ名は「すずめ」。
 それを本名だと思い込む輩もいて、
 「おまえの両親は、なんでそんな名前を付けたんや。もし会うことがあったら、絶対文句言うたる」
 そう息巻いた男の子もいたと、妹は笑った。
 さらに、鹿児島と大阪の若者の気質の違い、有名な客員教授の印象、交友関係、好きな音楽。これまでに書いた高校時代のエピソードの大部分も、このとき初めて聞いた。いつ果てるとも知れないお喋りの話題は多岐に亘った。

 「あたしって、年下の男の子から、慕われるんだよ」
 「へぇ・・・」
 「マイねえって呼ばれててね」
 「なんでマイなの?」
 「わからん。けどみんなそう呼ぶんだよ。それでさぁ、よく相談持ちかけられるんだよ」
 「そんな一面があったんだねえ。ウチじゃ末っ子だから、そんな貴美子が姉御肌だなんて、家族全員だーれも想像付かないだろうね」
 「あたしって、あんまし女っぽくないから話しやすいんだと思うよ」
 「いや、それだけじゃ相談まではしないだろ」

 時折かかってくる電話に出る時の妹の声は、私と話すときとは違い、勢いのある大阪弁で、笑いの中に言葉が混ざっているといった感じだ。よほど大阪の水が合っているのだろう。

 長い間、記憶の中で少女のままたたずんでいた妹が、再会と同時に、思ってもみなかった顔を見せ始めている。
 目の前にいるのは、5歳年下の妹貴美子であることに変わりはないのだが、それだけではない幾多の情報がどっと押し寄せてくる。ちょっと座りの悪い浮遊感に、むずむずと足元をくすぐられているみたいな・・・、不思議な感覚に包まれていた。

 午後3時ごろだったろうか、男友達がふらっとやって来た。
 妹と同じく、芝居を勉強している学生で、サークルの決定事項だかを伝えに来たのだった。来たついでに小一時間、なんとなく喋って、なんとなく帰っていったという、まぁそんな印象で、彼が話した具体的内容まではよく覚えていないが、世間話とか身近な噂話などではなく、自らの芝居にかける思いを、そのままストレートに話している感じだった。
 それは若者特有の、夢見がちなちょっと青臭い内容。本人には悪いが、そういった可愛い印象を残した。

 そんな中で唯一記憶に留まっているのが、こんな言葉。

 「いろいろ考えはするけどな、結局、俺が役者にならんで誰がなるんやって、いつもそれだけは思てるんよ。」

 彼が退去してから、妹に問いかけてみた。

 「大したことは言ってなかったけど、あんなふうに言えるのだけは、大したもんだよね」
 「いやぁ、大阪の男は、みんなあんなだよ。一旗あげたいみたいなことをぶちあげるのが普通。鹿児島だと、公務員になりたいとか、いい会社に入りたいとかいうけど、こっちでは、そういうのあんましいないよ」
 「けっこういい男だったじゃん。自分のこと惚れっぽいって言ってたけど、あいつはどうだったの?」
 「いやぁ、それはない。ぜ~ったいに、ないない!」
 そう言って、妹は笑った。
 「ぼんぼんや。あたしって、顔の良い男には、なんか全然魅力感じないんだよ」

 その夜、ギターの弾き語りを聞かせてくれた。太めの少しハスキーな歌声が心地良く、ギターの演奏は、とくに派手なことをするわけではないが、アルペジオのピッキングが安定していてリズム感も良く、聞きやすかった。
 ひとしきり歌ったあと。貴美子はギターを横に置き、とつとつと話し始めた。

 「あたしさぁ、

    声量が自慢だったんだけど・・・、

      高い声が出なくなったんだよ」

 「どうして?
      喉の使い過ぎで痛めたの?」

 「いや、そうじゃないと思う。
 バンドで歌ってたんだよ。お店のステージに立って、お金貰ってた。
 応援してくれてるお客さんも多かったし、
 業界の人で目をかけてくれた人もいてね」

 「へえ、そうだったんだ。」

 「だから、高い声が出なくなってきたときは困ったよ」

 「そりゃあそうだよなぁ」

 「目をかけてくれてた人にも、きついこと言われてねぇ。
 おまえには期待しとったんや。
 どうやって売り出すかまで、あれこれ考えとったんやけど、
 うまくなるどころか、下手になってるやないかって・・・」

 何と言ったら良いか言葉を探していると、妹は続けた。

 「だから、頑張ろうとしたんだけど、頑張れば頑張るほど声が出なくなって・・・。もともと褒められて伸びるタイプだからさ」

 「そうか。その人、その後連絡あるの?」

 「いや、もうそれっきり音信不通だよ」

 「冷たいもんだね」

 「仕方ないよ、それは・・・、仕事でやってるんだから、あたしだけにかまってられんって 。
 今でもね、ラジオやなんかで人の歌を聞いてると、自分だったらこう歌うのにって、ついつい考えてるんよ。
 そして、
 ああ自分は今声が出ないんだって改めて気づいて、そのたびに情けなくってさぁ・・・、涙がボロボロ出たもんだよ。
 今じゃもう、涙も枯れたけどさ」

 「気持ちは解るなぁ。聞いてるこっちも無念さを感じるし」

 「復活するために頑張ってきたんだけど・・・、
 もう限界を感じてさ、そろそろ潮時かなって思ってる」
 
 「いやぁ、それはまだ早いんじゃない? もったいないよ。前は声出てたんだから、なんとかなるって。アイドルとして売りたいわけじゃないんだから、年も関係ないし」

 「お兄さん」

 「ん?」

 「あたしねぇ、セスナのライセンス取ったんだよ」

 「セスナ?」

 「マスコミ関係の仕事をしたくてさ」

 今までの活動やバイトを通じて、業界の人とも何人かつながりがある。月30万くらいの仕事で良かったら、すぐにでもあると言われたが、自分のやりたい仕事、マイクを持って自分の足を使って取材するような仕事ではなかったため眼中に無い。 
 セスナのライセンスは、有金はたいてアメリカに渡って取得。試験を受けたときは、かつてないほど緊張した。今はセスナのみだが、ヘリコプターの操縦ができると仕事の幅も広がる。ただ、その操縦は難しく、セスナ以上に費用もかかるので、これからまたお金を溜めなければならない。ライセンスを持ってるからと言って将来が保証されるわけでもなく、リスクも大きいため、どうしようか迷っている。

 迷っている。

 表面的には、全くそれを感じさせなかったが、話し込んでみると、妹は転換期にあり、大きな迷いの中にいた。               






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