チリ、アルゼンチン、ボリビア

チリ、アルゼンチン、ボリビア
 
この三か国は自分が住む気にはならなかったものの、せっかく時間を過ごしたので個人的な感想を書いていきたいと思います。
 
チリ
 
チリは首都サンチアゴ、パタゴニアのプンタアレナスとプエルトナタレスに合計3週間程滞在しました。サンチアゴはホテルのみでしたが、ハイキング名所であるサン・クリストバルの丘に近く、周辺は綺麗で印象が良く、夫は南米で一番気に入っていました。サンチアゴはセントロの治安は悪いようでしたが、高級住宅街は清潔でモダンでとても住みやすそうでした。市内にはきちんと整備された自転車専用道路や公園、遊歩道が街中にあり、運動が好きな人には環境が整っていると感じました。サンチアゴは盆地なので空気汚染が流れにくいという難点もあるようですが(それでもその後訪れた南米の他都市に比べれば空気は綺麗)、周りが山に囲まれているので、大都市なのに自然豊かな感じがしました。難点は物価で、交通費、食事、観光すべてがヨーロッパ並みです。サンチアゴもパタゴニアも物価水準はあまり変わらず、外食でピザ、サンドイッチ程度のものでも一人10-20USDほどかかるので、日本より高いぐらいです。国立公園においては、パタゴニアの目玉、トレスデルパイネの入場料は3日間有効券で一人35ドル。まあその分どこもきちんと管理されているので、あまり文句は言えませんが。又、チリは教育レベルが高いのか、英語を話せる人が多く、観光施設はもちろん、バスターミナルの売り場の人さえも英語が出来る人がいて感心しました。個人的にはサンチアゴはいい所だと思いますが、ヨーロッパとあまり変わらないので、別にわざわざ南米に来てまでヨーロッパを体験する必要はないかなとは思いました。今南米で一番経済的に安定しているチリには移民が殺到しており、サンチアゴでウォーキングツアーのガイドをしてくれた女の子もベネズエラからの移民でした。メキシコでも同様ですが、中南米の貧しい国からより豊かな国に来ても、仕事が見つからずより困窮してしまい犯罪にはしるケースが多くなり、結果として治安が悪化することが多々あります。最近、不法移民の取り締まりにチリ国境に軍隊を設置するとニュースで読みました。南米は政治的にも経済的にも浮き沈みが激しいので、バランスよくかじを取るのは難しいところだと思います。
パタゴニアは温暖なサンチアゴと全く違い、厳しい気候の土地ですが、雄大さと手つかずの自然が味わえる、旅行先としてはとても印象に残る土地です。ただ、真夏でも強風と寒さが堪える所で、このような厳しい土地で暮らしている現地の方々には尊敬の念さえ覚えます。自然、動物は素晴らしいものの、まだ体力のある今のうちに行っておいてよかったと思う所でした。
チリ、アルゼンチンは先住民の文化はほぼ残っておらず、 街並みはヨーロッパのよう。食文化も肉のボリュームが多いことを除けば欧米食。ハンバーガー、ピザ、サンドイッチというメニューが多く、現地で呼ばれる名前は違っても、ほぼこれらメニューのバリエーション。パン食が多いことに加え、パタゴニアは特に寒くて乾燥しているので肌はがさがさに乾燥し、便秘がちになってしまいました。でも個人的にはチリは政府がきちんと機能していて、インフラも整っているので旅行もしやすいですし、住みやすいと感じました。
 
プラス点
国の体制が機能している感じ
スペイン語は習得が比較的容易
パタゴニアは比較的安全
サンチアゴも場所によっては比較的安全
国内旅行先が豊富
サンチアゴは暖かい
サンチアゴは遊歩道や運動公園が整備
国土は広く、自然に恵まれている
自国の海産物、農産物が豊富

マイナス点
場所により安全にリスク有
物価は欧米並み
アジア食は不毛の地
日本から遠い
食文化はあまり豊かではない
文化的に特色がない感じ
 
 
アルゼンチン
 
アルゼンチンは2週間の短い滞在でしたし、パタゴニアとブエノスアイレスだけだったのでアルゼンチンを良く理解したとは言い難いですが、私の個人的印象のみシェアします。パタゴニアではエルカラファテに滞在し、エルシャルテンにも日帰りで行きましたが、チリ側のパタゴニアは観光地といえどもシンプルというか、登山者向けっぽい雰囲気でしたが、アルゼンチン側はハイキングに興味がなく氷河だけを見に来る観光客も多いようで、もっと華やかで老若男女様々な観光客でにぎわっていました。物価は多分以前はもっと高かったのでしょうが、今はハイパーインフレ&闇レート高騰中なので、需要の多い米ドル100ドル札を両替してすべて現金で支払えば、結構リーズナブルです。ちなみに公定レートで計算すれば物価はチリよりも高いと思います。とはいえスーパーインフレはすごい勢いで進んでおり、2週間の滞在中でも同じサービスが値上がりしていたり、両替率がどんどん変わっていったので、1年、2年後にはどういう経済になっているのか想像もつきません。ボリビアの日本料理屋で見つけた古い旅人ノートにブエノスアイレスのお勧め宿11ペソと書いてあり(2003年情報)、10ドルぐらいの安宿だったとしても、今は闇レートで1ドル380ぐらいなので、20年間で345倍に値上がりしたことになります。これは20年ぐらい前に日本で一泊3000円ぐらいだった安宿が今1,035,000円になったと同じことです。恐ろしいですよね。
アルゼンチン側のパタゴニアはチリ側よりもやや気候が穏やかで(でも相変わらずの強風と変わりやすい天気ですが)、花もより多く咲いていました。チリ、アルゼンチン双方のパタゴニアには先住民に関する博物館があり、非常にユニークな文化を持った彼らが虐殺され絶滅していったことが伝えられています。彼らは非常に厳しい気候のため、人口は多くなく、マヤやインカのような高度の文明を築くことなく、原始的な狩猟生活をしていました。初期にアメリカ新大陸を侵略したスペイン人は何もないパタゴニアには来ませんでしたが、そのうち軍事的にも領地を拡大することが戦略的に重要視されるようになると、囚人を含む入植者がパタゴニアに送り込まれるようになります。そのうちに入植者たち、特に一部の有力者は会社を作り、羊の放牧を大規模に始めますが、そもそも所有の概念がなかった先住民たちは、いつもワナコを狩猟しているように羊を狩りました。それに激怒した放牧会社のオーナーは所謂殺し屋を雇い、先住民たちを虐殺していきます。チリのプンタアレナスにはその放牧会社のオーナー、サラ・ブラウン(もとは夫がオーナーだったが、死亡後彼女が事業を引き継いだ)の豪邸が博物館となり公開されています。彼女は慈善事業にも多くの寄付金を出資した名士として称えられており、実際虐殺を指示したのは彼女ではなく他の理事だったようですが、当時としては考えられないほどの巨万の富を築いた裏には多くの人命の犠牲があったことを思うと、正直尊敬の念はわきませんでした。虐殺されなかった先住民の中には見世物としてヨーロッパに連れていかれた人々も多く、彼らは惨めな環境で早死にしました。今では純潔の先住民は残っておらず、先住民の血をひいた人々であっても言語、文化はほぼ失われています。中南米(というか北米もそうですが)の歴史は侵略の歴史なので悲しい話ばかりですが、パタゴニアの先住民の展示は特に心が痛みました。少なくともこのような黒歴史を隠さず、更生にしっかり伝えていこうとするチリ、アルゼンチン双方のパタゴニア地元政府の姿勢があるのはありがたいことです。
ブエノスアイレスは南米のパリとも呼ばれ、アルゼンチンが世界第6位の経済規模だった際にはさぞ華麗な街だったと思われますが、今も富裕層の住むレコレタ地域などは確かに素敵ですが、全体的には何十年もの壊滅的な経済によるダメージを感じる都市でした。他にも貧しい国や都市は多くありますが、代々水百姓の人より華族が短期間に極貧になったほうがより惨めさが強調されるという気がします。それでも腐っても鯛というか、アート全般への入れ込み具合はすごかったですし、何事においてもチリよりもセンスがよかったです(でも規律、運営はチリのほうが勝っているかも)。食事に関してはステーキは安価で巨大なので、肉が好きな人には天国だと思いますが、ベジタリアンの私には特に美味しかったという印象はなく、チリと同じく欧米系の食事なので少々飽きました。治安は悪い噂をよく聞いため、気を付けていたお陰で、白タクに過剰請求された以外何の被害もありませんでしたが、グーグルマップに沿って有名なラ・ボカ方向に歩いて行った時は、いつ襲われてもおかしくないという雰囲気満載(実際、その後日本大使館から、私達が歩いた同じ地区で欧米人観光客が強盗に襲われたという注意喚起の通知が来ました)でした。ブエノスアイレスではホテルに滞在し、歩けない距離はホテルでタクシーを呼んでもらいましたが、乗るたびに何かあったらここに連絡するように、とホテルの人からクレーム先(?)の紙を渡されたので、タクシーがらみの被害も多いのかもしれません。私達は1週間の短い滞在だったので何も起こりませんでしたが、ブエノスアイレスに住んでいたら、何かの被害に遭うのは時間の問題だろうという気がしました。
ウルグアイにはコロニアというユネスコ世界遺産の街に一日観光で行きましたが、正直アルゼンチンと似すぎていて別の国に来た気がしませんでした。
 
プラス点
物価は暮らしようによっては安い
スペイン語は習得が比較的容易
パタゴニアは比較的安全
国内旅行先が豊富
ブエノスアイレスは暖かい
美術館などアート関係は充実
国土が広く、自国の農産物が豊富

マイナス点
ブエノスアイレスは場所により治安悪い
アジア食は不毛の地
トイレットペーパーを流せないトイレ多
日本から遠い
スーパーインフレ、経済的に不安定
 
ボリビア
 
ボリビアは南米の最貧国といわれていますが、私は大好きだった国です。ボリビアは大国に囲まれているので小さな国に見えますが、実は日本の3倍以上もあるのに人口は1200万人もいない国です。3000メートルを超える高度の高山地域も多いですが、デング熱や黄熱病の危険があるジャングル地域もありと、多様性に富んだ国です。私がボリビアを気に入った一番の理由は人です。観光客が少ないせいか、観光ずれしてないというか、ぼったくられる経験が皆無の国でした。中南米でも特に先住民族の割合の高い国で、民族衣装を着た(女性の方が民族衣装を着ている人が多い)人々が沢山います。ボリビアはグローバル化とか世界貿易というものがほぼ感じられない国で、サンタクルスの大きなショッピングモールにでも行かない限り、アメリカ系ファストフード店やスタバなども皆無です。ボリビアは食事が安いので、安くても一食3-4ドルするようなファストフードでは太刀打ちできないのではと思います。スクレで私が気に入って通っていたベジタリアン食堂では、コンプリートと呼ばれる昼定食のドリンク、スープ、パン、メイン、デザートセットが25ボリビアーノ(480円ぐらい)でしたが、安いところでは15ボリ(290円ぐらい)ですから、ファストフードよりよっぽどお得です。ボリビアの人はちょっと東北の人っぽく、口数少なくシャイですが我慢強く働き者、という印象を受けました。観光客相手の土産物でさえセールストークをすることはほぼなく、せいぜい“それ似合うよ”とか“これはいい物ですよ”とぼそりという程度。値段も値引き交渉前提での設定ではないので、ほんの気持ち負けてくれる程度です。というか、あまりに安いので値切るのは申し訳なくほぼ言い値で買っていました。スクレという町ではUberではなくタクシーを利用していましたが、一律10ボリ(190円ぐらい)でどこへも行けました。ボリビアは自然が素晴らしく、まさに手つかずの絶景が観光地に行かずとも楽しめます。ただあまりに不便で道路は素人には運転不能な状態なので、ツアーやガイドは必須、パタゴニアのように自分で運転してレンタカーで周るのは無理な国です。
私は訪問しませんでしたが、サンタクルス市の近くにはオキナワコロニーという日系人の移住地があり、そこで日本米はもちろん、味噌、醤油等現地生産しています。サンタクルスでオキナワスーパーという商店で日本米、味噌、醤油を購入しましたが、日本産と全く変わらない美味しい味でした。柿酢などというニッチな商品も生産しているようで驚きました。ボリビアのジャングルを一から開墾してそこまでにした日系人の方々には尊敬の念しかありません。コロナ前には秋篠宮眞子様もオキナワコロニーをご訪問なさったようです。
ボリビア人には好感を抱いていますが、びっくりしたというかショックだったことがあります。ボリビアの都市で物乞いをしているのは民族衣装を着たお年寄り、特におばあさんが多いのですが、私は身寄りがない、子供がなく独り身のお年寄りかと思って同情して度々小銭を渡していました。ところがガイドに聞いたところ、多くの高齢者の物乞いは、自分の食い扶持を稼ぐために、家族によって市内に連れてこられているというのです。交通費もかかるだろうに、物乞いで貰うお金は少ないからそんなことをしなくても、と私がいうと、ガイドによると一日50ボリ(950円)ぐらい恵んでもらえれば十分な稼ぎ扶持だということでした。ボリビアには子供は親の面倒をみなければならないという義務感はないのか聞いたところ、“それは親がどれだけ子供の面倒をみたかによるね”とあっさり言われたので、家族関係が複雑な家庭も多いのでしょう。ガイドさん自身も子沢山の家でしたがアル中の父親が家を出て行ってしまい、彼は14歳の時に家を出て2年ほど放浪生活をしていたそうです。工事現場で働いたりして生計を立て、ラパス、コチャバンバなどの都市を放浪して最終的には家に帰ったそうですが、なかなか壮絶な生い立ちです。彼は40代で奥さんと子供が3人いますが、独学で英語をマスターしたとても頭の良い人で、彼が今経済的には比較的大変な状況で生活しているのは、単純に生まれ落ちた家庭及び国が私と違うだけであり、所謂親ガチャ&国ガチャです。私がボリビアの片田舎に生まれていたらどんな人生になっていたんだろうと考えさせられました。興味深かったのは、このガイドさんによると南米で一番勤勉なのはボリビア人で、チリの鉱山や農場にボリビア人が出稼ぎに行くと、他国人の5倍働くと言っていたことです。日系人の開拓史にはたいてい日本人はボリビア人とは比べ物にならない程働いて開墾して成功したように書かれているので、実際はどうなのか興味深いところです。
パタゴニアの先住民虐殺と同じくらいショックだったのが、ポトシというかつては世界一の銀山があった町の貨幣博物館に行った時のことです。ここはツアー参加必須の博物館で、ガイドさんが英語で懇切丁寧に説明してくれましたが、植民地時代から続く搾取の歴史に心が重くなりました。ポトシ銀山の埋蔵量は世界一で、ポトシからスペインに銀の橋が架けられるほどの大量の銀がスペイン王室に渡りましたが、鉱山での過酷な労働により多くの先住民の命と健康が損なわれました。初期にはアフリカからの奴隷が導入されたものの、彼らは4000メートルの高度での過酷な労働に堪えきれず、仕方なくラパスの北の熱帯地方でのプランテーション労働に回されます。ボリビアでは今でもそこにアフリカ系コミュニティがあり、独自の文化(特に音楽と踊り)を伝えています。アフリカ人奴隷が使えなくなったため、高地に慣れている先住民が労働力に使われることになりましたが、鉱山は事故多発、順調な時でも多大なアスベスト等の粉塵で健康被害が起こるため、鉱夫の寿命は40歳にも満たなかったとのことです。貨幣製造に関わった労働者も製造過程で水銀を用いるため、最終的には水銀中毒に陥り、盲目になり、廃人同様になり早世したそうです。ちなみに貨幣製造過程では機械を動かすのにロバが使われていましたが、通常20年程の寿命があるロバも5年しか生きられなかったそうです。これだけでも人道的にショッキングな内容ですが、驚いたのは現在でも稼働中の鉱山の労働環境にそう大きな進歩がないということです。ボリビアの中でもポトシは一見して貧しい街だと分かりますが、貧困故に劣悪な鉱夫の仕事以外の選択がない人々は、今でも寿命は50歳いかないそうです。鉱山の運営会社は大きな利益を得ているようで、世界中で問題になっている貧富の差の縮図をありありと感じると同時に、私は間接的にとはいえ搾取している側の人間ですから、何ともいえない気持ちになりました。
ボリビアではかの有名なウユニ塩湖にも行きました。ウユニは素晴らしいところですが、行くのに不便ですし4000m近い高山地帯なので、パタゴニアと同様、体力があるうちに行っておいた方がよい場所です。現地で会った中年の日本人女性は高山病に悩まされていました。ボリビアに行くのはウユニ塩湖が目的という観光客が多い、ボリビア一の有名観光地ですが、その割には観光業が発展しておらず、全くのボリビアの田舎町だったのは意外でした。ウユニ塩湖には自力では行けないのでツアー参加が必須ですが、ツアーに組み込まれている土産物屋では普通の街と変わらないか安いぐらいの、まるで欲気のない価格設定で驚きました。ボリビアは観光大国になるポテンシャルは十分あるのに、活かしきれて入れないいれない感があります。
私はボリビアで危なさそうと感じたことはありませんでしたし、全く何の被害もありませんでしたが、ツイッターではボリビアで盗難、強盗にあったと日本人の旅人が度々被害報告しているので、私はラッキーなだけだったかもしれません。でも麻薬中毒者や変な人がいる割合は南米の他の国より低いと思います。
私が感じたボリビアの一番の欠点は、排気ガスです。ボリビアは先進国では絶対車検に通らないようなボロボロのバスや車がほとんどで、真っ黒い排気ガスを排出しています。日本の中古車やバスもよく見かけますが、デザインやロゴから判断して何十年も前の車なのは間違いありません。ですので気持ちよく街歩きやランニングするという訳にはいかず、田舎に行かない限り、せっかくスクレのような瀟洒なコロニアルな街並みや、サマイパタのような自然の中にある町があっても、散策はあまり楽しめません。それはボリビアの経済状況に起因するものなので、ボリビアが豊かになっていけば将来解決するかもしれませんが、まだまだ遠き道のように思います。ボリビアの田舎では公共バスも通っておらず、思い荷物を背負って延々と歩いている人が普通の風景です。彼らにとっては排気ガス云々の議論は所詮先進国の目線のもので、どんなに排気ガスを排出しているおんぼろバスでもアクセスがあるだけ有難いのだと思います。又、都市部や観光地以外には快適なトイレが皆無です。観光ガイドのロンリープラネットに“Bolivia is not for the faint hearted”と書いてありましたが、確かに快適さを求める旅行者には合わないかもしれません。
 
プラス点
物価が安い
スペイン語は習得が比較的容易
食べ物が美味しい
国内旅行先が豊富
人が素朴、正直、ぼったくりなし
基本的にチップ文化なし
日本人居住区近くでは日本食材調達可能

マイナス点
場所により安全にリスク有かも
インフラは悪く、悪路多
トイレットペーパーを流せないトイレ多
都市や観光地以外のトイレは×
日本から遠い
排気ガスがすごい
場所によっては高山病のリスク有
 

 

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