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がんばらなくてもいいところまでがんばってしまった人の記録

こんばんは。今日はこちらから。ちょっと長めです。

どっちも今朝発表になったコラム。テーマは仕事。
上が編集者のたらればさんの書かれたもの、下はシャープ公式Twitterの中の人が書かれたものです。Twitterで話題になっていました。

たらればさんの記事は、管理職の仕事について語ったもの。仕事を分割して割り振り、頑張りつづけるための環境を整備することを管理職の仕事としてあげていました。印象に残った部分↓

「自分がやらなきゃ」、「自分でやったほうが早い」を積み重ねていくと、「誰もやってくれない」に行き着かざるをえなくなります。作業の責任とは、「それを(面倒くさくても)適切に割り振ること」まで含まれていると思ったほうがいいようです。


シャープさんの記事は、「そこまでやらなくても良い」仕事を相手を考えた際に自分で取り組んでしまう人(シャープさん自身)のことを、漫画の寸評の中で書いています。こちらも引用↓

どんな機能を持ち、どんな目的のもとに運営されているからといって、それはあくまでこちらの都合だ。ツイッターを使う人にとっては、会社のアカウントがいちばん近い問い合わせの窓口となる。だから私は、私の(所属する部署の)仕事ではないからといって、私に寄せられた問い合わせをなかったことにするのが、どうにも気持ちが悪い。それはつまり「我が家の都合」をあたかも世間の都合のように外へ持ち出すのが、恥ずかしくてしょうがないのだ。

で、なんでいきなりコラムを持ち出してきたかというと、これを読んだ時にサークルの代表という管理職としての自分はどうだったか、ということを反省したからです。きっかけを見つけるたびに何回か言語化していますが、彼らの言葉はまた違った形で刺さりました。

私は昔のたらればさん、今のシャープさんに近い立場です。管理職としてはダメダメなやつですね。学年リーダー時代も含めると実に2年半管理職的な仕事をしているのですが、あまり変わらなかったのが現実です。

こう言ってはなんですが、私は平均以上に実務能力があると自負しています。ある作業があって、そのためにはこういう知識が必要で、となると大体その知識を自分で手にしてしまうからです。ついでに完璧主義傾向があって他人軸が強く、周りを見ていることが多いので仕事を見つけて取り掛かるのも比較的早い。

だから、働き者枠を獲得し、自分で仕事を見つけて動くことで人を動かしていく人間として周りからも捉えられているし、自分自身もそう認識しているんです。

で、そういう人が管理職につくとどうなるかというと、かなり細やかにサポートしようとするようになります。組織構成員の様子を観察して仕事を指示したり、時には肩代わりしたり。シャープさんのいうところの「我が家の都合」を押し付けないために、「自分の方が早い」から振らずに片付けることもありました。

最終的に、2種類の方向でパンクします。
1つは周りに甘えが出るというか、困ったら上に任せればいいやみたいな風潮ができます。周りが無頓着にいろいろぶつけてくるパターンですね。それに苛立ってしまうから余計に仕事を振らなくなることもあります。

もうひとつは、そういう管理しかできなくなったことへの自己嫌悪に縛られるようになります。例えば、誰かに仕事を指示したとして、その指示が相手の限界を超えるものだったとします。それで自分で仕事を肩代わりすると、「構成員を困らせてしまった」という罪悪感が起こります。そういう罪悪感を持ちたくないから、できるだけ構成員が困らないように仕事をしようという気持ちになります。結果「自分でやったほうが早い」から仕事を振らなくなってキャパの限界を超えるんです。

実際に、私は2年7ヶ月で6回か7回精神的に追い詰められて体調を崩しています。仕事を止めずに無理してやり切ったことがほとんどですが、自分が考えうる仕事を全部リスト化して投げたり、仕事の連絡をシャットアウトしたりしたこともあります。同期が私を見捨てなかったのが不思議なくらい。本当に申し訳ないことをしました。

私の場合、たらればさんの言うような「自分でやったほうが早い」という「呪い」を全て呪いだとは思いませんし、シャープさんの心意気に親近感を持ちます。何から何まで自己都合で割り振ったら、きっと今度は相手への罪悪感という呪いにぶつかるだけですから。

ここまで自分の反省を主にたらればさんの論に即して書いてきました。

おそらく私は管理職には向かないタイプです。何かで「実務能力が高い人はトップになるべきではない」といった内容の記事を見てすごく納得した記憶があります。

ずっと向いていない自分、それなのに周りから「向いている」と言われて苦しかった自分、仕事をしつづけることによってしか折り合いをつけられなかった自分がいて、結局何も変えられなかったんだと思いながら記事を読みました。

あと1ヶ月半で私は管理職ではなくなります。引き継ぎの準備も進んできました。
この懺悔が誰かの役に立つことはそうそうないと思いますが、どうしても書かずにはいられなかったのは、自分がやってきたことをきちんと言葉にして意味付けたかったからなのかもしれません。

頑張る必要のないところまで頑張ってしまったリーダーの記録でした。



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