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【読書】塩野七生著『コンスタンティノープルの陥落』 飛んでイスタンブール

歴史小説が好きで、よく読んでいたのですが、日本の歴史小説ばかりでした。
今回、初めて日本以外の歴史小説を読みました。
歴史小説と言っても、エピローグを読むと、現存している資料に則った、かなり現実味のある物語であることがわかります。


インパクトの大きい出来事

内容はタイトルの通り、かつての東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都であるコンスタンティノープルが、オスマン帝国によって陥落されるところを描いた物語です。

コンスタンティノープルの陥落は、世界史にとって、とてもインパクトの大きな出来事です。
395年にローマ帝国が東西に分裂してから、コンスタンティノープルの陥落が1453年なので、1000年以上続いた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の首都が陥落したわけですから、インパクトが大きい筈です。

何故か歴史上のインパクトの大きな出来事は、中途半端な年に起こります。
コンスタンティノープルの陥落も、1453年という覚え辛い年号です。
こういう覚え辛い年号が、歴史を苦手にしてきた原因でもあります。

この年号の覚え方は「ヨコサン(453)か!コンスタンティノープル」です。

日本の戦国時代との比較

日本の戦国時代の城攻めと似たところがあるのですが、日本の城と違って、この時のコンスタンティノープルは、海と城壁に囲まれた街です。
この城壁というのが、3重の城壁で、日本では考えられないような壁なのです。
その壁をオスマン帝国は、大砲で攻めるというものです。

オスマン帝国のスルタンはマホメッド2世です。
現在、一般的にはメフメト2世と言われていますが、当書籍ではマホメッド2世と書かれています。
当時、彼は若干21歳でした。

読んでいて、マホメッド2世は織田信長に似ているなと思ったのですが、織田信長でさえ、桶狭間の戦いの時は27歳でした。
桶狭間の戦いは1560年なので、コンスタンティノープルの陥落は大体100年くらい前の話です。

ちなみに、マホメッド2世は遠征先で49歳で亡くなります。
奇しくも、織田信長も本能寺の変で明智光秀に討たれた年齢と同じです。


歴史小説のイメージ

世界史を学んでいる時は、Googleマップで地図を見ながら学んでいます。
イメージ的には、人工衛生から地球を見下ろしているイメージです。

歴史小説を読むと、上空から見下ろすのではなく、地面に降り立った感覚になります。
googleマップでいうと、ストリートビューで見ているような感じです。
しかも、その時代に生きている人たちを間近で見ているような気持ちにもなります。
絶対に会うことのできない、1453年のオスマン帝国の若きスルタン、マホメッド2世に、コンスタンティノープルで会うことができるのです。
そう思っただけで、少し緊張してしまいます。


飛んでイスタンブール

コンスタンティノープルはオスマン帝国の首都となり、イスタンブールと呼ばれるようになります。

おじさん達にとっては、イスタンブールといえば、庄野真代の「飛んでイスタンブール」です。



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