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『日録20世紀 1965昭和40年』〜私の生まれた年に何があったか〜

私がこの世に生まれたのは、1965年(昭和40年)です。
今から58年前になります。
改めて考えてみると、第二次世界大戦の終戦から20年しか経っていなかったのです。
すでに、歴史の1ページと言えます。

たまたま、ある古本屋さんで、この週刊誌を手に取りました。
生まれた年なので、私自身は全く記憶はありませんが、この年に何があったのかが、写真入りで掲載されています。
その中から、印象に残った記事を紹介したいと思います。


ついにアメリカがベトナム戦争に直接介入

今も昔も、戦争は悲惨な結果しか生みません。
この年にアメリカが直接介入し、撤退するのは10年後の1975年です。
形は違っていますが、今もヨーロッパの東側では同じような構図で戦争が起こっています。
一応、直接介入はしていないことにはなっていますが。


うなりを武器に歌屋・都はるみ 紅白に最年少出場

『第16回紅白歌合戦』で、都はるみさんは、紅組の2番目に出場しています。
歌った曲は「涙の連絡船」です。
以降、19年連続出場をしていますが、記事を読んでいて思い出しました。
都はるみさんは、一度引退をしているのです。
その時の言葉が「普通のおばさんになりたい」でした。
これは、キャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」といって解散したときのコメントから来ています。
そういえば最近、都はるみさんを見かけなくなったのは、私があまりテレビを見なくなったせいでしょうか。


長島茂雄(28)結婚

改めて当時の読売ジャイアンツの選手は、芸能人だったのだなと思います。
東京の巨人軍に入団するのと、地方のパリーグのチームに入団するのとでは、天と地ほどの違いがありました。
最近は、大分その差は無くなってきましたが、昭和生まれのおじさんにとっては、巨人軍はいつまでも強くてスター選手ばかりでいて欲しいものです。
因みに私は、小学生の頃は阪神タイガースのファンでした。

活性炭入りスモッグマスク配布

三重県の四日市市の小学生に、活性炭入りのマスクが配られたそうです。
マスクをして通学をしている、小学生の写真が掲載されています。
マスクをしている小学生の顔だけを見ると、今年の写真のようです。


南海の野村、三冠王達成

長島茂雄のライバルでもある、南海ホークスの野村克也さんです。
成績は、打率3割1分9厘、打点110、本塁打42本です。
その後、昨年達成したヤクルトの村上宗隆選手まで、歴代6人しか三冠王は達成していません。
そのうち、王貞治とバースは2回、落合博満はなんと3回です。
因みに長島茂雄は、三冠王は達成していませんが、首位打者2回、打点王5回、本塁打王2回のタイトルを獲得しています。


美空ひばり、「柔」でレコード大賞

大晦日の紅白歌合戦と並ぶくらい、昭和の時代には人気があった番組がレコード大賞です。
この頃は大晦日ではなく、12月25日に開催されていたようです。
美空ひばりさんはこの年、紅白歌合戦にも登場し、紅組のトリを飾っています。


昔は良かった

スポーツや芸能の記事が中心になってしまいました。
ベトナム戦争が泥沼化していく始まりの年ではありますが、日本国内は比較的平和であったように思います。
日本は、高度経済成長期の真っ只中でした。
少し前の中国のように勢いがあったのです。
この経済成長は、1973年のオイルショックまで続きます。
オイルショックの時の記憶は私にもあります。
物価が急に上がり、駄菓子屋でいつもお小遣いで買っていたパンが、ある日お金が足りないと言われて買えなかったのです。

小学生がマスクをして通学をし、どこかで戦争が起こっているという記事を見ると、1965年(昭和40年)は少し、現在と似ているところもあります。
現在と大きく違うのは、経済成長です。

この様にして過去を振り返るといつも、「昔は良かった」と感じてしまうのが不思議です。


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