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ヴィレッジバンガードともに、消滅するもの

ヴィレッジバンガードと都市型カルチャーの消滅

ヴィレッジバンガードの業績が悪いというニュースがここ最近かけめぐっています。私は以前から、カルチャーは都市に紐づいていたけれど、それは解体されたと言い続けており、これもその現象の一部な気がしています。

よくサブカルチャーが崩壊したと言われていますが、もともとヴィレバンの業種は本屋で、都市のあちらこちらにヴィレバンが点在しており、門をくぐると例えば「完全自殺マニュアル」のようないかがわしい本が陳列されていたわけです。
そのいかがわしい本を手繰り寄せる冒険心みたいところが、ヴィレバンを訪れる動機になっていた人も多いでしょう。

かつて街にはヴィレバンに限らず、サブカルチャーやアートを中心に扱ったキュレーション型の書店が並び、その近くには小さなカフェやバーがあり、カルチャーに造詣が深いと思われる人々が集まってきたのでした。
そして、付近には座席数の少ないミニシアターがあったりして、フランス映画だったりアジアの映画だったり、作家性の強い作品を上映していたわけです。

このように都市には、書店やミニシアターといったカルチャー色の濃いコンテンツがキュレーションされていて、それを求めて来た人々がカフェやバーに集うという構図がありました。

谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」は遠くになりにけり


書店や映画館やカフェが街に紐づき、そこに人が紐づくことでカルチャーが醸成されるというのは古来から続いてきた形で、芸術家の岡本太郎もまた芸術家たちと交流を求めてフランスに渡って、そこで哲学者のジョルジュ・バタイユに出会ったそうです。

しかし時を経て、街が創るカルチャーの形は崩壊し、ともなってサブカルチャーも消失してしまいました。ヴィレバンの業績の悪さのスタートは、複合施設への出店とキャラクターもののグッズ販売に手を広げたことからライツ料金がかさんだことだと記憶しています。
逆にいうと、都市型カルチャーが滅びゆく中、ファミリー層に向けた複合施設へ出店せざるおえないという状況だったのではないでしょうか。

つまり、ヴィレバンの衰退は都市型カルチャーに紐づくサブカルチャー崩壊という構図なのですが、サブカルチャーが崩壊することになった原因は、岡田斗司夫氏が提唱するところの社会のホワイト化の進行です。

2022年はジャニーズであったり、芸人による女性遊びなど「昭和には公然の秘密」であったことが文春砲によって徹底的に断罪された年でした。社会のホワイト化というのは、公正でキレイなものしか受け入れず、汚いものは忌避されるという世界観です

芸人というのはある種カウンタ―カルチャーであり、カウンターカルチャーやサブカルチャーは昭和の時代には露悪的であることがもてはやされていました。文春砲で報じられているような芸人の女性遊びも、昭和のテレビ番組では面白エピソードの一つとして語られていました。
しかし、今や人の表に立つ人たちは徹底的に清廉潔白でなくては許されない時代になりつつあります。特定の業界において公然の秘密となっていた露悪的な慣習は、駆逐されようとしています。

その昔、谷崎潤一郎が「陰翳礼讃」において、西洋に比べて日本の家屋や食器は、わざと陰を取り入れた美しさがあると主張していました。令和の現在においては、サーチライトで照らされたような真っ白な状態でないと、多くの人たちには受け入れられなくなってしまったのです。

社会のホワイト化が進み、都市型のサブカルチャーが崩壊するとともに、カルチャーの主戦場はインターネットに場所を移し、その形を大きく変えています。現在のカルチャーの形については、機会があれば今度触れてみたいと思います。

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