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【備忘録】こんにちは、さようなら「カド」

 BSテレ東の喫茶店紹介番組「ずん喫茶」で取り上げられたちょっと有名なお店を先月、訪ねてきた。角地にあることから、店名はそのまま「カド」。昔日のにぎわいもくすんだ東京・向島の花街に、こじんまりとたたずんでおります。

 何が有名かというと、まずその内装。レトロクラシックなどとも言われているが、なんちゃってアールヌーヴォー調(?)というのか、入った瞬間にその色彩に「おおっ!」と軽くのけぞる。

 創業は1958年。初代店主は今のマスターの親父さんで、内装デザインは、親父さんの知り合いだった建築家、志賀直三が手掛けた。直三は志賀直哉の弟である。

 店内の木彫りのレリーフなどは、東京芸大の講師をしていた直三の生徒だった彫刻家、小畠廣志がアルバイトで制作。名物の看板の木枠も直三のデザインで、小畠の作品という。


 入り口脇には、昭和40年ごろまで一般に使われていた「デルビル磁石式壁掛電話機」。天井にはシャンデリア。カウンターの奥の壁などには鮮やかな複製画。細部を見ると高級感はないものの、派手な色彩の中に不思議な調和が存在する。


 内装以外の売りは、やはり喫茶店なので飲み物と食べ物だ。メニューのバリエーションは、生ジュースにサンドイッチと結構シンプル。もともとジューススタンドとして開業し、マスターの代になってサンドイッチもはじめた。

 生ジュースのラインナップの中で一押しは、「活性生ジュース」。ハチミツ、アロエ、セロリ、パセリ、アスパラ、レモン、リンゴを使っており、口にふくむと結構青臭い。色街で遊んで二日酔いの客やお仕事前の芸者さんに精がつくように、と提供を始めたそうだ。

 ジュースと一緒にいただいて「ウマっ」となるのが、店内で焼くくるみパンに各種具材を挟んだサンドイッチ。パリパリとした皮の食感が抜群に気持ちいい。

 最後に、マスターその人が「名物」である。ひょうひょうとしていて、人懐こいタイプでもないが、客の質問にすらすらと受け答え。写真を撮りたいと伝えれば、「他のお客さんさえ入れなければどうぞご自由にー」。メニューの説明も立て板に水だ。

 そのマスターに尋ねると、カドは昔から有名だったというわけではなく、長い間地元の古い喫茶店という立ち位置だったそうだ。東京スカイツリーが2012年に押上に開業すると、観光客がどっと押し寄せてふもとはにぎわったものの、隣町の向島はしばらくたそがれの「旧特飲街」のまま。数年がたち、スカイツリーに飽き足らなくなった観光客が周辺まで足を伸ばすようになって、カドが「再発見」されたという。


 ところが、客が増えたその後に、新型コロナの感染拡大に見舞われる。余った時間で内装の修理に励むなどしてコロナ禍を乗り切り、営業を再開したところ、今年4月に店の外壁が崩落。傷みが目立つ建物からの移転を強いられることになった。

 慣れ親しんだ向島を離れるのはさぞかし無念だろうと思いきや、マスター本人は「土地に思い入れはないです。旧特飲街っていうのはやっぱり大変なんです」。

 お店のインスタグラムによれば、閉店日は7月30日で、その後は茨城県日立市久慈浜に内装をそのまま移築して新店舗を開く予定だ。「海辺の街に西洋油絵喫茶店を開業する」というマスターの夢がかなうことになる。

 ちなみに、カドの一角には興味深いお店が集まっていて、すぐ向かいの「純喫茶マリーナ」は昭和のたたずまいそのままのザ・喫茶店。自慢はナポリタンだと「ずん喫茶」で紹介していた。カドを出て100メートルも満たない桜橋通り沿いには、「あんみつの深緑堂」。こちらは2014年開店の専門店です。


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